まいかルート 3-5

 悪質な個人タクシーに騙されたまいかは、駅周辺を一周してしまい料金だけ支払って運転手の勝手な都合で元の地点で降ろされてしまった。

 行き先はっきりしない方が悪い、と運転手は客であるまいかに非があることを盾に走り去ってしまい、まいかも自責の念で強いことが言えなかった。

 無為な時間だけが経過して、まいかの心細さは否応なしに膨れ上がってくる。


「どうすればいいですか?」


 誰にともなく問いかけるが、まいかの呟きに反応してくれる通行人はいない。

 さきほど運転手のせいでまいかの中でタクシーは信用できず、会場へ向かう他の手段を考えた。

 だが、スマホさえも使えなくなったまいかには健志と来た時の記憶しか頼りに出来る記憶はなかった。


 ――同じ方向に歩いてみるです。


 歩くのは日々の配達で慣れていた。

 通行人が多く窮屈さは感じたが、徒歩以外に手段は思いつかずまいかが朧げな記憶をた辿って歩き出した。

 しかし不案内な街ゆえに十分ほど進んだところで、自分がどこにいるのかさっぱり判断つかなくなり、見知らぬ路地の真ん中で立ち惚けてしまった。


 ――わかんない、です。


 頭が混乱して心細さが膨張していき、母親の助けを乞いたくなる。

 それでも黙って家を出た事に気が引けて、最初からやり直すつもりでタクシーから降ろされた地点まで戻った。

 その後何度もいろんな道を歩き進んでは引き返すを続けたが、時間だけが過ぎていきまいかの寂しさは膨れ上がる一方だった。

 ついには歩き疲れてしまい、タクシーから降ろされた場所の歩道側にある古びたテナントビルの前で膝を抱えて座り込んでしまった。


 自分を気に留めず歩きすぎていく通行人。

 車道を往来していく見たこともない色々な車種。


「……うう」


 春浜との違いを肌で感じる空気。

 見上げる目が疲れてしまいそうな高層な建物群。


「ううぅ……うぅ」


 何より助けてくれる人が傍に誰もいない。

 一人ぼっちであることが、こんなにも辛いなんて。


「うぇ、帰りたいです……ぐす」


 不安と心細さと寂しさが堤防から溢れだし、まいかの瞳から冷たい雫となって流れ落ちた。


「ぐすっ、うぇ、ぐすっ」


 涙は止まらず肩を上下にしゃくりあげる。

 道路端で泣きだしていたまいかに、通行人の一部が奇異な目を向けるが、見知らぬ他人ゆえに気の毒そうな顔をしながらも通り過ぎていく。

 涙で視界が滲んできたまいかは周囲が満足に見えず、世界でただ一人になってしまったように寂しさが堪えきれなくなった。


「うわぁぁん、ぐすっ、ぐすっ、ぐすっ」


 迷子の子供みたいに人目もはばからず泣きじゃくる。

 誰かが助けの手を差し出してくれるかどうかなど、今のまいかに正常な判断など出来ようはずもない。

 いよいよ通行人の中に気の毒以上の五月蠅げな視線を向ける人さえも出てきた。

 


