第143話 本物、偽物
広く豪華な部屋の中、私は端っこに置かれたベッドの上で膝を抱えて座っている。
ベッドは大きくて、私一人が膝を抱えて座るくらいじゃまだまだスペースは埋まらないくらい。
ここは私の部屋じゃない。碧ちゃんの部屋でもない。私の知らない、豪華なだけの部屋。
「あれ、まだ拗ねてるの?」
そんな部屋に一人の訪問者が。
私は部屋に入って来た彼女に視線を向ける。
私とそっくりな、けれど、絶対的に私ではない少女。
「睨まないでよ。ちょっとお話しに来ただけだって」
「……家に帰して」
「それはダメ。それに、あそこは貴女の家じゃないでしょ?」
「私の家よ!!」
「いいえ、違う。あそこは私とお兄ちゃんと、お母さんとお父さんの家。偽物の貴女には元から居場所なんて無いのよ。……
「私は偽物じゃない!!」
「偽物よ。じゃあ貴女、小さい頃の事思い出せる? 私は思い出せるわよ。まぁ、忘れてしまってる事もあるけど。それでも、ちゃんと思い出せるわ。貴女はどうなの? 本物なら、小さい頃の思い出を語ってみせなさいよ」
「そ、れは……」
言われ、必死に思い出そうとするけど、何も思い出せない。
小さい頃の事なら、何かしら思い出せるはずだ。兄さんの事だけじゃなくて、自分の事も一つや二つくらい思い出せるはずなのだ。
けど、何一つとして思い出せない。小学生に上がった頃くらいの記憶はあるのに、それ以降の記憶がどうやっても思い出せない。
私は、兄さんと同じ幼稚園に通っていたはずだ。兄さんとよく遊んでたって、母さんも言ってた。写真だってある。運動会、遠足、夏祭り、旅行……色んな写真を見てきた。
「……っ」
はずなのに、私は何一つ思い出せない。
思えば、写真を見た時も実感が無かった。そんな事もあったんだな程度にしか、思っていなかった。
小さい頃だから憶えていないんだって思っていたけど、もしかしたら……。
「思い出せない? そうだよね。だって小学生に上がる前にお兄ちゃんと一緒に居たのは私なんだもん」
不安に揺れる私に、彼女は構わず続ける。
「幼稚園の遠足で動物園に行ったんだけど、お兄ちゃんと一緒に馬に乗ったんだよ。ふれあいコーナーでおっきな犬に驚いて泣いちゃった私の手をお兄ちゃんが握ってくれて、一緒に兎を撫でてくれたの」
嬉しそうに、思い出に浸るように、私の知らない兄さんとの思い出を語る。
「家族で旅行に行った時はね、旅館でお兄ちゃんと一緒の布団で寝たんだ。知らないところで寝付けなかった私の頭を、お兄ちゃんは優しく撫でてくれたんだ」
やめて。
「幼稚園で肝試しをしたときはね、怖がる私の手を引いてお兄ちゃんが一緒に歩いてくれたの。お兄ちゃんも怖がってたのに、無理して笑って一緒に歩いてくれたの。後でお母さん達に会った時にお兄ちゃん泣いちゃって、それを見て私も泣いちゃったんだ」
知らない。
「運動会の時はお兄ちゃん凄かったんだよ? かけっこの時、スタートで転んじゃったのに一気に全員抜いて一位になったんだから」
私は……。
「あ、深紅くんも凄かったなぁ。最初からぶっちぎりで一位だったんだよ? 碧ちゃんはその頃はあんまり運動得意じゃなかったから、転んで泣いちゃってたっけ」
私は…………!
「そうだ! プールに行ったとき――」
「もう止めて!!」
耳を塞いで、私はそれ以上何も聞かないようにする。
知らない。今言った事を、私は知っているはずなのに、何も知らない。写真で見てきた。見てきたはずなのに、何も知らない……!! 分からない……!!
耳を塞いで
分かった……分かったから、もう……!
