かき乱す者

 その日も、浩市は店を開けていた。当然ながら、客など来ない。したがって、儲けもない。

 しかし、浩市は今の状況に感謝していた。客が来ないということは、今日もいつもと変わらぬ一日だということだ。つまりは、トラブルなく過ごせる。




 昼になり、田山が入ってくる。いつもと同じく、メガネをかけマスクを付けている。田舎町では、かえって目立つ気がするが、田山なりの考えがあるのだろう。

 彼は入って来るなり、当然のようにカウンター席に座る。声をひそめ、話しかけてきた。


「誰も来てないな?」


「はい。見ませんでしたよ」


 浩市もまた、決まりきった答えを返した時だった。突然、どこからかエンジン音が聞こえてくる。バイクのものだ。

 途端に田山は、パッと視線を移す。浩市も、つられてそちらを向いた。

 ひとりの若者が、店の外にバイクを停めているのが見えた。身長は高くもなく低くもない。痩せた体つきで、Tシャツの袖から覗く腕は棒のように細い。

 被っているのはハーフヘルメットのため、顔はガラス戸越しにもよく見える。軽薄そうな表情を浮かべており、知性や教養などは感じさせない風貌だ。繁華街をうろついている頭の悪そうな若者、という印象である。

 浩市はそれとなく観察してみたが、相手の顔に見覚えはない。おそらく、村の人間ではないだろう。

 いったい何者だろうか。旅行者かもしれない……などと思った時だった。田山が、すっと立ち上がる。


「余計なことは言うなよよ」


 言った直後、トイレの中に入っていったのだ。浩市の表情も一変する。いったい何者だろう。平静を装いつつ、様子を見る。

 数秒の後、若者が店に入ってきた。店内を見回し、浩市を見るなり表情が変わる。オッ、とでも言いたげな顔つきだ。

 直後、若者はペコリと頭を下げる。


「あっ、どうもどうも。お久しぶりです」


 馴れ馴れしい口調だ。お久しぶりですなどと言っているが、こちらには全く覚えがない。戸惑いつつも挨拶を返した。


「はあ、どうも」


 普通の店なら、笑顔で「いらっしゃいませ」くらいのことは言うだろうが、浩市は会釈しただけだった。ただし、鼓動は早くなっている。脇には、じわっと汗が湧き出ていた。

 目の前に現れた男は、ひょっとしたら田山と敵対する者なのかもしれない。つまりは、裏社会の人間の可能性がある、ということだ。

 田山について聞かれたら、何と答えようか……などと思いつつ、相手の出方を窺う。

 次の瞬間、予想だにしなかった言葉が出る。 


「あの、誠司くんいます?」


 いきなりこんなことを聞かれ、浩市は言葉が出なかった。まさか、弟の名前がここで出てくるとは……。

 少しの間を置き、そっと聞き返す。


「すみませんが、どちらさんですか?」


「あっ、あの……僕は誠司くんと同じ中学校にいた高田和夫タカダ カズオです。えっと、浩市くんですよね?」


 くん付けで呼んできた。おそらくは、誠司と同じく少年時代にさんざん悪さをしていたタイプだろう。なぜか知らないが、不良少年の特徴のひとつとして、先輩をくん付けするというものがある。

 となると、かつて誠司とツルンでいた不良仲間かもしれない。


「そうだよ」


 素っ気ない態度で答える。


「ああ、やっぱり。浩市くん、有名だったんですよね。昔は、ハンパなく怖かったっス」


 ヘラヘラ笑いながら言ってきた。本当に有名だったのかは知らないが、浩市が不良連中たちからも一目置かれていたのは間違いない。

 当時の浩市は、家に帰れば父親に理不尽なことを言われ続けていた。逆らえば殴られ、常にイライラしている状態だ。ささくれだった神経に触る者がいれば、容赦なく殴り倒していた。家庭で受けたストレスを、外での暴力で発散していたのだ。もともと腕力は強かったし、父を倒すため脇目を振らず鍛えていた。同年代の不良少年など、相手にならない。容赦なく叩きのめしていった。

 暴力による虐待を受けて育ってきた少年は、基本的におとなしく自己主張の下手な者が多い。だが、逆に暴力的な性格になるケースもある。自分よりも弱い者に暴力を振るい、心の中のバランスを保とうとするのだ。

