第2話
リリーが森に入る少し前、祖父の元へと何人かの村の大人たちが訪ねてくる。
彼らはリリーが丘ですれ違った者たちであり、祖父もこの人たちのことを待っているようだった。
「どうもどうも長老。ただいま戻りました」
「おお、ご苦労ですな。で、様子はどうだった?」
「それがですね……」
帽子を取って挨拶をした一人が少し言いにくそうな顔をしており、それを見た祖父が肩を叩いて落ち着かせる。
ほんの少しだけ時間が経った後、その者の口がゆっくりと開いた。
「長老に言われた通り調査しましたが、森の中で住むモンスターの様子がおかしかったです。妙にそわそわして落ち着きがなかったり、大人しい方のモンスターは何かに怯えているようでした。森の番人はいつもよりも気が立っているようで、聞けば山に生息していたはずのグリフォンがこっち付近まで降りてきているって……」
グリフォンというモンスターの単語を聞いて祖父は顔を険しくする。
猛禽類の頭と羽、猛獣のしなやかで力強い胴体はモンスターの中でも上位種として認知され、その強さは並大抵ではない。
その強さを強調するかのようにグリフォンの生息地は生き物にとって厳しい高い山々を好むため基本的に山の下の部分には生息しない。
グリフォン同士の縄張り争いで追いやられた結果、下の方で生息せざるを得ないということなら分かるが、この付近でそういう事は一度もなかった。
高い位置に生息していたグリフォンがわざわざ下の方へ降りてくるというのはそのことだけで異常なことが起きているという証であった。
「長老……"外"で何かあったんじゃ……」
「いや考えすぎだろ。俺は単純に他のグリフォンのせいで追い出されただけな気がするけどな」
一人の村の者が"外"のことについて尋ねたが、それに対してもう一人がグリフォンの縄張り争いに負けた結果という意見を出してきた。
たしかにその説も納得できるが、それでも話を聞いていた祖父の険しい表情は崩れず、やがて口をゆっくりと開いた。
「わしらにとって"外"で何が起きようともこっちには関係ないことだしのう。お前の言う通り縄張り争いに負けたとかいうのかもしれん。とはいえ何かおかしいことがこの付近で起きていることも事実。最近だとここを守る結界も不安定になってきている。それを安定させるために少し強めにするが……構わんか?」
「大丈夫だと思いますよ長老。結局ここの皆が安全なのが大事ですし……。事情を言えば他の皆も納得してくれるはずです」
「グリフォンの件は狩人を集めて後日なんとかしましょう。今日やるのはさすがにヘトヘトですぜ」
「そうしてもらおうかの。さぁて……今年の冬は少し辛くなるが……皆すまんのう……」
祖父の申し訳ない様子を見た村の者たちが励ます。
全員の気持ちが同じなことに祖父は申し訳なさをありがたみを感じつつ、結界を強める準備のために家の中へと戻っていった。
―――
リリーはうつ伏せに横たわる少年を見てバンティの背から降りて駆け寄る。
少年の髪の色は紫色であり、上半身が裸で肌は褐色であった。
何より特徴的だったのが下半身が紫色の鱗で覆われており、それがただの人ではないことを表している。
「大丈夫!?」
リリーは少年の体を揺するとすぐに少年は目を覚ます。
ゆっくりと起き上がると瞼を開けてその瞳をリリーに向けた。
瞳は綺麗な紫色をしており、見たことのないその美しさにリリーは吸い込まれそうな気持ちになる。
「あ! 大丈夫!大丈夫そう! えーっと! えーっと……と、とりあえずこれ!」
まっすぐな瞳で見つめる少年にリリーは少しボーっとしてしまったがすぐに我に返ると、なぜか裸の少年にリリーは来ていた灰色のローブを脱いで寒そうにしてそうな彼に着させた。
(あ、大事なこと忘れてました)
ワタワタと手を動かして状況を頭の中で整理しようとする時、リリーは祖父言われたこと思い出す。
それは祖父との約束の一つである挨拶をするということだった。
「こんにちわ! 私、リリーっていうの。あなたの名前は?」
