35 お泊まり会です


 ◇◇◇


 あれから半刻が経った頃。苺苺メイメイ若麗ジャクレイは、相変わらず〝木蘭ムーラン様の健やかなかわゆい日常話〟で盛り上がっていた。

 女官であり姉の顔をした若麗が披露する小話エピソードに、苺苺はくすくすと微笑みながら、幸せいっぱいに相槌を打つ。


「それで殿下が清明節の剣舞の舞い手に木蘭様を指名なさった際も、殿下が短剣を賜られたんですよ」

「素敵なお話ばかりですわね。それにしたって、とっても羨ましいです」

「ええ、本当に。木蘭様が羨ましいですわ」

「そこは皇太子殿下が、ではないのですか?」


 苺苺がくすくすと笑いながら若麗の言葉に突っ込みを入れた、その時。

 寝台に並べていたぬい様が一体、ザクッ! と音を立て、刃物に切りつけられたかのように裂けた。


「……な、なんの音でしょうか?」


 部屋に突然響いた不気味な物音に、若麗が怖々と苺苺に尋ねる。


「す、すみません、わたくしのぬいぐるみですわ。ぬいぐるみが無いと眠れない性分なものでして、その、たっ、たっくさん持って来たのです」

「まあ、それでこんなにたくさん……」

「はい。たぶん、きっと、移動の時に引っ掛けてしまった部分が、さささ裂けてしまったのだと思いますッ」


 苺苺はぎゅっと目をつぶって嘘を言い切る。


 先ほどのお茶会の時に木蘭に頼み、編み込んでいない背中の髪を鼈甲櫛べっこうぐしくしけずらせてもらい、数本の髪を懐紙に包んでもらってきていた。

 そのうちの一本をぬい様に仕込んでいたため、現在のぬい様は形代として全力が出せている状態だ。


 呪靄じゅあい呪妖じゅようを少しも漏らさずに自動的に封じて祓っているので、効果覿面てきめんすぎて限界が早く来たのかもしれない。


(裏を返せば、それだけの量の悪意を常に向けられている証拠です)


 呪毒じゅどくを生じさせるほどの殺意を胸に秘めている女官の悪意がその筆頭なのだろうが、幼くして貴姫ききの冠をいただいた木蘭の進む道は、薄氷を履むが如く危ういのだと肌に感じる。


(悠長にしている時間はありません。できるだけ早く、恐ろしい女官の方の尻尾を掴まなくては。でも、ぬいぐるみが突然裂けるなんて、若麗様を気味悪がらせてしまいましたよね……)


 苺苺は心配しつつ、そっと若麗の顔色をうかがう。

 けれども、彼女の顔を見てみると、どうやら無用な心配だったらしいことがわかった。


(若麗様は……きっと大人びた木蘭様のことが、ずっとご心配だったのですね)


 若麗は寝台にこれでもかと並べられているたくさんのぬい様を眺めながら、「苺苺様は本当に木蘭様がお好きですのね」と、今にも泣き出しそうなほどの優しい微笑みを浮かべていた。




 他の女官が「夕餉の準備が整いました」と呼びに来たことで、苺苺は木蘭の待つ食事をするための一室へ向かった。


(木蘭様と食卓を囲めるだなんて、夢のようですっ)


 上座に座る木蘭の合図で、紅玉宮の女官たちがほかほかの料理が乗る皿を運んでくる。

 準備が整い、壁際に恭しく女官たちが整列すると、木蘭は苺苺が自分にとって大切な客人だと周囲に印象付けるよう、再び丁寧に食前の挨拶を述べた。


「苺苺、今夜はわらわと過ごしてくれること、とても嬉しく思う」

「こちらこそ、お泊めくださりありがとうございます。木蘭様と一緒に夜通しお話できるかと思うと、わくわくが抑えきれません」

「ふふ、そうか。今夜は紅玉宮の女官たちに妾の好物を用意させた。どれも苺苺に勧めたい一品ばかりだ」


(木蘭様の大好物!? はわわわっ)


「どうか存分に楽しんでくれ」


 乾杯、と木蘭が搾りたての橘子みかん果汁ジュースの入った玻璃杯はりのグラスを持ち上げる。

 苺苺もそれにならって乾杯した後、玻璃杯に口をつけた。


(橘子果汁も木蘭様のお気に入りなのでしょうか? かわゆいが爆発しています……!)


 果汁の甘さと、幼妃にぴったりの桜花の意匠が施された玻璃杯を持つ木蘭の組み合わせのあまりの尊さに、思わず静かに感謝の合掌をしてしまう。


「どうした苺苺、もうお腹がいっぱいなのか?」

「いいえ、木蘭様への感謝の気持ちを全身全霊で表しています」

「そ、そうか。ならいい。よく食べてくれ」

「はい!」


(ですが、お食事をする前から幸せでお腹がいっぱいです……。あっ、美味しいです。なんと、これも美味しいです)


 苺苺のとろけるような笑顔に、木蘭は頬を染めつつ得意満面に「ふふん」と胸を張る。

 その後も、苺苺は夢心地のまま、木蘭に紹介されるままに豪華な夕餉に舌鼓を打った。


(それにしても、ふふふっ。昨晩の皇太子殿下が用意してくれた夕餉と少し料理の好みの系統が似ているところも、なんだか幼妃らしくてかわゆいですっ。木蘭様の新たな一面、尊すぎます……!)


 苺苺は食事を頬張る木蘭の姿を眺めつつ、そう密かに思ったのだった。


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