 浩市にも、そうなりかけていた時期があった。もし中学三年生の時に、父のあの怯えきった顔を見なければ、さらに暴力を振るい続けて不良少年の仲間入りをしていたとしても不思議ではない。

 ひょっとしたら、誠司も父からの暴力により同じものを感じていたのかもしれない。その苛立ちが、腕力のない彼を犯罪へと駆り立てたのだろうか。

 自分と弟の立場が、入れ替わっていた可能性もあるのだ。

 

 複雑な気持ちになっている浩市だったが、高田の方は軽い口調で話を続ける。


「まあ、俺のことは誠司くんに聞けばわかりますよ。昔は、よく遊んでましたから」


「そうか」


 言われてみれば、後輩にそんな名前の者がいたような気もする。だが、今頃になって何をしに来たというのだろうか。

 その答えは、聞くまでもなかった。向こうから、勝手に語ってくれた。


「今まで東京にいて、いろいろやってたんですよ。で、一昨日から北尾村こっちに帰って来ましてね」


 なるほど、東京にいたのか。おそらくは、夜中にバイクを走らせ帰って来たのだろう。実際、店の営業時間中にこんな派手な音を鳴らすバイクが通ったら、気づかないはずがない。

 それにしても、面倒な奴が帰ってきたもんだ……などと思う浩市に向かい、高田は一方的に話し続ける。


「久しぶりに、誠司くんとも会ってみたくなったんですよ。今、どこにいますか?」


「今、出かけている。どこにいるかは、わからないな」


「そうですか……」


 残念そうに言ったが、直後にポケットに手を突っ込む。中から、ノートの切れ端のようなものを取り出した。


「ここに、僕の連絡先が書いてあります。高田が会いたがっていたと伝えてください」

 

「うん、わかった。伝えておくよ」


「お願いしますね。じゃ、失礼します」


 そう言うと、高田は店を出ていった。バイクにまたがり、派手なエンジン音と共に去っていく。

 同時に、トイレから出てきたのは田山だ。


「なんだ今のは?」


「さあ……誠司、いや弟の同級生だったみたいですね」


「どんな奴だったか覚えてるか?」


「俺にはわからないですね。誠司に聞いてみないと、何とも言えないです」


 浩市の言葉に、田山は眉間に皺を寄せた。


「まあ、どんな奴だろうが構わない。だがな、あいつにこの辺りをうろうろされたら、面倒なことになるぞ。それはわかるな?」


「はい、わかります」


 頷く浩市。確かに面倒だ。わけのわからないチンピラに誠司の周辺をうろうろされたら、何かの拍子にうっかり口を滑らせてしまうかもしれない。

 どうしたものが……と思った時だった。田山の口から、とんでもない言葉が飛び出る。


「いっそのこと、弟をしばらく追い出したらどうだ?」


「えっ?」


「仕方ないだろ。どういう事情か知らんがな、あいつは弟と会いたがっている。てことは、弟さえいなきゃ、あいつはここに来ない。違うか?」


 確かに、その通りだ。しかし、それは出来ない。


「そうしたいんですけどね、無理なんですよ」


「何でだよ?」


「誠司は今、仮釈放中の身なんですよ。保護司に無断で家を離れたら、あいつはまた刑務所に逆戻りです。ここを離れるには、それなりの理由が必要なんですよ」


 そう、仮釈放にはきっちりとした帰住地が必要だ。仮に誠司がここを出て行方不明になった場合、仮釈放は取り消しになるのだ。

 黙り込んだ田山に向かい、浩市はさらに語り続ける。


「ただ逆戻りするだけならいいですが、弟はバカですからね。下手すると聞かれもしないことまで喋るかもしれません」


 聞いた途端に、田山はチッと舌打ちした。だが、浩市は追い打ちをかける。


「それに、死体もまだ始末できてないんですよ。あいつには、死体を始末させないといけません。まずは、そちらが先です」


 そう、誠司には父の死体を始末してもらわねばならない。肉を切り刻み、骨を砕き、湖に捨てる……こんな作業、絶対にやりたくない。

 だからこそ、誠司にやらせる。奴には、仕出かしたことの後始末をきっちりとやってもらわねばならないのだ。


 少しの間を置き、田山は口を開いた。


「弟に、俺のことは話していないよな?」


「はい、話していません」


「そうか。まあ、とにかく上手くやってくれや。でないと、シャレならんことになるぞ」




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