 今治でしまなみ海道を渡るバスに乗り換えた後も、まいかさんと連絡を取れないまま広島へ近づいていた。

 そしてついに位置情報が示す地点を行き過ぎた。


「どうやら、スマホを落としたわけではなさそうですね」


 スマホを見つめるなみこさんに事実だけを伝えた。

位置情報の履歴からまいかさんが俺と出掛けた時と同じルートで広島を目指したことは推察できていた。

なみこさんは再度まいかさんへ電話を掛けた。

だがなみこさんのスマホは虚しくコール音を鳴らし続け、四回目のコールに差し掛かったところでなみこさんはスマホをチノパンのポケットに仕舞った。


「まいかは本当に一人で広島まで行ってるようですね。無茶します」

「広島に着いたと仮定して、その後どこに向かったんですかね?」


 頭の中に幾つか、まいかさんが行きたそうな場所は思いついているが、まいかさんについては一日の長があるなみこさんに尋ねた。

 なみこさんは太い息を吐いて答える。


「健志さんと観に行った展覧会だと思います。あの子にとっては天国みたいな場所でしょうから」

「展覧会ですか。まあ、可能性は高そうですね」


 俺と行った他の観光地よりも、まいかさんたっての希望だった展覧会なら余計に行きたがるだろう

 だが、心配なのは展覧会の会場まで行けたかどうかだ。

 俺は渋い顔をしていたのだろう。なみこさんは思考を読んだように余裕ある笑みを浮かべた。


「健志さんが何を考えているか、私はなんとなくわかりますよ」

「わかるんですか?」

「まいかが一人で会場まで辿り着けてないんじゃないか、ですよね?」

「全くその通りです」

「私も同じこと考えましたから。健志さんもまいかの思考の傾向を把握してきたみたいですね」


 褒められているのか、なみこさんの笑みに好感の色が覗いた。

 そりゃ二人で旅行したぐらいだし、どこぞの他人よりかはね。

 認められた気分でいると、なみこさんは不意に憂いを表情に出した。


「まいかの考えることは十中八九察しているつもりだったのですが、どうやら私もまだまだみたいですね。まいかが一人で出掛けることは頭になかったですから」

「なみこさんでも今回のことは予想外なんですね」

「あの子にそんな勇気があるなんて思っていませんでした。今までまいかのしでかした失敗も迷惑も予想の範疇ばかりでした」

「例えば、どんな?」

「学校の勉強ができないことも、集団生活が苦手なことも、掃除や片づけが遅いことも、あの子の忙しく飛び移る好奇心を知っていれば、予想の範疇でした」


 娘に手を焼いた記憶も今では懐かしいのか、駅で会って以来初めての穏やかな笑みでなみこさんは打ち明ける。

 詳しく聞いてもいいですか、と尋ねると意味もなく前方の座席を眺めながら話し出した。


「まいかが小学生の頃に遠足で山間にあるアスレチック広場に行ったんです。お昼ご飯の後、先生が集合をかけるまで自由に遊べる時間があったんです。まいかも最初はアスレチックで遊んでたらしいんですけど、集合時間になっても戻ってこなかったんです。そうして引率の先生たちは大慌てでアスレチック広場の中を探してくれて、先生たちが入っちゃいけないって伝えた林の中でようやく見つかったんです。小さい頃から見張ってないと好奇心のままにどっか行っちゃうんです」

「でも見つかってよかったですね」

「それはそうなんですけど、探してくれた先生や広場のスタッフ方にはほんとうに申し訳なくて」


 今でも当時の事を鮮明に思い出せるらしく苦笑いする。

 話し出して記憶が堰を切ったよう溢れてくるのか、なみこさんは思い出を偲ぶ表情で続ける。


「あの子が中学三年の年末に家中を掃除することにしたんです。それでまいかには手始めに自分の部屋を掃除するよう頼んで、私は玄関から始めたんです。掃除を始めて三時間ぐらい経過して私は一階の掃除をあらかた終えたので、まいかにも手伝ってもらおうと部屋を覗いたら、あの子何してたと思います?」


 懐旧談に耳を傾けていると、唐突に質問を振ってきた。

 寝てた、と答えるも、それなら幾分良いほうですと呆れた微苦笑で返ってくる。


「カードゲームで遊んでいました。それも辺りを散らかした状態です」

「掃除してたんじゃないんですか?」

「そのはずなんですけど興味が転々と移りますから、仕舞っていたものを出したのをきっかけに、いろいろと思い出したんでしょうね。掃除を始める前よりも部屋の中は散らかってしましたから」


 聞いているだけで、なみこさんのこれまでの気苦労が想像できて、年齢の垣根を越えて労わりの言葉を贈りたくなってきた。

 俺の気持ちを察したのか、なみこさんは肩を揺らして笑う。


「大変でしたけど中学の時の話ですから。今では笑い話です」

「それで結局掃除は進んだんですか?」


 話を戻すつもりで尋ねる。

 なみこさんは仕方なさそうに目尻を下げる。


「まいか一人に任せていたら終わらないので二人でやりました。一時間も掛からなかったんですけど」


 皮肉っぽく言って締めくくった。

 なみこさんから聞かされたエピソードに意識せずとも苦笑が漏れる。


「もしかして、三時間のうち十分くらいしか掃除してなかったんですかね」

「健志さんの想像通りだと思いますよ。他にも健志さんに聞かせたいまいかの話はありますけど、キリがないですから」


 それはそうだろう。親子として長い時間を共に過ごしてきたのだから、一日掛けても語り尽くせないに違いない。

 機会があればまた話しますね、となみこさんは話題を閉じ、バスの車窓から外へ視線を向ける。


「もうすぐ広島駅に着くようです。ここから先の行方は掴めていないので、、気づいたことがあればなんでも言ってくださいね健志さん」

「わかりました」


 広島駅までは位置情報の履歴から類推で追ってこられた。

 しかし四通八達している広島駅からは、まいかさんの視点に立ち思考を読んで、行きそうな場所を虱潰しに探さないといけない。


「まいかのためにありがとうございます」


 バスを降りる間際に、なみこさんから再び感謝の言葉を貰った。

 助けになっているのなら、祖母との面会を蹴ってでも来たことに後悔は感じなかった。

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