田山との会話
朝の九時、浩市はいつも通りに店を開けた。本音を言うなら、ほとんど客も来ないような食堂など、閉めっぱなしにしておきたい。
しかし、開けないわけにはいかなかった。もし店を閉めていたら、駐在の中里は、何が起きたのかと家まで聞きに来るだろう。あの男と、誠司を接触させたくない。
万一、両者が会話でもしようものなら、誠司の挙動不審な言動を目にした中里は、何かに気づくだろう。奴はただでさえ、前科者の誠司を色眼鏡で見ているのだ。
警察に目を付けられたら、その時点で終わりである──
十一時を少し過ぎた頃、店の扉が開く。入って来たのは田山だった。あいも変わらぬ紺色のジャージ姿だ。メガネをかけ、口元をマスクで覆っている。
その田山は、入って来るなりカウンター席に腰を下ろした。浩市の、すぐ目の前だ。
おや? と思った。普段、この男は奥のテーブル席に座っている。カウンター席に座ったのは初めてだろう。
しかし、そんな違和感など吹き飛ばしてしまう事態が起きる。田山は、おもむろに口を開いた。
「旅行者は来てないな?」
「はい」
答えた浩市。いつも通りのやり取りだ。しかし、ここからは違っていた。田山は、顔を近づけて囁いた。
「昨日のあれ、聞かせてもらったよ」
その瞬間、心臓が口から飛び出そうになった。昨日のあれ、とは……どっちのことだろうか。怪物との接触か、あるいは誠司との会話か。
どうにか笑顔を作り、聞き返した。
「えっ……な、何をですが?」
「とぼけんな。昨日、怪獣みたいなのが出ただろうが。その後、弟ともデカい声で話してたな。俺は、全部見せてもらったし聞かせてもらった」
冷静な口調だった。メガネ越しにこちらを見る目には、普段とは違う何かが宿っている。浩市は、どうすればいいかわからなかった。
しばらくの間、両者は無言のままじっと睨み合う。浩市は、田山という男が何者なのか全く知らない。ただ、まともな仕事はしていないということは何となくわかる。そういう人種にあれを知られてしまったら、何を要求してくるか……。
しばしの沈黙の後、先に口を開いたのは田山だった。
「おいおい、そう怖い顔するなよ。俺も、警察やマスコミに来てもらったら困る身だよ。お前らと、立場は似てる。だから、お前ら一家をどうこうするつもりはない。むしろ、お前らとは運命共同体だってことを言いに来たんだよ」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。お前らを脅迫したところで、金は引き出せそうもないからな」
そう言って、田山ほ目を細める。ひょっとしたら、彼なりの冗談なのかもしれない。なにせ、マスクを付けているせいで表情が読みにくいのだ。
浩市の方は、笑顔になっていた。ただし、その表情は引きつったものである。まだ、安心は出来ないのだ。
そんな浩市に、田山は話を続けていく。
「確認のため聞かせてもらうが、お前の父親を弟が殺しちまった、そういう解釈でいいんだな?」
「いえ、あれは事故です」
そう、あれは事故だったらしい。らしい……というのは、浩市は直接見ていないからである。
・・・
あの日、浩市は店にいた。
義理の母である理恵子も、店を手伝いに来ていた。もっとも、当然ながら客など来ていない。客として来店したのは、田山と駐在の中里だけだった。浩市と理恵子は、店の奥で他愛ない会話をしていた。
そんな緩い空気を、一変させたのが誠司だ。いきなり店に飛び込んできたかと思うと、浩市に向かい叫ぶ。
「兄貴! 早く来てくれ!」
いったい何事が起きたのか。
急いで帰宅してみれば、父が倒れていたのだ。その横では、誠司が死人のごとき顔つきで父のことを見下ろしている。
浩市は初め、何が起きたのかわからなかった。ふたりの様子に異様なものを感じ立ち尽くしていると、誠司がようやく口を開いた。
「兄貴……俺、親父を殺しちまった」
・・・
