かきまわす者たち

 翌日、浩市は何事もなかったかのように店を開けた。その顔つきは、少しやつれている。

 昨日、怪物の襲撃で四人のヤクザが殺された。その上、死体は全て湖の中に引きずり込まれてしまったのだ。浩市と理恵子は、ただ見ていることしか出来なかった。

 映画のワンシーンのような、一瞬の出来事だった。未だに夢でも見ているかのような気分である。普通に生きていたら……いや、裏社会に生きているものでも、まず遭遇しないだろう。

 前日には、警官の中里が殺されている。これまた一撃で殺し、死体を水中へと運んでいった。あいつは、いつの間にあんなに凶暴化してしまったのだろう。

 初めて出会った頃は、体は大きく力も強いが、妙に人懐こい奴だった。こちらの言葉や動きを真似たり、チョコレートバーを食べたりもした。一度は、浩市の命を助けたこともある。

 それが、今では人食いの怪物だ──

 あの人懐こかった生物に、何が起きたのだろう。もはや、人間との共存は不可能なのだろうか。そうは思いたくない。

 確かなことはひとつ。あいつは、いずれ他の人間にも見つかる。やがて、とんでもない騒ぎが起きるはずだ。そうなる前に、この土地を出ていこう。

 幸い、大金が入る見込みも出て来た。ならば、その金を元手に、別の土地でやり直そう……そんなことを思いつつ、浩市はカウンターに立っていた。

 もっとも、駐在の中里は死んだ。田山は、現在足を痛めて隠れている。本日は、ひとりの客も来ないはずだ。したがって、営業する必要もなかった。習慣ゆえに、店を開けていただけだった。

 ところが、今回も想定していなかったことが起きてしまう──




 午前十一時を回った頃。

 突然、車のエンジン音が聞こえてきた。浩市は、ビクリと反応する。まさか、ヤクザの別働隊がここを嗅ぎつけたのか。としたら、どうする?

 店内の空気は一瞬で凍りついた。やがて、車が駐車場に停まる。見れば、平凡な国産車だ。ヤクザとは考えにくい。

 車から降りてきたのは、四人の若者だった。裏社会の住人ではなさそうだが、かといって品行方正な勤め人とも思えないタイプだ。服装はバラバラで、顔つきや雰囲気に統一感がない。

 なんだ、こいつらは……などと浩市が思っている間にも、若者たちはこちらに歩いてくる。

 店内に入って来ると同時に、先頭にいた若者が口を開く。


「すみません、ここらに高田和夫って奴が来ましたよね。今、どこにいるのか知ってます?」


 一瞬、殴られたような衝撃が走った。

 まさか、ここで高田の仲間が現れようとは……一難去ってまた一難とは、このことだ。どこまでツキに見放されているのだろう。


「ああ高田くんね、この店にも二回来たな。それくらいしか知らないよ。駐在の中里さんが、行方不明だとか言ってたな」


 浩市は、どうにか平静な表情で答えた。しかし、胸の内では不安が渦巻いている。こいつらはどこまで知っていて、何をしに来たのか……まずは、様子見である。


「そうですか。実は、僕たち高田の友だちなんですよ。何日か前に高田が、この湖にとんでもないものがいるって連絡してきたんですよ。絶対にバズるネタだとも言ってたんですが。何だかわかります?」


 またしても、先ほどと同じ若者が聞いてきた。背は低く髪は金色で、肌は黒い。一見すると人懐こそうな雰囲気だが、図々しいタイプにも見える。

 この男がリーダー格なのか。あるいは、交渉係なのか。心なしか、こちらの意図を探るような顔つきになっている。

 いずれにしても、上手くごまかし立ち去ってもらうしかない。


「とんでもないもの? 知らないな。だいたい、とんでもないものって言われてもね……犯罪組織のアジトでも見たっていってたのかい?」


「あいつは、光司湖に怪獣みたいなのがいる、とかなんとか言ってましたね。この店のことも言ってましたよ」


 やはり、あの怪物のことだった。タイミングを計ったかのように、ピンポイントでトラブルが起きてくれる。なんという人生だろうか。浩市は、何もかもおっぽり出して、今すぐこの場から消えたくなっていた。

