ふたりとひとりの交流

 は、水中をのんびりと泳いでいた。

 先ほど、けたたましい音が聞こえてきた。甚だ不愉快だ。いったい何者なのだろうか。は、水面から顔を出して見てみた。

 予想より、遥かに小さなものだった。例の二本足で動く生き物が、虫のようなものに乗っている。

 二本足は、あの虫のような奴に乗って移動するものもいるらしい。となると、たまに通りかかる亀にも似た巨大な何か……あれにも、二本足が乗っているのだろうか。

 は、多くのことを学んでいった。魚には、いろいろな種類のものがいる。二本足にも、いろいろな種類がいるらしい。

 もしかしたら、二本足にも嫌な奴がいるのか。少なくとも、虫のようなものに乗っていた二本足は、どうも好きになれない。まず、あの音が嫌だ。そして、撒き散らす匂いも不愉快である。

 今度、この辺りに現れたら、捻り潰してやろうか……などと思っていた時だった。二本足の話し声と足音が聞こえてきた。

 この声には聞き覚えがある。いい二本足だ。しかし、今日は別の二本足と一緒にいるらしい。大丈夫だろうか。

 迷ったが、とりあえず様子を見てみることにした。は静かに泳ぎ、水面からそっと顔を出した。


 ・・・


 六時になり、浩市は店を閉めた。

 その後は、理恵子とふたりでのんびりと湖の周りを歩いている。一見するとのどかだが、両者の顔には疲労が浮かんでいる。

 それも仕方ないだろう。今日は、いろいろなことがありすぎた。誠司の知人である高田を出入り禁止にし、田山と今後のことについて話し合った。

 その後、駐在の中里が現れた。例によって無愛想な対応の浩市だったが、駐在も今回は引かなかった。妙にしつこく、わけのわからない話題を持ち出しては振ってくる。頭にきたが、かと言って「うるさい。帰れ」というわけにもいかない。

 仕方なく話を合わせたが、意味のない世間話に付き合うのは本当に疲れた。ようやく解放された時には、思わず座り込んでしまったくらいだ。


「田山のこと、どう思った?」


 浩市が尋ねると、理恵子は顔をしかめ口を開く。


「あれはヤバいね。本物だよ」


「やっぱりそうか」


「あたしの予想だけど、あいつは警察に追われてるわけじゃないと思う」


「じゃあ、何で隠れてんだろうな?」


「たぶん、ヤバい連中の金を盗んだんじゃないかな」


「えっ? ヤバい連中って……」


「ヤクザか半グレか、あるいはもっと危険な連中。外国人マフィアは、ヤクザなんかより遥かに怖いよ。人ひとりくらい、平気で殺す。しかも、殺した奴はすぐに高飛びする。あいつらには、関わんない方がいい」


 あまりにも物騒な言葉に、浩市は何も言えなかった。どうやら理恵子は、過去にそんな危険な連中と接触したことがあるらしい……。

 理恵子の方は、淡々と語り続ける。


「そういう連中の金は、盗まれても警察にほ届けられないケースが多いんだよ。その代わり、奴らはいろんなルートを駆使して地の底まで探すけどね」


「そうか……」


 浩市は、そこで口を閉じた。異変を感じ、湖の方を見る。

 湖面より、頭を出しているものがいた。あの怪物だ。顔だけを出して、ふたりをじっと見つめている。

 その時、浩市は腕をギュッと掴まれた。理恵子だ。震える体を、ピタリと浩市に密着させている。


「な、何あれ……」


 呟くように言った理恵子に、浩市はそっと囁く。


「あれが、前に言った怪物だよ。いきなり襲ってきたりはしないから、大丈夫だよ」


「本当に?」


「断言は出来ないけど、少なくとも人を食うような奴じゃないのは確かだよ」


 浩市が答えた時、怪物は動いた。そっと近寄って来たかと思うと、音も立てず岸に上がる。

 これまでは、騒々しい音を立てて現れたのだ。己の身体能力を誇るように、水面より高く跳躍して


「ア、イ、ア、オ、ウ」


「な、何を言ってるの……」


「たぶん、ありがとうって言ってるんだと思う。前に、こいつに言ったことがあるんだ。それが木に入ったみたいなんだよ」


 答えた後、浩市はポケットに手を入れた。チョコレートバーを取り出し、怪物に渡す。

 怪物は、手を伸ばす。その瞬間、理恵子の手に力が入った。目の前にいる怪物が、恐ろしくて仕方ないらしい。

 思わず笑みが溢れる。田山には堂々と対処していたが、この怪物相手では勝手が違うらしい。もっとも、浩市とて初めて遭遇した時はこんな感じだった。いや、理恵子よりひどかったかもしれない。

 怪物の方は、チョコレートバーを指でつまんだ。器用にビニールだけを剥がし、口の中に入れる。


「た、食べてる」


 横で見ていた理恵子が、唖然とした表情で呟く。こんな生き物が存在することだけでも驚きなのに、人間の手からチョコレートバーを受け取り食べている……確かに、奇妙な光景だ。

