協力
「何か、信じられない話だね」
全てを聞き終えた理恵子は、真顔でそう言った。
実のところ、浩市としても幻覚か何かであって欲しかった。父の死だけでも、充分に彼の手に余る事態なのだ。にもかかわらず、未知の怪物が湖から現れるは、裏社会の住人に秘密を知られるは、想定外の事象が次々と起きている。
本当に、大がかりなドッキリであって欲しい。
「言ってる俺自身も、嘘くさい話だと思うよ。でも、本当のことなんだ」
「浩市は、嘘のつけない不器用な男だからね。信じるよ」
そう言って、理恵子はくすりと笑った。しかし、すぐに真面目な顔に戻る。
「まず聞きたいんだけど、その怪物ってのは大丈夫なの?」
「断言は出来ないが、今のところは大丈夫だ。俺たちに危害を加える気はないらしい。ただ、人間に対する警戒心もないらしい。最近では、俺の前に平気で姿を現すようになった。もし、他の人間に見つかったら大変な騒ぎになる。マスコミが押し寄せてきたら、俺たちは終わりだ」
「確かに、その通りだね」
頷く理恵子。そう、遅かれ早かれ、あいつは他の人間に見つかる。その前に、せめて死体だけは始末しておかねばならないのだ。
にもかかわらず、誠司の奴は……などと考えていた時、理恵子が口を開いた。
「この先はどうするの? やっぱり、田山に言われた通りにするの?」
「そのつもりだよ。いつまでも、親父のことを秘密にしたままには出来ない。行方不明者として届けだけは出しておくよ」
「あたしも、それは賛成だよ。ただしね、ひとつ問題がある。誠司くんが、このままシャブをやり続けてたら、どうなると思う?」
「それは……ヤバいよな」
「ヤバいなんてもんじゃないから。このままだと、シャブでおかしくなった挙げ句に、事情を聞きにきた警官を刺すかもしれない」
聞いた瞬間、浩市は顔を歪める。さすがの誠司も、そこまではしないだろう。
「えっ、いくらなんでも、そこまでは……」
「有り得るんだよ。シャブはね、そういう薬なの。誠司くんみたいなタイプは、あっという間におかしくなっていくから」
ピシャリと言ってのける理恵子に、浩市はそれ以上何も言えなかった。
彼女から目を逸らし、思わず嘆息する。考えてみれば、覚醒剤など浩市とは無関係のもののはずだった。テレビやネットの中で見かける単語であり、現実の浩市とは一切かかわりのないもの。たとえるなら、幽霊や宇宙人などと同じくらい縁遠い存在のはずだった。
そんなものが、いつの間にか浩市の生活に入り込んで来ている。しかも、誠司の手によって……。
こんな時でなければ、誠司を警察に突き出して終わりだろう。しかし、今それは出来ない。
今になって警察に突き出すくらいなら、あの時にやっておくべきだったのだ……。
「あのバカ、どこでそんなもの覚えたんだろうな」
気がつくと、そんな言葉が口から出ていた。すると、理恵子がすぐに答える。
「たぶん刑務所だろうね。刑務所は、犯罪者を集めて共同生活させてる場所だよ。あんなところで、更生なんか出来るはずないから」
おそらく、彼女の言う通りなのだろう。
誠司は、少年刑務所に入った直後、散々いじめられていたらしい。そんな場所で上手くやるため、犯罪者たちに媚びへつらい話を合わせた。結果、犯罪者たちと繋がりが出来てしまった。
その繋がりが、出所した後も誠司に付きまとっている。
そんなことを考えている浩市に、理恵子は語り続ける。
「まあ、誠司くんのことはひとまず置いとくとして、計画通りにいったら、その後はどうするつもりなの?」
「もちろん、この店は潰すよ。その後は、ここを離れる。誠司のことは、もう放っておくよ。好きなようにやらせる。何かあっても、俺はかかわらない」
「それが正解だよ」
頷く理恵子。
その時、浩市はあることを思い出した。以前、フッと頭に浮かんだ考えだ。もっとも、当時はその考えを実行する気などなかった。
しかし、今となっては一番正しいのではないか。浩市は、そっと口を開いた。
「なあ理恵子さん、これ以上俺たちに付き合わなくてもいいんだよ」
「どういうこと?」
理恵子の目が吊り上がる。気分を損ねたらしいが、浩市は構わず続ける。
