第三八話 天文十二年三月下旬『初動』



「牛一!」

「はっ!」


 わたしの呼びかけに、太田牛一が即座に反応し、わたしの前に進み出る。

 先程の一斉蜂起の話を聞いてはいたのだろう、冷静沈着な彼には珍しく、その顔は緊迫感に満ちていた。


「暗記!」

「はっ!」

「『西より敵襲! 尾張守護にして清洲城主、斯波岩竜丸様になり代わり、清州城代、織田つやが尾張全土の諸将に命じます』」


 尾張の実質的な支配者は、もちろん信秀兄さまであるが、額面上は未だ尾張守護であらせられる斯波岩竜丸様であり、信秀兄さまはその守護代として、尾張の統治を代行しているにすぎない。

 そしてこの清州城は斯波岩竜丸様の居城であり、尾張の政庁でもあり、わたしはその城代である。

 つまりわたしも、尾張守護の御威光を正式に拝借できるのだ。


 まあ、責任も発生するから出来る限り使いたくもないけど、今はそうも言っていられない。

 使えるものは何でも使わないと、ね。

 この時代、大義名分はめちゃくちゃ大事だし!


「『ただちに挙兵し、稲葉地城に馳せ参じよ!』 ……以上よ! 行きなさい!」

「「はっ!!」」


 鋭い返事とともに、牛一はすぐさま退室していく。

 部下である小姓衆に指示を飛ばしにいったのだろう。


 わたしの小姓衆は、主に頭の良さと馬術の巧みさを重視した者たちを集めてあり、戦時にはこうして使番(伝令)の役を担わせているのだ。

 情報を正確に受け取り、また伝達するには相応の頭の良さがいるし、迅速に伝えるにはこの時代には馬術が必須だからだ。


 まあ、信長の母衣衆のパクリっちゃパクリなんだけど、情報を制する者は戦いを制す。

 生き馬の目を抜く戦国乱世、いいものは積極的に取り入れないと、ね。


「秀貞殿! 信秀兄さまに今聞いた事を早馬で伝えて! また、美濃の斎藤道三に後詰めの要請を!」

「ははっ! すぐに! 姫様、机をお借りしますぞ」


 秀貞殿はわたしの机の前に座り、筆を取るやサラサラと書状をしたため始める。

 ちなみに、後詰めとは、この時代における援軍の事だ。

 実は彼にはもう一つお願いしたいことがあるのだけど、それはとりあえず後でいいかな。

 今は後詰めの要請が先決である。


「成経! 勝家殿を呼んできて!」

「おうっ!」


 わたしの指示に成経もダッと慌ただしく部屋を出ていく。

 しばらくして――


「つや姫様、緊急事態とは何事にございますかっ!?」


 勝家殿が駆け込んでくる。

 すぐさま願証寺の一向宗がわたしを仏敵認定し挙兵したこと、また戸田家も挙兵準備を進めていること、そして黒幕がおそらくは今川家の太原雪斎であることを告げると、


「……なんともにわかには信じがたい、驚天動地の事態ですな」


 やれやれといった感じで、勝家殿は嘆息とともに首を左右に振る。

 大いに同感ではある。

 嘘だったらどれだけよかったことか。


「とりあえず聞く限り、初動のご判断はなかなかのものだったかと」

「そう言って頂けると安心します」


 わたしはホッと安堵の吐息をこぼす。

 一分一秒を争うからこそ指示を飛ばしたが、わたしは軍事は専門外である。

 勝家殿が太鼓判を押してくれるなら、これほど心強いものはなかった。


「とは言え、兵力の差は歴然。とにかく後詰めが来るまでなんとか耐え凌ぐしかありませんな」

「ええ」


 わたしも深刻な顔で頷く。


 尾張の兵の大半は、現在、信秀兄さまが率いて三河に遠征中。

 今、動員できるのはせいぜい二〇〇〇かそこらといったところだろう。


 斎藤からの援軍もどれだけ、かつ、いつ来るのかは正直未知数。

 大量に兵を動員するとなれば、それだけ準備に時間がかかるし、また所詮は自国の事ではなく他国の事なので、お義理程度の兵を出してお茶を濁す可能性も十分にあり得る。


 信秀兄さまが率いる織田本隊も、昨日安祥城を落としたという事は、今頃はもう矢作川を渡り、岡崎城で敵とすでに対陣している可能性が高い。

 敵に後背を突かれるのは危険極まりない行為だ。すぐさま転進というわけにもいかないだろう。

 こっちもいつ清州に援軍が来るのかわからない。


 そしてその間は、その二〇〇〇で、どんなに少なく見積もっても万を越える一向一揆勢を押さえなければならない、ということである。

 なかなかに厳しい状況だった。

 だからこそ――


「勝家殿」

「はっ」

「清州城代織田つやの名において、貴方を陣代に任命します。至急稲葉地城へと向かい、集まった兵たちの指揮を執ってください。後は任せます」


 陣代とは主君の代理として軍の総大将として戦場に赴く役である。

 つまりわたしは、勝家殿に指揮権を丸投げしたのだ。


 いや、うん。

 まだ十代だってのにこんな不利な状況での総大将を押し付けるのは心苦しいことこの上ないが、素人のわたしが総大将をしたって高が知れている。


 勝家殿は史実では織田家四天王筆頭、北陸方面軍司令官を務めたほどの戦上手だ。

 すでに第一次安祥合戦や清州の戦いでも抜群の功績を上げ、清州城の二番家老でもある。

 どう考えても彼以上の適任はいなかった。


「っ! 承知つかまつりました!」


 勝家殿がニッと口の端を吊り上げ、力強く請け負ってくれる。

 この状況で、この重責の中、それでも笑えるのか。

 まあ、それぐらいの肝っ玉の太さがないと、織田四天王筆頭なんかなれないか。

 頼もしい限りである。


「必ずやご期待に応えてみせましょう。つや姫様はこの清州城にて吉報をお待ち下さい」

「ん? わたし、ここでただ待ってるつもりはないわよ?」

「っ!? そ、そう、なのですか?」


 意表を突かれたように、勝家殿が目を瞬かせていた。

 まあ、戦時だってのに、城代が預けられた城をほっぽり出してどっか行くってのは、確かに普通じゃないか。

 でも――


「皆を危険な戦場に向かわせて、スサノオの巫女たるわたしが城でのんびりしてるわけにはいかないでしょう?」


 パチリとわたしは片目をつぶってみせる。

 軍の総指揮なんて柄じゃないから勝家殿に任せるけど、その分、他でやれる事はやらないと、ね。

 織田家うちに喧嘩売ったら高くつくってことを、骨の髄まで思い知らせてやる!

 

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