世間は狭い

 ある日の放課後、ラ・レーヌ学園の植物研究室でリリーは植物の液浸えきしん標本を作っていた。

 その時、使用するホルマリンが残り少ないことに気付くリリー。

(化学実験室にホルマリンをもらいに行かないといけないわね)

 リリーはホルマリンの瓶を持ち、植物研究室を出て化学実験室に向かった。






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 丁度その頃、化学実験室にて。

「ラファエル、そっちの合成はどんな感じ?」

 オレリアンはフラスコを軽く振って化学反応を進めながら、隣にいるラファエルに聞く。

「こっちは反応物を冷却させたら終わるよ」

 ラファエルはニッと笑い、フラスコを水と氷が入った桶に入れた。

「ありがとうラファエル、助かるよ。これで追加の論文も書けそうだ」

 オレリアンはホッとしていた。

「ああ、オレリアン。僕も好きでやってることだからね」

「ラファエルは本当に興味の範疇広いよな」

 屈託のない笑みを浮かべるラファエルに、オレリアンはそう感心していた。

 どうやらオレリアンの研究をラファエルが手伝っていたようだ。

「後は合成した化合物を冷暗所に一晩置くだけだ」

 ふうっ、と一息つくオレリアン。一段落着いたようだ。

 その時、化学実験室の扉がノックされた。

 オレリアンが「とうぞ」と扉に向かって言うと、「失礼いたしますわ」とリリーが入って来た。

「リリー嬢、どうしたんだい?」

「貴女が化学実験室に来るなんて珍しいな」

 ラファエルとオレリアンは不思議そうに首を傾げている。

「植物研究室のホルマリンが残り少ないので、補充に参りましたの」

 リリーは微笑み、空になりかけているホルマリンの瓶をオレリアン達に見せた。

「ああ、ホルマリンなら、1番右の薬品棚の上から3段目の所にある。少し待ってて」

 オレリアンは薬品棚の鍵を開け、ホルマリンがなみなみ入っている瓶を取り出した。

「リリー嬢、そちらの瓶を貸して」

「どうぞ、オレリアン様」

 オレリアンはリリーから植物研究室のホルマリン瓶を受け取り、なみなみ入っている化学実験室の大きなホルマリン瓶から注いだ。

「リリー嬢、向こうにある薬品使用ノートにどのくらいホルマリンをもらったか書いておいて」

「承知いたしました、ラファエル様」

「リリー嬢、これでいいかな?」

「はい。ありがとうございます、オレリアン様」

 リリーはオレリアンからホルマリン瓶を受け取る。瓶の8割くらいまで入れられていた。そしてリリーはラファエルの指示に従い、化学実験室からホルマリンを貰った量を記入する。

 ふとその時、少し前の昼休みにサラから聞いた言葉を思い出す。

『それに、オレリアン様のお母様だって、女大公閣下がまだ女王として即位なさっていた頃、薬学サロンのメンバーだったではございませんか。それに、わたくし達が生まれる前に疫病の特効薬を開発して流行前に抑えることが出来たと』

 リリーはオレリアンを見て少し考え込む。

(そういえば、お母様が仰っていたわ。共にナルフェック王国のヌムール公爵領で学んでいらした方が、昔流行った疫病の特効薬を開発なさったと。そのお方の名は確か……)

「リリー嬢? どうかしたのかい?」

 オレリアンは不思議そうに首を傾げている。

「あ……申し訳ございません。実はオレリアン様のことで、少し気になることがございまして」

「俺のことで? 何一体かな?」

「正しくは、オレリアン様のお母様のことでございます。この前サラ様が仰っていた、疫病の特効薬を開発なさったという」

「ああ、なるほど。たまに母上のことは聞かれるよ。特に薬学に興味がある方々から。リリー嬢は植物学だけでなく薬学にも興味があるのかな?」

「いえ、そうではなくて……。オレリアン様のお母様のお名前はもしかして……クリスティーヌ様だったりします?」

「そうだけど」

「やっぱり……」

 リリーはエメラルドの目を大きく見開いた。

「それで……俺の母上がどうしたんだい?」

 オレリアンは怪訝そうな表情である。

「実は、わたくしのお母様がナルフェック王国のヌムール公爵領で薬学を学んでいたのでございます。その時に、ご一緒だった方がクリスティーヌ様なのでございます。ですので、この前サラ様からオレリアン様のお母様が疫病の特効薬を開発なさったとお聞きして、もしかしてと思いましたの」

