第三三話 天文十二年三月下旬『鬼気迫る』織田信秀side
「松平張忠の首に相違ないか?」
「はっ、間違いござらぬかと」
「そうか」
同族の松平信孝が頷くと、信秀はふうっと嘆息する。
首実検。
戦が終わった後に行う定例の儀式である。
生首を見るのは正直心地良いものではないが、討ち取った首が影武者だったりすることもある。
また大将首を獲ることは大変な武功であり、嘘の報告などをして手柄を横取りする者も少なからずいる。
気分は乗らなくてもしっかり確認するのが、総大将たる信秀の仕事であった。
「うむ、よくやったぞ、貞清! 褒めて遣わす!」
「ははっ! 有難き幸せにございます!」
平服したのは、下方貞清。
年は一七歳とまだ若いながらも、その武勇は並々ならぬものがあり、小姓に取り立て何かと信秀が目をかけていた少年だった。
上野城主の子であり、此度の戦では一族郎党を率い参戦していた。
「初陣から一番槍に大将首とは比類なき古今無双の勇士なり! 実に天晴な働き! 後で必ずや感状をしたためよう!」
「おおっ! 有難き幸せに存じます!」
貞清の顔が高揚する。
感状とは、戦場で特別な功労を果たした者に発給する賞状のようなものである。
すなわち感状を多くもらっている者ほど、武人としての力量が高いということであり、まさに武家にとっては大きな誉れの一つであった。
貞清はこれが初めての感状だ。感激もひとしおなのだろう。
「そして信広!」
「はっ!」
名を呼ばれ、貞清と変わらぬ年の若武者が進み出て膝をつく。
その顔はどこかニヤついており、期待を隠しきれていない。
武士たる者がそう感情を表に出すものではない! と思わず叱りつけたくなったが、この場は我慢し、
「配下の手柄は、すなわち指揮した者の手柄でもある。よくぞ本丸を落としてみせた。父として誇りに思うぞ。よくやった!」
「はっ! ありがとうございます、父上!」
信秀の激賞に、若武者は心底嬉しそうに、相好を崩す。
母親の身分が低い庶子であり跡継ぎには出来ぬが、信秀にとって初めてできた息子であった。
当然可愛く思っていたし、またなかなかに武勇にも秀でていたこともあり、ひそかに期待もしていた。
今回のような圧倒的優勢の中での勝ち戦は、戦を経験させる上ではまさにうってつけであり精鋭一隊を率いさせて参戦させていたのだが、まさかの大殊勲に信秀もそれを聞いた時には小躍りしたものである。
もちろん、息子には内緒であるが。
「だが、これに味を占めるでないぞ? また手柄を上げたいと気が逸るやもしれぬが、おぬしは織田弾正忠家の長兄じゃ。その事をゆめゆめ忘れるでないぞ」
厳粛な顔を取り繕いつつ、きっちり釘も刺しておく。
「は、はいっ! 父上のお言葉、胸にしかと刻み、忘れぬようにします」
受け答えこそしっかりしたものであるが、その声はわずかに震えていた。
もっと褒めてもらえると思っていたのだろう、すっかり意気消沈しシュンとした様子が隠しきれていない。
さしもの信秀も少しだけ罪悪感が湧くが、庶子とは言え長兄である以上、信広は後の織田弾正忠家の重鎮である。
預かる兵も多くなる。
手柄に逸って無理な突撃などされては目も当てられない。
父としては手放しで褒めてやりたいのは山々なのだが、ここは厳しくせざるを得ないのが当主の悲しいところであった。
その後も信秀は首実験を進め、あらかたが済んだところで、
「信光、おぬしもご苦労じゃったな」
右隣に鎮座する弟に、労りの言葉をかける。
此度の戦では本丸に突入した
備とは槍足軽隊、弓足軽隊、騎馬武者隊、小荷駄隊などで構成され、独立した作戦行動を採れる基本単位であり、一備でだいたい三〇〇~八〇〇人ほどになる。
本丸での抵抗もあったというが、きっちり大将首を上げ、大した損害も被っていない。
先の第一次安祥合戦においても、抜群の働きをしてくれたのは記憶に新しい。
織田家随一の猛将の名に恥じぬ戦上手っぷりであった。
「これからも頼りにしておるぞ」
「ええ、もちろんです、兄者」
信光も力強く頷く。
実に頼もしい限りである。
「ああ、で、信広の戦いぶりはどうじゃった?」
可能な限り何気ない感じを装いつつ問う。
が、信光にはお見通しだったようである。
彼はプッと吹き出し、
「相も変わらず子煩悩ですなぁ」
「うるさいわ! あくまで織田家当主として聞いておるのじゃ」
「はいはい、まあ、そういうことにしといてあげましょう」
「ちっ。……で、どうじゃったんじゃ?」
信光の軽口に舌打ちしつつも、信秀は再度問う。
やはり親としては、此度の戦で直属の上司であった信光の評価が気になったのだ。
「そうですなぁ、今のところ、まあまあ、といったところですかね」
「まあまあ……か」
大賞首を上げるという手柄を挙げたのだ。
もっといい評価が返ってくると思っていただけに、信秀は少し不服そうに顔をしかめてオウム返しする。
そんな信秀に弟は再び苦笑し、
「そう気を悪くしないでくだされ。此度の信広はよくやったと思います。こちらの指示にちゃんと従う冷静さはありましたし、下も上手く統率しておりました。あの年にしては上出来かと」