 もっとも、それが簡単に出来れば苦労はない。まず、こいつらをなんとかしよう。浩市は、笑いながらかぶりを振った。


「ウソウソ。あのね、俺は十年以上前からここにいるんだよ。そんな話、聞いたことないね。怪獣どころか、外来魚すら見たことないよ」


「でも、高田は言ってたんですよ。今回だけは本物だって。あいつはいい加減な男ですが、今回ばかりは妙に迫力があったんですよ。何も言わず、すぐに北尾村まで来てくれ。光司湖には、絶対に何かいる……って言ったんで、俺ら四人ここまで行くことにしたんです。そしたら、急に連絡とれなくなっちゃったんですよ。高田の奴、何やってんですかね」


 高田は光司湖に沈んでいる。だが、そんなことは言えない。浩市は、軽薄な態度で答える。


「だから、怪獣なんかいないって。君たちは騙されたんだよ。だいたい高田くんは、君らをわざわざ呼び出したというのに、行方不明になっているんだよ。おかしいだろう。バズるネタがあると思ったけど、よくよく見たら単なる勘違いだった。けど呼び出した手前、引っ込みがつかなくなって行方をくらましたんじゃないのかな」


 咄嗟に思いついたことを言ってみた。

 仲間内で大きな嘘を吐いた挙げ句、引っ込みがつかなくなり行方をくらます……これは、チンピラにありがちな行動だ。かつて、似たようなことを誠司もやっていた。

 しかし、相手は納得してくれなかった。


「いや、そうは思えなかったんです。本当にしつこいくらいメッセージが来てて、俺たちも閉口してたんですよ。で、まあ暇だし行って見るか……って決まった途端に、これですから。なんか事件に巻き込まれたのかもしれないですしね」


 そう、高田は事件に巻き込まれた。しかし、それは目の前にいる男たちとは何の関係もない。なぜ、わざわざ巻き込まれに来たのか。

 その時、別の考えが浮かんだ。


「それ以前に、ここらは不便だよ。泊まるところもないしね。駅近くのビジネスホテルまで行かなきゃならないよ」


 浩市の言葉に、若者は苦笑する。


「そうなんですよ。ここを調べる間、高田の家に泊まらせてもらう予定だったんです。でも、あいつがいない以上どうにもならないですね。まあ、せっかくここまで来たんで、他の人にもいろいろ聞いてみて、明日引き上げます」