リリーと祖父と約束した挨拶。物心つき始めた時に教わった最初の約束でありこれのおかげで森の中にいるモンスターたちと仲良しになった理由の一つである。
純粋な気持ちで行ったこの行為は初めて見るモンスターにもよくやった。
始めは訝しげな視線を送られたがすぐに打ち解けられ、今では森の中でリリーを知らないモンスターはいない。
そんなリリーは少年の目を真っすぐ見て尋ねると、少年は少しだけ間を置いた後、静かに口を動かした。
「……ラ、ラティ……ム」
「ラティム……。ラティムっていうのね! ねぇ、あなたはどこから来たの? ここに迷っちゃった?」
リリーはラティムと名乗った少年の隣へと座ると好奇心が抑えきれずにいろいろと聞き始める。
初めて見る村人以外の者、しかも村の中ではリリーような子供は他にいなく、自分と歳が同じような子と出会ったことのなかったリリーにとってそういう存在の彼が初めてであり興奮しているようだった。
だがラティムはリリーの質問責めに対して答えることはせず、少し驚いたような顔をしていただけで結局ラティムという言葉以外は何も喋らなかった。
「はっ!」
リリーは少し自分が興奮状態だったことに気が付いて我に返ると、ラティムは少し困ったような表情をしていた。
「ああ、ごめんね。こういうの初めだったから……」
「……」
リリーは一度深呼吸をして今の状況を整理することにした。自分が今いる場所は行ってはならない森の奥側であり、すぐに戻らなければならない場所にいる。しかしそこに子供がおり、この子を見つけたというのを祖父に知らさなければならない。
(怒られちゃうかもしれないけど……でもこういうのは言わなきゃね)
約束を破ったことについて祖父はリリーを叱るだろう。だけど森の奥側で人の子を見つけたということを祖父に言えば多少は許してもらえると思い込み、一度村へ帰るためにリリーは立ち上がる。
「とりあえず一緒に私のおじいちゃんの所に行こう! ……よいしょ……わっ!!」
すると立ち上がるリリーの片手にグっと何か重い物に引っ張られる感覚が走る。
後ろを振り向くとそこにはラティムがリリーの手を握って引っ張ってそちらを見ていた。
その様子からはどこへ行くの? という表情をしており、さらにその手から"寂しい"という声がリリーの心の中に聞こえたように感じた。
それを感じたリリーはラティムの引っ張る手に引き寄せられるようにもう一度隣に座ると、ラティムの顔を覗いてどうしたの? と尋ねる。
ラティムは手を握ったまま顔を俯くと、ラティムのお腹からぐぅ~という音が鳴り響いた。
「……っぷ。あはは! おなかすいちゃってたんだ」
「……」
「大丈夫だよ! 家に帰ればいっぱいご飯があるんだけど……。そうだ! トレントちゃん! こっち来て!」
お腹が空いてリリーは何かを思いついたように二人を見守っていたトレントを二人の近くまで呼ぶ。
するとリリーは貰っていい? とトレントに尋ねるとそれを聞いたトレントは草が生い茂った頭をリリーの前に出す。
その草の中には何輪かの白い花が咲いており、そのうちの二つをやさしく摘んだ。
その一つをラティムに渡すとラティムはその花をまじまじと見つめた後、その花を口の中へと放り込んだ。
「えっ!?」
ラティムの行動にリリーは思わず声をあげたが、当の本人はリリーが驚いた声を出したことに何のことかわからないような表情で彼女を見ながらモシャモシャと花を咀嚼する。
そしてその花があまり美味しくないことを知ると舌を出しながら苦い顔をした。
「あはっ!あはは!そうじゃない!そうじゃないよラティム!これはそういうのじゃないよ!」
苦い顔をしているラティムのおかしさのあまりリリーは思わずお腹に手を当てるほど笑った。
「は~っ、は~っ……いい? 見ててね?」
笑い疲れて落ち着きを取り戻したリリーは手に持ったラティムに白い花を見せるとリリーは白い花を逆さにし、その細い部分にある蜜線を唇に挟むと優しく吸い上げる。
「んっ!」
小さな指で同じように真似をしてみて、という合図を送りながらトレントからもう一輪の白い花を貰い、それを渡すとリリー同じように真似をラティムはしてみた。