 一瞬で食べ終えた怪物は、浩市を見下ろす。が、その視線は理恵子へと移った。初対面の彼女を、値踏みしているようだ。


「あ、あたし、どうすればいいの?」


「動かなくていい。こいつ、意外と器用だし力の加減も知ってる」


 そう答えるしかなかった。怪物がその気になれば、自分たちふたりを殺すことなど造作もない。ならば、怒らせないように接していくしかないのだ。

 それに、浩市は怪物のことを信じてもいる。こいつは、人をケガさせたりはしないはずだ。

 この際、理恵子とも仲良くなって欲しい。


 怪物はというと、理恵子の頭に指で触れている。浩市の時と同じだ。理恵子の方は、その場で固まったまま動かない。

 やがて、怪物の手が離れた。直後、理恵子はその葉に崩れ落ちる。

 浩市は、慌ててしゃがみ込んだ。


「大丈夫か?」


「うん、大丈夫。それにしても聞くのと見るのとじゃ大違いだね。やっぱり怖い……」


 答えた理恵子。大丈夫、と言ってはいるが、顔色は良くない。考えてみれば、この怪物と初めて会った時、浩市もまた腰を抜かして倒れたのだ。

 怪物の姿そして巨体は、原始の記憶を呼び覚ます。人間が、捕食者に食べられていた時代。その記憶は、全ての人間のDNAに刻まれているのだろう。

 そんなことを思っていた時、怪物が動いた。両足を曲げ、低い姿勢で理恵子の顔を覗き込む。

 浩市は、すぐに察した。この怪物は、浩市の真似をしている。理恵子が崩れ落ち、浩市がそのそばでしゃがみ込むのを見て、怪物も同じ動きをしたのだ。


「ほら見なよ。こいつ、俺の真似してる」


「本当だ」


 理恵子は、くすりと笑った。すると、怪物の顔にも変化が生じる。彼女に向かい、口を開けてみせたのだ。

 奇怪な形状だった。鋭い牙がびっしりと生えているが、それよりも口の周りに付いているものが目を惹く。鋭い犬歯のようなものが四本、口の四隅を囲むかのように付いている。口が開くのと同時に、その犬歯もまた動く。どうやら、昆虫の小顎のような役割を果たすらしい。何とも異様な形だ。

 ようやく落ち着いたかに見えた理恵子だったが、その異様な口を間近で見て恐怖が再燃したらしい。またしても震え出した。

 浩市は、慌てて理恵子の肩に手を回した。


「大丈夫。怖くないよ」


 そう囁いた時、怪物が動いた。しゃがんだ体勢のまま移動し、理恵子のそばにピタリと寄り添う。

 次の瞬間、腕を動かした。長い腕を伸ばし、浩市の肩にそっと手を乗せる。

 何とも異様な光景であった。地面に座り込んだ理恵子を挟む形で、浩市と怪物がしゃがんでいる。しかも、怪物の腕は浩市の肩に乗せられているのだ。さながら、三人で仲良く肩を組んでいるような形だった。


「こ、浩市……これは、どうすればいいのかな?」


 震える声で、理恵子が囁く。


「大丈夫だよ。殺す気だったら、とっくに殺られてるから」


 浩市が答えた時だった。突然、静けさを破る騒音が響き渡る。浩市はハッとなり、思わず立ち上がった。

 騒音の正体は、バイクのエンジン音だ。見れば、一台のバイクが走っている。どうやら、浩市たちの家に接近しているようだ。

 これはマズい。浩市は、怪物の方を向いた。甲殻類にも似た異様な皮膚を、指で軽くつつく。

 しかし、怪物は彼のことを見ていなかった。その目は、騒音を出しながら走るものへと向けられている。

 と、バイクが停まった。上に乗っている人物は、こちらをじっと見ている。距離はかなり離れてはいるが、向こうからもこちらが見えているのは間違いない。怪物の存在に気づかれてしまったのだ。

 ついに、怪物が他の人間に見られてしまった……浩市は愕然となり、その場に立ちすくむ。バイクに乗っているのは、お調子者の高田である。あの男は、怪物を発見して黙っているような男ではない。必ず、ネットにて画像をばらまくはずだ。

 そう思った瞬間、浩市は動いた。すぐさま怪物の胸を指でつつき、次いで湖を指さす。早く湖に行け、というジェスチャーだ。

 しかし、怪物は動かない。じっとバイクの方を見ている。心なしか、先ほどまでと違う空気を発しているような気がした。ひょっとしたら、けたたましい音の主に敵意を抱いているのかもしれない。

 これはマズい。浩市は、思わず声を出していた。


「頼むから、今は湖に戻ってくれ!」


 叫びながら、必死で指で怪物をつつく。次いで、指を湖に向ける……というジェスチャーを繰り返す。浩市としても、もはやそれ以外に打つ手がない。

 と、怪物はようやく動いた。こちらの想いが通じたらしい。のろのろと、湖に入っていく。不満そうな様子で、水中に潜っていった。

 ホッとする浩市だったが、事態は既に動き出していた。再びバイクのエンジン音が響き渡る。見れば、高田がバイクにまたがり、こちらに向かって来るのだ。


「ど、どうする?」


 理恵子が、不安そうに聞いてきた。さすがの彼女も、立て続けに起きたことに頭が対応できていないのだ。


「仕方ねえ。あいつを説得するよ」


 答えた浩市だったが、実のところ説得できる自信はなかった。

 その間にも、バイクはどんどん近づいて来る。やがて、ふたりのすぐ近くで停まった。

 バイクから降りた高田は、勝ち誇ったような表情で口を開く。


「お兄さん、今のどういうことですか?」


 

 



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