「それでも、まあまあ、なのじゃな?」
唇を尖らせ、不満そうに問う。
信光も肩をすくめ、
「そりゃあ我が織田家に巣食う鬼どもに比べますと、ね」
「つやか。あれと比較するのはさすがに可哀想じゃろう?」
「あれは本人も言ってるように、神仏の類でしょう。さすがにそれとは比べておりませぬ」
「ほう、では誰と比べたのじゃ?」
「それは父である兄者ですよ」
「鬼とは儂の事かい!」
「ははっ、自覚がなかったのですか?」
「……多少はあるがな。それを言ったらおぬしとてそうであろう?」
じろりと半眼で信光を睨みつける。
むしろ戦場での戦いぶりだけなら、この男は信秀以上である。
ならば十分鬼と呼ぶに相応しいと思ったのだが、
「いえ、俺の鬼気など、兄者に比べたらそよ風のようなものかと」
「きき?」
「鬼の気と書いて鬼気です。まあ、俺が適当にそう呼んでるんですが、近くにいるだけで圧倒され身体が思わず萎縮する。そんな得も知れぬ雰囲気の事です。まさに鬼、でしょう?」
「つまり、儂が怖いと言いたいわけか?」
当主として威厳を保つ事は心掛けてはいる。
それで実の弟にまで怖がられているのは少々悲しくはあったが、仕方のないこと。
そう思ったのだが、
「いえ、ちょっと違います。怖いは怖いんですが、そう言う普通の怖いじゃなく、まさに鬼気迫るって感じで、そいつを前にすると本能的に
「ふむ? それを儂には感じて、信広には感じん、と」
「ええ。まあ、あの子はまだ若い。これから次第では発現するやもしれません」
「一応、訊いておくが、つやにはそれを感じるのか?」
「あれはまた毛色が違います。何かは感じますが、どうもつかみどころがない。さっきも言いましたがおそらく、神仏の類でしょうな」
「ふぅむ」
なんとなくわかるようでわからない。
元々、この弟は天才肌で、感覚で物を言うところがある。
そう言うところが戦場などでの嗅覚の鋭さにつながっているのだろうし、それに幾度となく助けられもしてきたのだが、時々今回のように感覚に寄りすぎて言っている言葉がいまいち要領を得ない事だけは、少々困りものだった。
「そういえば最初、鬼ども、と言うておったな。つまり儂以外にも織田家中には鬼がおる、ということか?」
言ってから、信秀は柴田勝家の事を思い出す。
あの男も「鬼柴田」と家中では畏怖されている。
だからてっきりその名が返ってくると思っていたのだが、
「吉法師です。ありゃあもう鬼どころか、閻魔大王ですな!」
「吉が閻魔?」
意外な名が飛び出してきて、訝しげに信秀は眉をひそめる。
信光は力強くうなずき、
「ええ、あれはいずれ間違いなく天下に名を轟かしますぞ、兄者!」
「ほう、随分と高く評価したものじゃな」
信秀は思わず目を瞠る。
確かに鬼のごとき気性の荒さはあるが、まだ年も一〇。
沢彦宗恩に兵法を学ばせたが、あまり勉学に励まず、もっぱら野山を走り回って、同年代の子と遊ぶばかりだった。
洒落にならぬ悪戯も多く、傅役である平手政秀をいつも困らせ、信秀も何度か叱ったのだが、治る兆候は全くなかった。
内心、廃嫡も考えていただけに、この信光のべた褒めな高評価は意外であった。
それに正直、嬉しくもあった。
信光の嗅覚は侮れないのは、身に染みて知る所だったからだ。
嫡子が有能ならば、家としてこれほど目出度い事はない。
(もうしばらく様子を見てみるか。『男子、三日会わざれば
遠く美濃に人質に出した嫡子を想い、西へと視線を向ける。
美濃に忍ばせた
不安に塞ぎこんでいるのやもしれんとひそかに心配しているのだが、まさかそこで我が子が人生の師と呼べる存在に
「おっと、いかんいかん。今は吉のことより、まず目先の戦のほうが先決よ」
信秀はぶんぶんと首を振って思考を切り替え、視線を今度は東へと向ける。
今は松平家との戦の真っ最中である。
他所事に気を取られていては、足をすくわれかねない。
まずは目の前の戦に、全神経と知恵を総動員させるべきだった。
「ですな。やはり予定通り、この安祥は信広に任せて、兄者は岡崎まで進むおつもりで?」
「当然じゃ」
「……そうですか」
「長きに渡る松平との戦に、ここで終止符を打ってくれるわ!」
信秀は気炎を揚げる。
もはや松平家の勢力範囲は額田郡と賀茂郡、宝飯郡といったところである。
それでは動員できる兵力は頑張ってかき集めたところで、二〇〇〇がせいぜいだろう。
頼みの綱の今川家も、花倉の乱に端を発する反旗を翻した者たちが遠江で未だ勢力を保持しており、岡崎まで援軍を送ることなどまずできないはずだ。
兵力差は実に五倍。
すでに矢作川東岸に
「ふふっ、戦に油断は禁物なれど、負ける要素がまるで見当たらん」
そうほくそ笑む信秀であるが、彼はまだ気づいていなかった。
その思考が、ある男の掌の上で踊らされてるに過ぎない事を。
自らがある男の張った罠に、すでにまんまと絡めとられているという事を。
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