28 皇太子殿下の可憐なる玉蘭


 若麗ジャクレイを見送った後。

 苺苺メイメイは本日も遅めにやってきた朝餉を食べ、急いで身支度を整えた。


「大変です、大変です、これは大変なことになりました……!」


 苺苺は衣装箪笥から一張羅いっちょうらの白衣の大袖を取り出す。

 これは皇太子宮に上がった初日に着た〝白蛇の白衣〟だ。白州の上質な絹を特殊な針と異能を使って自ら縫い上げ、金糸を使って蛇の鱗のような刺繍を施した破魔の装束である。


「ままままさか、木蘭ムーラン様の宮にお呼ばれされるとは。夢のようです……!!」


 推しである木蘭様が――最上級妃が開くお茶会に呼ばたのだから、散策時のような気軽な襦裙じゅくんで伺うことはできない。


 鏡の前で薄く化粧をしてから着付けを終えると、最近は手慣れてきた髪結いに取り掛かる。

 長い白髪の半分を結い上げたら、三つ編みした髪の束を輪っかになるように左右に下げ、残りの髪は後ろに垂らす。結った部分にいくつかの簪をさしたら完成だ。


 大きく長い袂にはいつもの簡易裁縫道具を忍ばせる。

 さらに、徹夜で作ったくさんのぬい様を藤蔓ふじづるで編んだ籠の中にせっせと全部詰めて、早足で水星宮を出た。



 そして昼下がりの今――苺苺は木蘭の住まう紅玉宮こうぎょくきゅうに来ていた。


 苺苺は紅玉宮の侍女頭である若麗に案内され、瀟洒しょうしゃな調度品で揃えられた客間に通される。

 水星宮の十倍は広いその部屋には、雛鳥のように可憐な真赭まそお色の衣装を着た木蘭が待っていた。


 いつものように、濡羽色の黒髪を鬼の角のようなお団子に結い上げ、残りの長髪を背に垂らしている。

 上質な薄絹で織られた髪飾りがお団子の下でふわふわと揺れている様子は、春の妖精のようですこぶる可愛らしかった。


「白家の姫君。わらわの宮にわざわざ来てもらってすまない」


「皇太子殿下の寵する可憐なる玉蘭ぎょくらん貴姫きき様にご挨拶申し上げます。こちらこそ、本日はお招きいただきありありがとうございます」


「ああ。格式張った場ではないので、どうか楽に過ごしてほしい」


(ふぁぁあっ! 本日も大変お可愛らしいです、木蘭様……! それに、なんだか良い匂いがします! これは紫木蓮もくれんの花の香り……っ。きっとお庭で手ずから育てられた紫木蓮を、毎日頑張って花瓶に活けられているのですね。おもてなしのお気持ちのこもった、素敵なお部屋です!!)


 幼い彼女の完璧な気遣いから『木蘭様の一日』の妄想が捗り、苺苺はぱぁぁっと、とろけるような笑顔を浮かべながら答える。

 対して、昨日よりもいくらか顔色の良い木蘭は、しゅんとした様子で頭を下げた。


「あやかしから守ってくれたこと、誠に感謝している。あの時は妾の力が及ばず、不敬な宦官かんがんたちの手による投獄を止めることができなくて申し訳なかった」


「そんな、頭をお上げください。もう本当に、あの、胸がいっぱいです……っ」


 苺苺は大好きな木蘭の前で頑張って取り繕っていた。が、初めて推しの宮に招待された緊張と興奮で頭がどんどん混乱してきて、段々とわけがわからなくなってきていた。

 胸が熱くて、目がぐるぐると回る。


「白家の姫君」

「ど、どうか苺苺とお呼びくださいまし!!」

「では、苺苺と」


(はうぅぅ! 木蘭様に名前を呼んでいただけるなんて、わたくしもう天に召されようとも構いません……っ)


 勢いで『後宮へ上がる以前より、ずっとお慕いいたしております!!』と口走り言いそうになるのをぐっと堪えて、真っ赤に染めた頬を隠すように円扇で顔を隠す。


「……っ! その、木蘭様にお怪我なくて何よりでした。昨日はあれから大丈夫でしたか?」


「ああ。妾の心配よりも、苺苺の方だ。宦官に打たれ、縄をかけられて投獄されたというのに……。怪我の具合はどうなんだ? 流血もしていただろう」


「怪我は……す、少し、青あざになった程度でしたので、ええ、その、すぐに治ると思いますわ! 切り傷もいただき物の傷薬を塗ったので、それほどっ」


 苺苺は紫木蓮の両面刺繍が鮮やかな絹の円扇で顔を隠しながら、幼い姫君を心配させまいと嘘をついた。


 本当のところは、昨晩ひとりになった途端に緊張の糸が切れたせいか背中がズキズキと痛んで、湯浴み中もかなり沁みたところだ。お風呂あがりに鏡で見たところ、青あざもひどかった。


 糸切り鋏で切った手のひらの肉はぱっくりと開いてはいたが、塞がり始めた部分もある。

 まだ少し血が滲んでいたので、ここへ来る前に包帯を取り替えてきた。


(わたくしが自分で飛び込んだのですから、幼い木蘭様には余計な心配や責任を感じてほしくありません。怪我が目に触れぬよう、念入りに気をつけねば)


 苺苺は大袖から指先以外が出ないように所作に注意する。

 悪鬼武官からもらった軟膏を塗ってからは格段に良くなってきている気がするので、もうしばらくの辛抱すればこれらの痛みも和らぐだろう。


「だったらいいが……。昨日からずっと苺苺の体調が心配で仕方がなかった。痛ければすぐに言うように。妾が皇太子殿下にことづけておく」


「お気遣いくださりありがとうございます」


 会話がひと段落ついたところで、紅玉宮付きの女官たちが部屋へ入室し、お茶や茶菓子を円卓の上に並べていく。


 木蘭はそれを見届けると、「皆、退がるように」と筆頭女官の若麗とともに全員を退出させた。

 六歳の幼妃であるが、見事な主人っぷりだ。


「――それで、本題なのだが」


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