「君たちも大変だね。まあ、気をつけて行きなよ」




 やがて店が終わると、浩市と理恵子はまっすぐに家へ帰る。

 誠司の部屋に行き、声をかけた。


「おい誠司、話があるから出てこい」


 返事はなかったが、しばらくして部屋の戸が開く。

 出てきた誠司は、死人のような顔をしていた。今まで、ほぼ寝っぱなしだったのだろう。 


「兄貴……どしたの?」


 気だるそうな口調で聞いてきた。

 浩市は手を伸ばし、誠司の腕を掴んだ。力まかせに居間に連れていき、畳の上に座らせる。


「えっ、何? 何かあったの?」


 聞いてきた誠司に、浩市は真剣な表情で切り出した。


「俺たちは、この家を出る。お前はどうするのか、自分で決めろ」


「どうすんだって、俺はまだ仮釈放が……」


 困惑した様子の誠司だったが、浩市は容赦のない言葉を投げつける。


「じゃあ、ひとりでここに残れ。俺と理恵子さんは、ここを出る」


「ちょっ、ちょっと待ってよ。何があったの?」


 そう、誠司は何も知らない。田山を追ってヤクザが来店していたことも、駐在の中里が浩市を脅迫していたことも話していなかった。


「説明してやる。お前が寝ている間に、何があったかをな」


 そう前置きすると、浩市は順を追って話し始めた。ヤクザが来たこと、駐在からの脅迫、そして一連の殺傷事件……。




「そんなことがあったのか……」


 聞き終えた誠司は、放心状態で呟いた。とても信じられない、とでも言いたげな表情が浮かんでいる。

 実のところ、浩市も似たような気分だった。出来ることなら、全て夢であって欲しい。

 だが、これは現実だった。逃げなければ、みな破滅する。


「そうだよ。ここ数日の間に、とんでもないことになっちまった。もう、ここにはいられない。よそに逃げるしかないんだよ」


「じゃ、じゃあ、俺はどうなるの? まだ仮釈放が残っているんだよ」


「お前の仮釈放なんか知らないんだよ。このままだと、ヤクザや警察が大挙してやって来るんだ。それに、湖の怪物だっておとなしくしていない」


「そ、そんな……」


「俺たちはな、自分たちのことで手一杯だ。もう、お前の面倒を見ている余裕はねえんだよ。だから、ここから先はお前が自分で決めろ。俺たちに付いて来るのか、ここに残るのか」


 浩市に言われ、誠司は無言で下を向く。

 少しの間を置き、口を開いた。


「わかった。兄貴たちと一緒に行くよ」


 ・・・


 その夜、湖の周りをうろつく怪しい男たちがいた。

 高田の友人と称していた者たちである。彼らには、引き上げる気などなかった。むしろ、浩市の態度が彼らのやる気を駆り立ててしまったのだ。


「高田の言う通りだったな。あの店、なんか怪しいぞ」

 

 先頭を歩く萩本晋也ハギモト シンヤが言った。昼間、浩市と会話していた若者である。このメンバーのリーダー格でもあった。今は懐中電灯を片手に、慎重に進んでいる。


「確かに、ちょっと変だった。けどよ、怪しいってほどでもないだろ。第一、この辺うろついてて警官に職務質問されたら、なんて答えるんだ?」


 尋ねたのは北村健吾キタムラ ケンゴだ。タバコを吸いながら、萩本の後を付いて歩いている。


「キャンプするとこ探してますとか、適当に言っときゃ何とかなるだろ。とにかく、湖の周りをもう少し調べてみようぜ」


「なあ、さっさと帰らねえか? なんか嫌な予感がすんだよ」


「何言ってんだ。ここまで来て、手ぶらで帰れるかよ。それに、高田が急に行方不明になったってのも怪しい。絶対、何かあるよ。」


 言いながら、北村は短くなったタバコを投げ捨てた。タバコは湖へ落ち、プカプカ浮かんでいる。

 その時、湖面に変化が起きた。

 にわかに泡が発生したかと思うと、水中から何かが飛び出した。高く跳躍し、彼らの前に降り立つ。

 巨大な生き物だった。二メートルを軽く超えており、人間のように二本の足で直立している。暗いために細かい形状などは見えないが、動物図鑑に載っているような生物でないのは間違いない。

 これこそが高田の言っていた怪獣であり、萩本らの探していたものであった。しかし、彼らは動けない。想像もしていなかったものが、いきなり目の前に現れたのだ。全員が唖然となって、ただただ見上げているだけだった


 怪物の方は、これから何をすればいいかわかっている。

 昨日に続き、またしても人間の声が聞こえできた。さらに、水中にタバコが投げ込まれた。タバコは嫌いである。匂いを嗅ぐだけで、殺意をかき立てられるのだ。怪物は怒り、地上へと上がる。

 見れば、目の前に餌がいた。しかも四匹。大量である。しかも、うち一匹は嫌いなタバコの匂いを発している。情けをかける理由はない。

 萩本らが動くより早く、怪物は襲いかかった。





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