05-02



「今日はありがとうね、小坂」

 話を聞き終えて小坂商店を後にすると、すぐそこの駅まで小坂が自転車を押しつつ、見送りについてきた。

「おう! いつでも来ていいからな!」

「昔ながらのお店って感じでいいね。レトロですごく雰囲気もあって」

「だろー? まぁでも、駄菓子と日用品だけじゃそんな流行らないから、結構大変なんだけどな」

「駅の反対側、大きいスーパーがあるもんなぁ」

 高校から小坂商店に向かう途中、駅の反対側を通ってきたので、大型スーパーが人で賑わっているのは見かけた。小坂商店のあった商店街も帰る前に少しだけ覗いたのだが、確かに人通りは少し寂しく、大型スーパーに流れているように思える。

「そ。だから向こう側まで行くの大変な人とかが使ってくれてて、それでまだやってける感じ。あとは近場だけだけど、配達とかかな」

「へー。……え、あのおばあちゃんがやってるの?」

「いやいや。おれとか妹が休みの日とか部活ない日に交代でやってんだよ。量が多い時はかーちゃん達が車で行くけどね」

「そうだったんだ。小坂がやたら暗算得意なのって、それ?」

「まぁねー。できれば店はおれが継ぎたいから、大学もそっち系行こうと思ってるし」

「え、偉すぎる……」

 そんな話をしていたら、あっという間に駅の改札近くまで来ていた。

 小坂は「じゃーなー」と手を振って、自転車に乗って行ってしまう。話していた通り、一度帰って着替えたら、配達の手伝いをするのだそうだ。

 そんな小坂を見送って、和都は菅原と二人、駅の改札の方へと向かう。

「相模は、将来何になりたいとか、考えてんの?」

「なーんも考えてないや。菅原は?」

「オレ? 学校の先生やろっかなーって」

「えっ」

 小坂だけでなく、菅原もちゃんと将来のことを考えていた事実に驚いて、思わず立ち止まってしまった。

「……そういうの、考えたこともなかった」

「ふーん。まぁ、大学行ってから見つける人もいるし、焦らず見つけたら?」

 菅原の言葉にうーんと唸りつつ、改めて改札の方へ視線を向けると、三つある自動改札の一つに、黒い大きな人影が視えた。

 その影は改札を通り過ぎるわけでもなく、人が通りぬける隙間にぼやぁっと立っていて、改札があるところの天井にくっつくように伸びている。普通の人には視えていないようで、数人がその影をすり抜けるように改札を通っていった。

「ん? どうした?」

 先に歩き出した菅原が、不思議そうにこちらを見るので、和都は焦りつつそれらしい言い訳を考える。

「あ、えっと。……おれ、せっかくだし歩いて帰るよ。まだ明るいし、電車乗っても一駅だし」

「それもそっか。じゃーなー」

 菅原が手を振って、当たり前のように改札を通っていく。黒い人影のいないほうを通っていったので、和都はホッと胸を撫で下ろした。

 黒い影は何か意志をもってあそこにいるようだ。動くことはないだろうが、近づいたら気持ち悪くなりそうな、いやな気配を感じる。

「さて、と……」

 歩いて帰ると言ったものの、自宅近くの十字路からここに来るまでのルートは、正直覚えていない。スマホを取り出して地図アプリを開くと、自宅までの最短ルートを確認しながら和都は歩き始めた。

「……みんないいなぁ」

 空は綺麗なピンクとオレンジのグラデーションに染まっている。

 その下を、人通りの少ない道を選びながら歩いていると、すぐ横からしゅるりと円を描いて犬の頭だけの姿をしたお化け、元狛犬のハクが現れた。

〔どうしたの? カズト〕

「あ、ハク」

 普段は姿を隠しているが、人気のない場所ではこうして和都には視えるような状態で出てきてくれる。原理はよく分からないが、神獣だったのでそういうのも可能なのかもしれない。

「みんな当たり前に将来のことを考えてるんだなぁって思って。なんか羨ましくなっちゃってさぁ」

〔将来?〕

「うん。おれはずっとここから居なくなりたいってことしか思ってなかったし、大人になる前に死ぬんだって漠然と思ってたから」

 時々地図で確認しながら、迷路のような小路をウロウロと、誰もいない真っ暗な家を目指して歩く。

〔そっかぁ。でもカズトは、仕方ないかもねぇ〕

「まぁねぇ。散々な目にしかってきてないし」

 未来が欲しいと思ったことはない。

 生きているのに精一杯で、いっそのこと、さっさと終わって欲しいとしか思っていなかった。

 それなのにまだ、なぜか、生きている。

「とりあえず今は、将来どーのより、神社見つけて鬼をなんとかしないと、この先も生きてられるか分かんないからね」

〔そうだね!〕

 ため息をつきながら角を曲がると、目の前にたくさんの墓石が立ち並んでいた。どうやら墓地の入り口のようだ。

「……お墓だ」

 夕暮れ時、狭い路地の隙間にも、ふわりと線香の香りが漂ってくる。

 入り口から遠巻きに少しだけ中を覗くと、比較的近い位置に真新しい墓石があって、その前に手を合わせる女性と小さな子どもがいた。女性は疲れたようにうなだれていて、その隣の子どもは不思議そうに目の前の墓石を見つめている。

 墓石のほうに目を向けると、そのすぐ隣に半透明の男の人影が立っていた。事故に遭ったのだろうか、身体の右半身がぐちゃぐちゃに崩れていて、視線をぼんやりとお墓の前の二人に向けているのが視える。