「これ以上、俺たちと一緒にいると、万一の時は理恵子さんまでパクられる。今のうちに、知らん顔して逃げてもいいんだよ。このままだと、とんでもないことになるかもしれない。何だったら、俺たちのことを警察に通報してもいいよ。そうなれば、理恵子さんはパクられずに済むかもしれないし」
浩市は、出来るだけ冷静な口調で言った。
結局のところ、理恵子は巻き込まれてしまっただけだ。父のことでも弟のことでも、彼女には迷惑のかけっぱなしだった。これ以上、迷惑はかけられない。
それに、正直いうなら浩市も疲れてきた。次から次へと、予想もしなかったことが起きている。それに対し、いちいち考えを巡らすことが嫌になってきたのだ。
こうなったら、自分たち兄弟の運命を理恵子に委ねる。彼女が浩市たちを警察に売るというなら、それは仕方ないことだ。
理恵子はというと、ふうと大げさな動きで溜息を吐いた。直後、口を開く。
「しっかりしなよ。あのさ、逃げられるもんなら、とっくに逃げてる」
そんなことを言いながら近づいてきた。かと思うと、浩市の肩にパンチを入れたのだ。
そして、ゆっくりと語り出した。
「あたしはね、健人さんと結婚した時に決めたんだよ。どんなことがあっても我慢しよう、ってね。それに、当時のあたしには居場所がなかった。だから、健人さんに頼るしかなかったんだよ。だけど、あんなことになるなんて思ってなかった」
あんなこと、とは父を襲った脳梗塞だろう。
病に倒れた後、手足が不自由になり杖なしでは立ち上がることすら出来なくなっていた。にもかかわらず、理恵子は健気に尽くしていた。健人の言うことは何でも聞いていたし、逆らったこともない。
「浩市は、あたしを助けてくれた。浩市がいなかったら、あたしが健人さんを殺していてもおかしくなかったよ」
その言葉は、浩市の心を打った。
父の暴力を見かねて理恵子を連れ出した時、彼女は泣いていた。当時、その涙は父の暴力によるものだと思っていた。
今は違う。あの時、理恵子は己の運命を嘆いていたのだ。まともに生きる、そう決意して安藤の家に嫁いだ。
しかし、あの時に限界を迎えてしまった。このままでは、健人を殺してしまうだろう……その時を予感し、泣いていたのだ。
「だから、今度はあたしの番だよ。あたしが浩市を助けてあげるから。必ず乗り切れるよ」
そう言って、理恵子は微笑む。その姿は頼もしかった。
同時に、憐れみも感じた。彼女は普通に生きたかったはずなのに、どんどん普通ではない状況に巻き込まれていっている。
自分と同じだ──
「俺は、何がしたかったんだろうな」
ふと、そんな言葉が口から出ていた。
「えっ?」
「俺はさ、家を出て静かに暮らしたかったんだ。大それた夢なんてなかったし、波風を立てず平穏に暮らしたかったたけなんだよ」
語りながら、この家を出た当時のことを思い出していた。
あの時は、本当に嬉しかった。やっと、この家を出られる。家族も、村の人間とも永遠におさらばできる。
都会に対する憧れなど無かった。ただ、この家よりもマシに暮らせる……としか思っていなかった。実際、東京での生活は孤独だったし、暮らしぶりも貧相なものだった。しかし、それでも生活には満足していた。
ところが、何の因果か
「それが、こんなことになっちまった。どんどん普通じゃなくなってるよ」
そう言って、浩市は笑った。もちろん、おかしくて笑ったのではない。自嘲の笑みだった。
その時、理恵子がすっと身を寄せてくる。浩市の首に、両腕を回した。
「あたしだって、そうだったよ。あたしも、普通に生きたかった。だから、健人さんと結婚した。なのに、こんなことになってる」
耳元で囁く。浩市は無言で頷き、彼女の体に腕を回した。だが、理恵子の言葉は終わってはいなかった。
「でもね、浩市は違う。浩市の人生が普通じゃなくなっているのには、ちゃんとした原因がある。その原因は誰にあるのか、わかってるよね」
「わ、わかってるよ」
うろたえつつも答えたが、理恵子はなおも囁く。
「誠司くんを切らない限り、浩市は永遠に足を引っ張られ続けるよ。あたしはね、ああいう人間を何人も見てきた」
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