誠司は言っていた。父と口論になり、挙げ句に杖で殴りかかってきたから、止めようとして突き飛ばした。すると、呆気なく吹っ飛んでいき仰向けに倒れた。頭を冷やさせるため、そのまま放置することにした。しばらくして、死んでいることに気づいた……と。
これが本当であるなら、事故以外の何物でもないだろう。
しかし、田山はそんな事情など関係ないらしい。
「事故? んなこたぁどうでもいいんだよ。問題なのは、お前んとこの親父さんが死んでるってことだ。それで、死体は今どうなってる?」
この男にとっては、事故と殺人の違いなど些細なもののようだった。容赦なく詰められた浩市は、弱り果てた顔で答える。
「えっと……あの、店にあります」
「店? あのな、匂いとか大丈夫かよ?」
「今は大丈夫です。凍らせてありますから」
途端に、田山の眉間に皺が寄る。目つきも鋭くなった。
「てことは、冷凍庫の中か? デカい冷凍庫で凍らせてんのか?」
「はい」
聞いた瞬間、田山は溜息を吐いた。
「まあ、そうするより他はねえよな。あとな、もうひとつ聞きたいことがある。ここ最近、付近に住んでいる誰かが行方不明になった話を聞いたことがあるか?」
「えっ? 行方不明者ですか?」
何を言い出すのだろうと思いながらも、浩市は記憶を探ってみる。
すぐに思い出した。
「半年くらい前に、村の人間が行方不明になったそうです」
「その時、どんな感じだった? 捜索隊とか出たのか? みんなで、山に入って探したりしたのか?」
「いや、それはしてないですね。駐在の中里が来て、ビラを置いていっただけです」
そう、あれは半年前のことだった。誠司が帰ってくる少し前の出来事である。
あの日、いつもの通り中里が現れた。浩市にビラを渡しできた。山崎さんとこの爺さんが行方不明になったから、もし見つけたら知らせてくれ……とも言っていた。
山崎は、北尾村の住人である。名前は聞いた記憶はあるが、顔を見たことはない。この北尾村での、久しぶりの事件だ。
もっとも、中里の表情にやる気は感じられなかった。村の自治会も、動く気配はなかった。念のため山崎にも連絡し、見つけたら知らせますから……とは言っておいた。だが、それだけである。
あれから何の連絡もない以上、見つかっていないのだろう。おそらくは、既に死んでおり骨だけのはすだ。
そんな事件があったことすら忘れていた。
「なんだそりゃあ。いい加減な連中だな」
拍子抜けしたように呟く田山だったが、直後に声の調子が変わる。
「しかしな、そいつはむしろ好都合だぞ。ひとつアドバイスさせてもらうとだ、死体は始末しろ」
「始末?」
「そうだ。肉は細かく切り刻んで、湖の中に捨てるのが手っ取り早い。骨も、ハンマーで細かく砕いて湖に捨てるんだ。できれば砂利くらい細かくするのがベストだな」
「そのまま沈めちゃ駄目なんてすか? 細かく切り刻まないといけないんですか?」
「駄目だ。ちゃんと切り刻まねえと、死体が浮かんでくるかもしれないからな」
物騒な話を、田山は事もなげに語っていく。聞いている浩市の方は、思わず顔をしかめていた。
生前の父は料理人だった。そのため、肉切り包丁などは店の厨房に置かれている。ただし、浩市はそれらを使ったことはない。幼い頃は、包丁類に触れただけで怒鳴られ殴られたのだ。父は、商売道具を大切にしていたようだが……正直いって、そんなものなど使いたくない。
しかも、切り刻むのは父の遺体である。あの肉切り包丁を使って、本来の持ち主だった父をミンチに変えろというのか。想像するだけで気分が悪くなる。
とはいえ、こうなった以上はやるしかない。ならば、誠司にやらせよう。あいつが父を死なせてしまったのだし、警察を呼ばないよう頼んできたのもあいつだ。ならば、あいつに後始末をさせるしかない。
頭の中で様々な考えを巡らせる浩市に向かい、田山はなおも語り続ける。
「その後で、行方不明届けを出しとけ。家族で、上手く筋書きを考えて口裏を合わせるんだ。警察に何を聞かれても、その筋書き通りのことを言い続けるんだぞ。ただし、通報するのは俺が消えてからにしてくれ」
