39 紫淵と苺苺
(こ、この方が、皇太子の
「銀花亭で会っただろう。あれは俺だ」
「むぐぅぅ!?」
「その、昨晩は名乗り出ずにすまなかった」
(え、えええ……? こ、声も同じですし、確かに皇太子殿下の姿絵ではあの悪鬼武官様と同じお面をかぶっておられましたが……。うーむ、そう言われてみると瓜二つのような気もいたします)
今はその顔を晒しているため、苺苺はまじまじと彼を見つめる。
透き通った紫水晶の色の瞳は長い睫毛に縁取られており、
誰をも惑わせる蠱惑的な色気を持っていそうな絶世の美貌は、しかし、氷のように冴え冴えとしていて近寄りがたい雰囲気があった。
この髪色こそ、苺苺が皇太子殿下の姿絵を初めて目にした時に、『まるで闇夜に流れる銀河のごとき艶やかさです』と感嘆した色だった。
昨晩よりもはっきりと色鮮やかに見えるのは、灯籠の赤みを帯びた光がないことと、彼のまとっている寝衣のせいだろう。
苺苺はなんとなく状況を理解できたような気がして、おとなしくこくこくと頷く。
「そして、信じがたいと思うが――
苺苺はこくこくと頷きそうになり、思いっきり首を捻った。
(な、なにをおっしゃっているのです? 皇太子殿下が、木蘭様? 似ても似つかぬお姿ですわ!)
「うむぐぅ、むぐうう!」
口元を覆われていて喋れないため、慌てふためいた苺苺は身振り手振りでなんとか伝えようとする。
「君の言いたいことはわかる。だが、誰がなんと言おうとも、木蘭は俺なんだ」
(そんなこと、あるわけが……!)
反論する苺苺をまっすぐに見つめる紫水晶の瞳は、確かに木蘭とまったく同じ色だった。
木蘭の瞳に忠実な色合いを再現するため、何度も木蘭を観察し、紫色の刺繍糸の色味を細かく厳正に選んできた苺苺が、見間違えるわけがない。
それに、細かな仕草や口調も一致している。
(わたくしに異能があるのですもの。姿形が変わる怪異があっても不可思議ではありませんわ。猫魈様の妖術も見たばかりですし……。もしかしてよくあることなのやも……)
苺苺は『理解しました』と示すように頷く。
その様子を見て、
苺苺はぱっと立ち上がり、寝衣姿だが膝を折って最上級の礼を取る。
「燐華国の至宝の
「苺苺。そんなに堅苦しく呼ばないでくれ。紫淵でいい」
「え、ええと、では……その、紫淵殿下と」
紫淵は少し不満げに苺苺の礼を受け取ると、寝台に腰掛けるように促す。
苺苺はこのまま立っているべきかと迷ったが、木蘭と作戦会議をしていた時のように隣に腰掛けた紫淵を見て自分も元いた場所にちょこんと座りなおし、そわそわと居住まいを正した。
(なんだか、その、落ち着きません)
それもそうだろう。幼妃である木蘭ではなく、十八歳になる皇太子殿下と同じ寝台に並んで腰掛けているのだから。
そしてそれは、紫淵も同じことだった。
まさか自分の正体を明かす日が来るとは思ってもみなかったし、昨晩だって念入りに誤魔化していたのに。
加えて紫淵は紅玉宮以外を訪れた経験も、誰かと寝台で過ごした経験もない。
木蘭と添い寝などと皆話しているが、同一人物であるからして、それは巧妙な作り話であった。
そんな自分が、事故とはいえ、先ほどまで苺苺と添い寝をしていたなんて。
(むむむ、お部屋に心臓の音しかしません……! 先ほどまでどんな風に会話していたか、忘れてしまったわけではないのですが、なぜだか、気まずいです……!)
苺苺からちらりとうかがうような視線を向けられて、紫淵はうっと胸を押さえる。
一睡するまでは確かに一緒に会話し楽しく過ごしていたのに、今はなぜだか、寝衣姿の苺苺にどぎまぎしている自分がいる。
もしもここにいるのが他の妃嬪であったら、いつもの冷笑を浮かべて、『誰の許可を取って俺の寝所にいる? 今すぐ出て行け』と理由も告げずに凍えるような声で一喝できただろう。
皇太子宮を解禁した時に皇帝陛下が定めた規律に触れたのだから、口封じも行うかもしれない。
だが、苺苺に対しては、そんなことをしようとも思わなかった。
紫淵は『駄目だ、落ち着け』と、脳内で黒い狼と化した宵世を数え始める。
「宵世が一匹、宵世が二匹、宵世が――」
「あ、あのう、なぜ東宮補佐官様をお数えに?」
「……っ、それはだな、ええっと」
言えるわけがない。君に触れたくなるから、だなんて。
紫淵は「それはそうと、俺になにか聞きかけていただろう」と咄嗟に話をそらした。
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