 リリーはふふっと微笑んだ。

「リリー嬢……」

 そこでオレリアンはハッとする。

「貴女のフルネームは、リリー・ベアトリス・モールバラ。そのベアトリスという名前は貴女のお母上から!?」

「左様でございますわ」

「そうだ、失念していた。ベアトリスという名前はこの国にもいるから特に気に留めなかったのだが……リリー嬢はネンガルド王国からいらしていたベアトリス様のご息女だったのか。母上からもたまにベアトリス様の話を聞いたことがある。勉強熱心で向上心があるお方だと」

 オレリアンの表情はパアッと明るくなった。

「へえ、オレリアンとリリー嬢はお母上同士が知り合いだったんだね」

 話を聞いていたラファエルは意外そうにペリドットの目を丸くした。

「ああ、そのようだ。世間は狭いと言ったものだね」

 ハハッと笑うオレリアン。

「左様でございますわね。では、クリスティーヌ様とわたくしのお母様以外にも薬学を学びに来られていたガーメニー王国の伯爵家のお方もご存知でございますか?」

「ああ、そのお方のことも母上から聞いている。ガーメニー王国からいらしていたのはリーゼロッテ様というお方だった」

 するとそれを聞いたラファエルが「あ……」と声を上げた。

「ラファエル、どうかしたのか?」

 オレリアンは不思議そうに首を傾げる。

「ねえ、もしかしてそのリーゼロッテというお方は……当時はリートベルク伯爵家のお方だった?」

「ええ、左様でございましたわ。今はガーメニー王国の侯爵家に嫁がれたみたいでございますが」

 リリーはふふっと微笑んで答える。

「それ、僕の伯母おば上だよ。母上の生家せいかがリートベルク伯爵家で、リーゼロッテ伯母様は母上の姉なんだ」

 ラファエルはクスッと笑う。

「まあ……!」

 リリーはエメラルドの目を見開いて驚いていた。

「本当に世間は狭いものだね」

 明るく声をあげて笑うオレリアン。

 その後、3人は少し談笑していた。

「そうだリリー嬢、ホルマリンを取りに来たってことは、もしかしてこれから実験だったのでは?」

 オレリアンはリリーが持って来た植物研究室のホルマリン瓶を見て、思い出したように言う。

「左様でございましたわ。植物標本作っている途中でございました」

 リリーはハッと目を見開き思い出す。

「だったら僕がその瓶を植物研究室まで持って行くよ。サラ嬢から聞いたんだけど、リリー嬢は時々そそっかしいところがあるから、薬品を溢さないか少し心配だ」

 ラファエルは悪戯っぽく笑う。

「お母様や婚約者からだけでなく、サラ様からもそう思われているのでございますね」

 シュンと肩を落とすリリー。

「気にすることはないと思うよ。これから気をつけたらいいんだし」

 ラファエルは明るく太陽のような笑みを浮かべている。

「あ、じゃあ俺も植物研究室まで行くよ。ナゼールとミラベル嬢もいい方向に変わっている。だからリリー嬢も大丈夫さ」

 オレリアンはアメジストの目を優しく細めた。

「ありがとうございます」

 リリーは気を取り直し、ふふっと微笑んだ。

 3人は化学実験室を出て、植物研究室へ向かうのであった。

 リリーの母、オレリアンの母、ラファエルの伯母の3人も仲がいいが、リリー、オレリアン、ラファエルの3人も仲良くなっていた。

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