縁とは異なもの味なもの

1:時東はるか 9月2日2時15分 ①

 あぁ、やっぱり、味がしない。

 わかっていたことなのに、食べ物を口にするたび少なくないショックを受ける。そうして、表現のしがたい苛立ち。けれど、なにも感じなくなったら、きっと、もっとヤバイのだろうな。

 心身ともに充実し働き盛りであるはずの二十四才男性としては、あまりに寂しい夕食だ。

 自嘲ひとつで、時東は一口かじっただけのおにぎりを机の端に追いやった。激辛キムチ炒飯。派手派手しいパッケージに淡い期待を抱き、コンビニエンスストアで購入したものである。

 少し前までは、刺激が強いものであれば多少の味はわかった。


「ストレス、か」


 力ないひとりごとが防音室に響く。医者に問われずとも、ストレスの原因はわかっていた。ただ、解決策が見当たらない。

 プロデビューを目指していた時東悠が、「時東はるか」なる芸名で夢を叶えること、早五年。名前と顔が売れ始め、セキュリティのしっかりとしたマンションに居住を移した。ひとりで暮らすには十分な2LDK。心置きなく曲作りに打ち込むことのできる防音室の存在が決め手だった。

 そのはずだったのに、熱中していた日々がどこまでも遠い。

 惰性の延長線で傍らに置いたギターから視線を外し、伸びてきた前髪をかきやった。


 時東が自身で作詞作曲を行う必要性を、プロダクションの社長は感じていない。

 おまえはテレビの前でその顔で歌っていればいい。曲は提供してもらおう。そうだ。北風春太郎はどうだ。名案だと言わんばかりに社長が挙げた名前は、着実にヒットを生み出し続けている若手作曲家のものだった。

 その提案は、自分で曲を作り、言葉を乗せ、歌っていきたいと願う時東のプライドを十分すぎるほど傷つけた。

 だが、今の自分は、新しい曲どころかフレーズのひとつも生み出せないのだ。ごく当然の提案だったのかもしれない。

 五年前のデビュー当時。顔のおかげで叶ったと皮肉られていたことを時東は知っている。けれど、いつかわかってもらえたらいいと思っていた。いつか。自分が生み出す曲で、歌う声で、なにかを感じてくれたらいい。いつか。

 その「いつか」が、いつのまにか見えなくなった。


 むしゃくしゃした感情を溜息で追いやって、防音室を出る。

 モデルルームのように無機質なリビングを大股で通り抜け、時東は酒しか入っていない冷蔵庫を開けた。

 無造作に発泡酒を抜き取って、缶を開ける。味がわからないのだから、高い酒も安い酒もすべて同じだ。期待するのは、アルコールによる軽い酩酊だけ。

 喉に一気に流し込み、空き缶を流しに置く。防音室に引き返すつもりだった足が止まったのは、リビングの途中だった。

 テーブルに放置したスマートフォンの点滅を見とめ、なけなしの義務感で手を伸ばす。届いていた文面を一読した時東は、うんざりと画面を閉じた。


「田舎に行こう、ねぇ」


 なんのことはない。マネージャーからの明日の予定の念押しだった。芸能人が単独で田舎に赴き交流を図るバラエティ。ひな壇に座って笑っていれば終わるものと違い、明確な台本のない頭を使う仕事である。面倒くさい。何度目になるのか知れない溜息を吐き出して、時東は天を仰いだ。


 ライブ依頼や音楽番組といった本業の出演より、バラエティ番組への出演依頼が増えたのは、いったいいつからだっただろう。

 自分のキャラのなにが受けたのか、はたまたこの顔のおかげなのか。とにもかくに時東の存在は視聴者に受け、以後、バラエティばかり打診が来るようになったのだ。

 ありがたいことですよ、とマネージャーは口を酸っぱくして時東を諭す。わかっている。そして、時東も子どもではない。

 明日もへらへらと愛想を振り撒いて、適当に間の抜けたことを言って、味がわからなくとも、おいしそうに現地の料理を食べてやるつもりだ。「わぁ、おいしい」なんて、嘘だらけの感嘆とともに。

 そのロケで、運命の味に出逢えるとは露知らず。なにもかもが面倒になって、時東はソファーに倒れ込んだ。部屋はいつも快適で、季節感を感じさせない。蝉の声のひとつも聞かないまま、夏が終わってしまいそうだ。昔はこうではなかったのに。


 十代の中ごろから終わり、若さにかまけてバンド練習に打ち込んでいたころ。住んでいた六畳一間のアパートはもっともっと暑かった。夏は寝苦しいし、冬はどれだけ着込んでも隙間風が吹き込んで指がかじかんだ。ギターの騒音で隣人に怒鳴り込まれた回数も数え切れない。けれど、生きていた。きっと、あのころのほうが時東は生きていた。

 ままならない、なにもかもが。今の自分を言い表すとすれば、この一言に尽きると思った。




[1:時東はるか 9月2日2時15分]


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