唇に細い部分を咥えて吸い上げるとそこからほのかな甘い蜜が口の中に広がる。
「!!」
その感覚はラティムにとって初めてだったのか白い花から何度も何度も密を吸い上げようとするのをリリーは優しく見守っていた。
ふとリリーはラティムの下半身を覆っている紫色の鱗を見てこの子は人なのか、それともモンスターなのかという疑問が浮かび上がる。
リリーにとってモンスターとは仲が良い友達であり、人の言葉は発さないが心で会話ができる存在だった。
一見ラティムの姿は人であるが、鱗の存在と先ほどリリーの心に届いた"寂しい"という声からするにモンスターなのだろうと思う。
「う~ん……。でもトレントちゃんやゴーストちゃんとは形が違うもんね……」
リリーは目を瞑って頭を悩ませている間、ラティムはキョロキョロと周囲を見渡していた。
ラティムの視線はトレントに止まるとそのの方向へと近寄っていく。
トレントもキョトンとした様子で見ているとラティムは草が生い茂った頭に手を無理やり突っ込んでその中にある花を毟り取った。
「~~~~~!!!!」
トレントは小さく高い奇声を上げるとトレントの頭に生えた草がガサガサと震えだし、ラティムを睨みつける。
自分の花を急に毟り取ったラティムを敵だと認識し、両手の蔓でラティムの顔を叩いた。
パチンと甲高い音と共にラティムは取った花を落とし、驚いた表情でトレントを見る。
トレントはラティムの行為に怒りで満ちており、両手の蔓でさらに攻撃をした。
「~~~!!!」
「……え? な、なに!?」
ラティムから目を離して少しだけ考え事をしていた間に起こったことにリリーは驚き、蹲るラティムをトレントの攻撃から庇うように前に出る。
さらにバンティもトレントの前に立ちはだかり低い声で唸り声をあげて威嚇すると、さすがのトレントも攻撃の手を止めて後ずさりをする。
「なんで……?」
わけがわからない状態だったがリリーはラティムの近くに落ちた白い花を見つけるとそれを拾い上げる。
その白い花はリリーが摘まんでないものであり、その証拠に根元は強引に千切ったような跡が分かる。
その跡と今の状況からラティムがトレントの白い花を強引に千切り取ったということが容易に想像できた。
「ラティム……もう大丈夫だよ。だから私の話を聞いて?」
蹲って怯えるラティムを安心させるように背中を撫でるとそれに安心したのかラティムはリリーの顔を下から見上げた。
「ラティムはこの花がほしかったんだよね? でもねトレントちゃんはね、とっても臆病なの。この花をラティムが痛く取ったからトレントちゃんは怒ったんだよ」
「……」
「でもねラティム。ちゃんとお話ししたらトレントちゃんもくれたと思うの。痛くしなかったらトレントちゃんもこんなことしなかったと思うの。分かる?」
「……」
リリーのその言葉にラティムは理解したのかラティムは頷き、それを見たリリーは彼の手を握って立ち上がらせた。
「こういうときはね、ごめんなさいするんだよ。ごめんなさい、しよ?」
そういって先ほどのトレントの前にラティムをリリーが引っ張ってあげて立たせた。
花を千切り取られたトレントはまだ怒っている様子にラティムは怯えていたが、リリーがそっと手を差し出すように彼に誘導するとラティムはトレントの前に手をゆっくりと出す。
おどおどとした様子で謝罪の握手を差し出したラティムを見て、トレントは少し納得してない様子だったが近くにいたバンティに睨まれていることに気が付き、渋々その手を握り返した。
お互いにある程度折り合いをつけてくれたことにリリーはよかったと胸を撫でおろしていると、上の方で浮いているゴーストたちの様子がおかしいことに気が付く。
そわそわと遠くの方を見ているゴーストは少し怯えた様子であり、それはバンティ、フェアリー、トレントの順に気が付く。
どうやら誰かがこちらに向かってきているようだとリリーはバンティから伝えられたのだった。
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