 駅の改札にいたものはかなり『よくない』感じがしたが、あの男性の霊からはそんな感じがしない。以前は視えるだけで気持ち悪くなっていたのに、今はそこまで具合が悪くなる気配もない。

 ──先生のおかげ、なのかな。

 実感は正直あまりないが、着実に霊力チカラは増えているようだ。

〔ねぇカズト、暗くなっちゃうよ?〕

「……うん」

 ハクに言われて、和都はその場を後にした。





「ただいまぁ」

 玄関を開ける頃にはすっかり日が落ちていて、誰も帰宅していない家の中は真っ暗だった。

 和都は玄関から順番に各部屋の照明を点けてから、いそいそと奥の部屋へ向かう。

 部屋の明かりを点けて中に入ると、小さなチェストの上の、小さな遺影の前に立ち、手を合わせた。

「今日はね、小坂のおばーちゃんのお店に行って、話を聞いてきたよ。色々聞けて楽しかった。神社の場所、ちょっと絞り込めたから、今度先生と行ってみようと思う」

 きっと親切な彼らのことだ、一緒に行ってみようと言ってくれるに違いない。

 だが、鬼をなんとかするためだ、なんて御伽噺おとぎばなしのような理由を信じてもらえる自信はない。

 上手い言い訳を考えておかなければ。

「あとみんな、将来のこと考えてて、羨ましくなっちゃった」

 小坂も菅原も、先々のことをどうするか考えていて、やはり自分には何もないのだと思ってしまった。

 でも、今はまだ、その将来を望んでいいのかよく分からない。父親が生きていたら、こんなことも相談できたのだろうか。

 不意に、墓地で見た光景を思い出す。

「……やっぱり本当はお線香とか、父さんにも必要なんだろうなぁ」

 線香をあげたら、この目でも視えたことがない父親に会えるのだろうか。そんなことを考えながら、和都は部屋の明かりを消して出る。

 そのまま、奥の部屋から二階に上がろうとしたタイミングで、玄関のドアが開いた。

「ただいまー」

 ジャケットにスカートを履き、ビジネスバッグを肩に掛け、その反対の手に買い物袋を持った、母親だった。

「あ、母さん。おかえりなさい」

 そう声をかけたのだが、入ってくる時は少し疲れているけれど普通の表情だったはずの母親の顔は、和都を見た途端にたちまち不機嫌そうに歪む。

「……まだ制服でいたの? ちゃんと着替えなさい」

 靴を脱いで上がりながら、母親はため息をつきながらそう言った。

 和都としては、見慣れた光景である。この人は、自分に「ただいま」と返す言葉や、笑いかける方法を忘れてしまったらしい。

「おれもさっき帰ってきたから」

「こんな時間まで何をしてたの?」

「……委員の仕事で、遅くなっただけだよ」

 春日以外の友達の家に行っていた、などと言った途端にヒステリーを起こしかねないので、それらしい嘘をつく。

 この人は、そういう人なのだ。

 さすがに何年もこの調子でいられたら、こちらも対処法だって容易に思いつくようになる。

「ん?」

 不意に、スンスンスン、と母親が辺りの匂いをわかりやすく嗅ぎ始めた。なんだろう? と見ていると、眉間のシワをひそめて呟いた。

「お線香の匂い……」

「え? する?」

 言われて和都も辺りを嗅ぐが分からない。

 たしかに帰り道で墓地の近くを通ったが、その時の匂いを室内では感じなかった。もしかして制服に付いてしまったのだろうか、と学ランの袖を嗅いでみたがやはり分からない。

「貴方まさか、お寺とか行ってないでしょうね」

 目を釣り上げ、大きな声を出しながら母親が近づいてきたので、和都は思わず数歩だけ後退あとずさる。

「い、行ってないよ!」

「本当に?! そういうものと関わらないようにって、いつも言ってるわよね?!」

 母親は持っていたバッグや買い物袋を放り出すと、悲鳴のような大声で両肩を強く掴んできた。ぐっと食い込んでくる指の先が痛い。

「貴方はそういうものに狙われやすいから、絶対に近づいちゃダメって言われたでしょう?!」

 まだ、実の父が生きていた頃。和都の不可思議な言動に怯えた両親に、有名な霊能者の元へ連れていかれたことがある。その時に幽霊の集まるような場所、心霊スポットの類に近寄ってはいけないと言われたことをきっかけに、精神的に不安定だった母親は過剰に思い込み、お墓などだけでなく神社仏閣すらもダメだと言うようになったのだ。

「どうしてお母さんの言うことが聞けないの!」

「行ってないよ! 大丈夫だって!」

 捲し立てる母親の手を振り解き、和都は二階に駆け上がる。そのまま自室に飛び込んで、階下からの叫び声が聞こえないようにドアを閉めた。

「はぁ──……」

 持っていた鞄をその辺に放り投げ、着ていた学ランを脱ぐと、そのままベッドに倒れ込む。

 視えない世界を、父は理解したが母は怖がっただけだった。

 例え同じものが視えていても、正しく共有することは難しいのに、まして普通に視えないものを、視えていない人にきちんと理解してもらえるはずがない。

 そんな前例を目の当たりにしているせいで、視えていない友人たちには打ち明けられないままだ。

「……視えてない人に、あれこれ言われたくないっての」

 和都は深く息をついて、そのまま目を閉じた。

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