「えっ、どういうことです?」
「お前らと同じく、俺もちょいとやらかしちまってな。日本を出なきゃならないんだよ。そのための準備に、少しばかり時間が必要だ。早けりゃ一週間、遅くても二ヶ月以内には、ここを出ていく。届けを出すのは、その後だ。わかったな?」
「わかりました」
「それよりもだ、問題はあの怪物だよ。あいつはおとなしいようだが、他の奴らに見つかったらヤバいぞ。駐在の中里なんか、真っ先に騒ぎ立てるだろうな。挙げ句に、マスコミだのアホなユーチューバーだの何だのが、畑を襲うイナゴの群れみたいに押し寄せて来るぞ。いや、下手すりゃ世界的なニュースになるかもしれねえ。そしたら、海外からもマスコミが押しかけてくるな」
浩市は頷いた。確かに、あれはとんでもない存在だ。おそらく、新種として生物学史に名が残るだろう。
しかし、浩市は生物学などどうでもいい。死体処理と同じくらい考えねばならないのは、あの怪物をどうするか……である。
「どうしたもんでしょうね。今のところ、目立つ動きはしていませんが、あの巨体だと否応なしに人目につきますよね」
そう答えた浩市に、田山はとんでもないことを提案した。
「あいつを殺せるか?」
「殺すんですか……」
呟くように言いながら、昨日のことを改めて思い出してみた。
二メートルを超える巨体。八十キロを超える体格の浩市を、片手で掴んで軽々と持ち上げられる腕力。しかも、皮膚は異様に硬かった。指で触れられた感触はゴツゴツしており、刃物くらいでは通らないだろう。
「正直、あんなのを殺せる自信はないです。バズーカ砲でもないと無理でしょうね」
冗談のつもりだった。緊迫した空気を和らげるためにそんなことを言ったのだが、返ってきたのは想定外のものだった。
「バズーカは無理だが、
愕然となり、田山の顔をまじまじと見つめる。咄嗟に言葉が出なかった。チャカが拳銃の隠語であることは知っているが、そんな物騒なものを持っているというのか。
田山は、平静な表情でこちらを見つめ返してくる。その顔を見るに、嘘でも冗談でもないらしい。
「えっ……チャカって、拳銃ですよね?」
念のため聞いてみると、うんと頷いた。
「ああ。どうする? やれるか?」
「いや、ちょっとそれは……」
浩市は言いよどむ。
仮に拳銃があったとしても、あの怪物を殺せるだろうか。巨大な体で、皮膚も硬い。拳銃程度の武器では、殺せるとは思えない。一発で殺せなければ、奴は怒り狂い向かって来る。こちらは、一撃で殺されるだろう。
そんな思いを察したのか、田山が顔を近づけてきた。
「仕方ねえ。奴はほっとこう。だがな、これだけはわかっておけ。このままだと、遅かれ早かれアレは誰かに発見される。そうなったら、マスコミがここに押し寄せてくるんだ。後のことは、言わなくてもわかるな?」
ドスの利いた声だ。その迫力に押され、浩市はウンウン頷いた。額には、汗が滲んでいる。
そんな浩市を見て、田山はふうと溜息を吐いた。
「お前たちはまず、死体を始末することを考えろ。全ては、それからだ」
先ほどと違い、静かな口調だった。浩市は頷いたが、そこでひとつの疑問が浮かぶ。
「あの、もし万が一マスコミが来たら、田山さんはどうするんですか?」
「そん時は仕方ない。逃げるしかねえだろ。ここは身を隠すにはちょうどいい場所だし、離れたくはねえ。だが、今マスコミに来られちゃ逃げるしかねえよ。俺はそれでいいが、お前らは逃げられねえだろうが」
そうなのだ。浩市には、あの家族を放っていくことは出来ない。なぜなら、長男だからだ。
(お前は長男だから、しっかりするのよ)
実の母にいわれた言葉が蘇る。
その時、田山の声が聞こえてきた。
「そんなわけだからよう、ミックスフライ定食くれよ。やっぱり、飯はちゃんと食わねえとな」
「はい」
答えた浩市は、厨房へと入っていく。今は、あの正体不明の男を信じるしかない。
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