04-02



「ユースケが借りてた本は? もう読んだ?」

 和都と春日は本校舎の西階段側通用口を出て、その先に二つある特別教科棟のうち、図書室のある南棟のほうへ足を運ぶ。

「ああ、さっき読み終わった」

「どんな本?」

 春日の差し出してきた本を受け取ると、表紙には雪山の写真が全面に写り、小さくタイトルがあるだけのとてもシンプルな装丁のものだった。

「世界中飛び回ってる登山家の手記。結構いろんな国に行ってて、現地の文化も紹介されてるから、読み応えがあった」

「へー、いいね。じゃあ次これ借りよっかなー」

 そんな話をしながら、図書室に入る。入ってすぐ右側に司書室を兼ねた受付があり、返却と貸出の受付もここで行う。

 春日は和都の持っていた本と自分の本を持って、すぐに受付へ向かった。

「二年三組、春日祐介と相模和都です。返却と、こっちは相模が借りるんでそのまま貸出でお願いします」

「はい、ちょっと待ってね」

 黒髪を後ろで一つに束ねて、黒いカーデと黒縁の眼鏡を掛けた若い女性司書が対応する。

 手続きをしてもらっている間に、和都は図書室をぐるり見渡した。

 昼休みのためか、それなりに人はいるものの、やはりとても静かだ。

 ──やっぱいいなぁ、落ち着く。

 図書室の、本の匂いとしんとした空気感は嫌いじゃない。

 自分より背の高い本棚が整然といくつも並び、背表紙が規則性と不規則性を持って不思議な模様の壁を作っている。苦手なものさえなければ、ずっと入り浸ってしまうような場所だ。

「……ほら、借りたぞ」

「あ、うん」

 春日から本を受け取ると、和都は『二類 歴史・伝記・地理』とプレートの下がっているエリアに向かった。

 ──そういや、この辺だったなぁ。

 和都が一人で図書室に行きたくない理由は、女性の司書がいること以外に、実はもう一つある。

 図書室の一角、『二類 歴史・伝記・地理』の本棚付近に、女の幽霊が立っているのだ。

 ──あー、やっぱりいた。

 長い黒髪をだらりと腰の辺りまでたらし、白っぽいワンピースのようなものを着ていて、太ももの辺りから下は霞んでいて見えない。明かりが届きにくい、隅のほうにぼんやりと立っていて、背面の本棚に顔を向けている。ただそれは、そこでじっと佇んでいるだけで動くことはないので、どのような顔をしているのか見たことはなかった。

 和都は一瞬だけその姿を確認した後は、そちらを見ないふり、視えないふりをしながら、その付近にある『郷土資料』のエリアへたどり着く。

「……なに調べんの?」

 特に何も聞かず、言われるまま後をついてきただけの春日がそう言った。

「あ、うん。なんかこの辺りに昔『白狛しろこま神社』っていうのがあったって聞いてさ。……あ、ユースケ知ってたりしない?」

 そういえば春日は自分が越してくる前からこの地域に住んでいたのだった、と思い出して尋ねる。

「知らん」

「そっかー。どの辺にあったのかなーって思って」

「検索で出てこないのか?」

「うん、ネットでも調べてみたんだけど、全然検索に出てこなくって」

 郷土資料の棚には、高校周辺地域に関する地図や歴史資料、文化や風土に関する統計資料など様々に並んでいて、手にする本に迷う。

「だからこの辺の郷土資料とか調べれば見つかるかなーって思ってさ」

「その神社、なんなの?」

 言われて理由を用意していなかったことを和都は思い出した。

 が、すぐああそうだ、と思いついて。

「……あーちょっと人から聞いて気になって。まぁ、いつもの『暇つぶし』だよ」

「ふーん」

 部活にも塾にも行けないので、気になったものをひたすら調べたり、実験したりということを『暇つぶし』と称して中学の頃から時々やっていた。それを春日は知っているし、散々付き合ってきたので、さして訝しむ様子はない。

 ──色々やっておくもんだな。

 昔は春日を困らせるのが密かな目的の『遊び』だったのだが、我ながら上手い言い訳だと和都は思う。

「じゃあこの辺の本か?」

「かな? あ、隣町の本とかも見たほうがいいかなぁ」

 本棚から分厚い郷土史と書かれた本や、地域伝承などの本を取り出す。高い位置の本は全部春日がとってくれるので、連れてきて正解だったなと思いながら、閲覧用に置いてある机に載せた。

