2:時東はるか 11月18日23時32分 ①
時東を誘蛾灯のごとく誘う南食堂の、灯りがない。
街灯の少ない田舎道に沿って愛車を走らせること、二時間弱。切ない現実に打ちのめされながらも、時東は店の前にバイクを停めた。
ヘルメットを外して頭を振れば、前髪が夜風に流れていく。すりガラス越しに見える店内は真っ暗で、当然ながら人がいる気配は感じられなかった。
「……でも、まぁ、あたりまえか」
田舎は灯りが少ないが、代わりに月や星がよく見える。陳腐な歌詞のような現実を、時東は今夜も実感する。
都会生まれの都会育ちなので、すべてここに通い始めて知ったことだ。その暗闇の中、じっと店を見つめる。帰りがたかったのだ。
――まぁ、でも、しかたないよな、誰もいないんだから。
言い聞かせるべく、心の内で繰り返す。ついでに、溜息もひとつ。心境としては「こんなはずじゃなかった」の一言に尽きている。
結果として、収録は想定外に長引いた。ご意見番を気取っている自称大物が臍を曲げたせいだ。
若手の時東に「いいかげんにしろよ」などと言えるわけもなく。二時間強のオーバーで、なんとか終了。本当に老害も大概にしてほしいところだ。
このあとの予定は諦めたらどうですか、と取り成す岩見を押し切って飛び出した理由は、半ば以上意地だった。けれど、淡い期待を抱いていたからでもある。
――近いうちに出直そう。明日は無理だけど、明後日なら、うん、なんとか。
脳内で予定を確認しているうちに、少しばかり気分も上向いた。そうだ。また来ればいい。
踏ん切りをつけてヘルメットを被り直そうとした、まさにそのとき。食堂の奥手で砂利を踏む音がした。
その音が、規則正しく近づいてくる。
「時東?」
「へ? 南、さん?」
視認した人影に、時東は目を擦りたくなった。自分の願望が幻覚になったかと疑ったからである。
けれど、迷惑そうな表情を隠しもしないその人は間違いなく本物で。
「あ、そっか。裏口?」
あるのか、と。いまさらながらに思い至った。
そういえば、はるか昔にアルバイトをしていた飲食店も、裏口にごみ置き場やその他諸々があったような。そうしてそこから帰っていたような。
思えば、カウンターの外にいる南を見たのは今夜がはじめてだ。いつものエプロンを外した姿は、時東の目に新鮮に映る。
「なにしてんだ、おまえ。こんな時間に」
「え? いや。というか、南さんこそ、まだいたんだね。遅くまでお疲れさま」
会話になっていないと思ったのは、たぶんお互いさまだ。
なんか、これ、好きな人と道端で遭遇した中学生みたいだな。思いついた比喩を打ち消して、へらりと笑う。
南の質問は真っ当な疑念であるのだが、「いないだろうなってわかってたんだけど、万が一に賭けて押しかけちゃいました」とはさすがに言いづらい。
黙って笑顔を見つめていた南が、根負けしたように頭を掻いた。
「おまえ、明日は朝早いの?」
「え、……ううん。明日は夕方からラジオがあるだけだけど」
「おまえが不吉なこと言うから売れ残ったんだよ。着いてくるか?」
手にしていたなにかを示すように持ち上げた南が、時東の横をすり抜ける。その先にあるのは一本道の町道だ。
「すぐ近くだから、バイク押して来いよ」
「え? え、南さん? ……いいの?」
「店の前に停めておかれるほうが迷惑」
そういう意味で聞いたわけではなかったのだが。あっというまに先行く背中が消えてしまいそうで、時東は慌ててバイクを方向転換させた。
少し前を行く影が、月の光る道で濃く映える。南が持っていたなにかがタッパーだと時東は遅れて気がついた。
タッパー。おでん。前回の帰り際、たくさん売れ残っていたらいいなと俺が言った。
「南さんが女の子だったら、俺、お嫁に来てくださいって泣いて縋ったかもしれない」
うっかり口から零れたそれは、しっかり前行く背中に届いたらしい。返ってきたのは、笑いを含んだ声だった。
「家に女兄弟はいねぇから、安心しろ」
いや、たぶん、これも、そういう意味ではなかったのだけれど。
だが、しかし。どういう意味だと問い直されても、答えに窮するに違いない。誤魔化すように「残念だなぁ」と時東は笑った。
都会ではめったと聞けない、コオロギの震えるような鳴き声が足元から響いていた。
[2:時東はるか 11月18日23時32分]
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