「……分かった? 如月花蓮は貴女じゃない。この私よ。あの家に帰るのも私、お兄ちゃんの妹も私、お父さんとお母さんの娘も私。偽物の貴女なんかじゃないのよ」
聞きたくないのに、言葉が耳に入ってくる。手で塞いでるのに、聞きたくないのに……。
「無駄な抵抗もせず、貴女は私の中で消えて。それだけで、全部丸く収まるんだから」
彼女は最後にそれだけ言って、部屋から出て行った。
「…………っ」
膝を抱えて
私は偽物。多分、彼女の言い分は本当なのだろう。
私は彼女と別たれ、その時に生まれた後出しの人格。
本物の如月花蓮は、私の知らない記憶を持っている彼女なのだろう。
私は偽物……でも、それでも……。
「助けて……お兄ちゃん……!!」
消えたくない。
〇 〇 〇
「よろしいのですか? あのように追い詰めてしまって」
「良いわよ、別に。どうせ私の中に
それに、長年私の代わりに兄さんの傍に居たのだ。少しくらい言葉が荒っぽくなってしまっても仕方ない。
兄さんの本当の妹は私だ。決して、あの偽物ではない。そこだけは、何があっても譲れない。
「それとも何? 今回の計画、あの子の心が乱れてるだけで成立しないような、そんな
「いえいえ。可能性の特異点の力もあります。それに、貴女様方を戻すのに心象は関係ありません」
「そうでしょう? なら良いじゃない」
少しくらい、いじめたって。
ずっと、ずっと待ったのだ。
私が二人になった時、ヴァーゲから聞かされた。
『貴女様を元に戻す事は可能です。ですが、それには大きな力と多大な年月が必要です。だから、暫くの間我慢してください』
幼い私には難しい事は分からなかったけれど、私が元に戻る事、それには何年もかかる事が分かった。
ファントムの世界は悪いところではなかった。皆優しくしてくれたし、子供達と一緒に遊んだり、喧嘩したり、時には皆で大人に怒られたりもした。
うん、楽しかった。今でも皆は私の友達だって心の底から言える。
この世界には朝が無い。何せ日が昇らないのだ。この世界は、ずっと夜。太陽の光が恋しいと思う事もあったけれど、皆がいるから我慢できた。
けれど、やっぱりずっと寂しかった。
それは家族がいない事もそうだけれど、大好きなお兄ちゃんが居ない事が一番の要因だっただろう。
私はお兄ちゃんっ子だ。その自覚があるし、長年一緒に居なかったから、それが酷くなっている自覚もある。
時折、ヴァーゲに地球の様子を見せてもらった。
直接足を踏み入れる事は出来なかったけれど、お兄ちゃんの様子を見れる事は嬉しかった。
けど、その時に映るもう一人の私が不快だった。
私の代わりにお兄ちゃんの隣に立って、私の代わりにお兄ちゃんに甘えて、私の代わりにお兄ちゃんに甘やかされて……。
もう一人を見ているだけで、私の心はムカムカと苛立った。
だって、そこは私の場所だ。お兄ちゃんは私のだ。それなのに、私の偽物は我が物のようにお兄ちゃんを独占する。
そんなのずるい。私だってお兄ちゃんと遊びたい。お兄ちゃんと一緒に居たい。
その日は泣きながら眠りに着いた。お兄ちゃんが居ない事が、とても寂しかったから。
それから考えて、考えて、考えて……ようやく、決心がついた。
『ねぇ、ヴァーゲ……』
『はい、なんでしょう?』
『あの子……いらない』
『あの子、とは?』
『私の、偽物の子』
『ああ、左様ですか。では、今は我慢いたしましょう』
『なんで?』
『今は都合がよろしくありません。後々、全てが揃ってからです』
『……』
『ご安心ください。その時には必ず、貴女様の偽物を消し去って差し上げます』
『……分かった』
だから、我慢した。偽物が居る事に、お兄ちゃんと一緒に居られない事に、我慢をした。
一年経った。偽物は小学校一年生になった。まだ、お兄ちゃんと仲良さそうにしてる。ムカつく。
一年経った。偽物は小学校二年生になった。お兄ちゃんと少し距離が出来た気がするけど、まだべったり。ムカつく。
一年経った。偽物は小学校三年生になった。兄妹で一緒に居る事が恥ずかしくなってくる年頃だろうに、偽物はお兄ちゃんにべったりだった。ムカつく。
一年経った。偽物は小学校四年生になった。クラスの男子に告白されたとお兄ちゃんに報告していた。お兄ちゃんが花蓮にはまだ早いと思うと言えば、偽物はとても嬉しそうに笑っていた。告白された事はどうでも良くて、単にお兄ちゃんの関心を自分に向けたかったのだろう。浅ましい、ムカつく。
一年経った。偽物は小学校五年生になった。友達の影響でお洒落をするようになった。これだってお兄ちゃんの関心を買いたいからに決まってる。ムカつく。
一年経った。偽物は小学校六年生になった。お兄ちゃんが卒業してしまったので日中は寂しそうにしている。ざまぁみろ。そう思うけれど、家に帰れば変わらずべったりしている。ムカつく。
一年経った。偽物は中学校一年生になった。この頃からお兄ちゃんと血が繋がってない事を知ったのか、戸惑っている様子だった。お兄ちゃんと距離を取ろうとする偽物を見ていると、少しだけ心が楽になった。でも、隙を見て甘える姿はムカついた。
一年経った。偽物は中学校二年生になった。思春期が来たのか、お兄ちゃんから完全に距離を置き始めた。多分、血が繋がってない事も距離を取る理由の一つだろう。それでも、お兄ちゃんに構って欲しいのだろう。よく視線をお兄ちゃんに向けている。ムカつく。
一年経った。偽物は中学校三年生になった。お兄ちゃんが高校に入学したから、少し寂しそうにしている。ざまぁみろって思う。けど、お兄ちゃんと同じ高校に行くために勉強を始めた。ムカつく。
一年経った。偽物は高校一年生になった。お兄ちゃんと同じ高校に通う事になった。
『カレン様。では、始めましょう』
『うん。よろしくね、ヴァーゲ』
『はい。全ては御心のままに』
ムカつく。けれど、それもここまでだ。全てを準備して、全ての事を終わらせれば、私はまた一人に戻る。そうすれば、お兄ちゃんと一緒に居られるのは私だ。あの偽物なんかじゃない。
『待っててね、お兄ちゃん。
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