 ある程度積み上げたら、椅子に座って本を開いていく。そもそも情報が少ない上に、廃神社の探し方もよく分からないので、手探りもいいところだ。

「そういう古い神社とか史跡を巡るの、新しくきた川野先生がよくやってるって聞いたけど」

 郷土史の本を広げ、神社の情報を探しながら、机の向こう側に座った春日が言う。

 川野の名前を出されて、和都はもう一つ忘れていたことを思い出した。

「……あー。らしい、ね」

「川野先生に聞いたほうが早いんじゃないか?」

「うん、そうだけど……。ちょっと難しい、かな」

 和都の妙に口籠もる様子に、春日が開いていた本から視線をこちらに向ける。

「なんかあったのか?」

「……あった」

 春日の視線から目を逸らしつつ、和都は答える。

「なんだ、か」

「うん……」

「いつ?」

「こないだの、補習になった日」

「……やっぱり」

 ため息をつきながら春日が呆れたように言うので、和都は視線をそちらに戻した。

「やっぱりって、なんで?」

「答案用紙、ズレて回答してたとこ全部、筆跡が違った気がしたから。見間違いかと思ってたけど、あれ多分川野が書き換えてたんだろ」

「うわーマジか。……サイアク」

 そう言って和都は机に突っ伏し、うなだれる。つまり、あの補習そのものが、川野に意図的に仕組まれていたものだったのだ。

 ──どうりで誰もいないわけだよ。

「……くそ」

 成績に含まれないテストとはいえ、卑怯なやり口に愕然とする。やはり『鬼』は、これまで自分に手を出そうとしてきた人間以上に厄介だ。

「なんにも言わないから、大丈夫なんだと思ってた。……早く言えよ」

「ごめん……」

 川野に襲われたこともなかなかの事件ではあったのだが、あの日はそれ以上に色々なことが起きたので、春日に伝えるのをシンプルに忘れていた。

 起きたことも、それに対する愚痴も、仁科にあの時聞いてもらってしまったので、今更思い出してムカつくのもな、という気持ちである。

「大丈夫だったのか?」

「まぁ、うん。……追いかけられたけど、委員の仕事もあったから、すぐ保健室に逃げ込んで助かった感じ」

 嘘は言っていない。

 川野が『鬼』であることを除けば、全て事実だ。

「そうか。これから気にしておく」

「……うん」

 春日祐介は、中学の頃からずっと和都の『味方』だった。

 困っていることも、苦手なことも、身に降りかかる危険も、そのほとんどから助けてくれる。自分に危害を加えた人間や、企んでいる人間を可能な限り把握して、問題があれば上手く取り除いてくれた。

 ──でも、こいつは視えないから。

 自分に視えている怪奇な世界を、視えていない人間と共有することは難しい。だからどんなに信用していても、そこで線を引いてしまう。

 保健室に逃げ込んだその後について、突っ込んで聞かれるかと少し身構えていたが、春日は神社探しの方に気を取られているようだった。

「……その神社、検索で出てこないってことは、もう無くなってるんじゃないのか?」

「あ、もう廃社にはなってるらしいんだ。ただ何処にあったのか知りたくってさ」

 積み上げた本を開いていくが、それらしい記述はなかなか見つからない。そもそもこの周辺はお寺のほうが多く、神社そのものがあまりないようだ。

「学校の図書室にある本じゃ見つからないかもな」

「んー。昔からこの辺にいる人とかに聞いたら、何か分かるのかな?」

「それなら、小坂に聞くのは? たしかばーさんが昔からこの辺にいる人だって」

「あ、そうなんだ」

 そんなやりとりをしながら春日が時計を見る。

「そろそろ片付けよう。昼休み終わる」

「わ、やばっ」

 和都も慌てて立ち上がり、本を抱えて郷土資料のエリアへいく。

 図書室の一角が視界の隅に入ったが、何か違う気がして思わず振り向いた。

 薄暗い隅に佇んでいたあの女が、こちらを向いていたのだ。

「……っ!」

 後髪と変わらないほどに前髪が長く、目は隠れていて見えない。

 ただ鼻と口元が前髪の分かれた隙間から見えていて、その唇が何事か呟いている。

 ──動くんだ、このヒト。

 女が本棚を向いていた時には感じなかった、ひんやりとした空気がこちらに向かって流れてくるのが分かり、立ち竦んでしまった。

「和都?」

 春日の声に、ハッと我に返り、視線を女から外す。

「……なんでもない! 早く行こ」

 急いで本を書架に戻すと、和都は春日の背を押しながら逃げるように図書室を後にした。

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