25 深夜ですがひと仕事です
御花園の奥地には後宮の城壁と、宮廷の城壁の屋根が重なり合う部分がある。
(そこさえ越えれば、城の外です)
りーん、りーんと春虫の音だけが辺りに響いている。
虫が苦手な苺苺であるが、今夜ばかりは城壁警備の宦官に見つかりやしないかと、そっちの方にドキドキしていた。
(でも……城壁警備の宦官の方、あまりお見かけしませんね)
夜に出歩いたことはないが、ここは後宮。想像ではもっと多いと思っていた。
それとも今夜はなにか問題が発生して、どこか別の場所に集まっているのだろうか。木蘭の件があった後だ。その可能性も十分にあった。
しばらく進むと、目的地であった城壁の前にはまったくひと気がなかった。
しかも、ちょうどよく植え込みには置き忘れられたらしい長梯子があるではないか。
雑然とした放置の仕方からして、御花園の庭師ではなく城壁警備の宦官が急用かなにかで慌てて隠し置いた雰囲気だ。
(ふむ、急な腹痛のお手洗いでしょうか? それは大変です。すぐにお返ししますのでお借りいたしますね)
と心の中で声をかけ、苺苺は物音を立てないように慎重に長梯子を城壁へ掛けた。
「私の手が城壁の上を越えたら、結界に傷つくこともありませんからね」
よいしょ、よいしょ……と城壁に登った苺苺は、鳥籠から猫魈を出す。
そして自らの手で、その外へと送り出した。
「にゃぁん?」
「そうです、これが『白蛇の刑』のその三、帰郷のお手伝いです。……危ないですから、もうお城に入ってはいけませんよ」
三毛猫の猫魈は名残惜しそうに苺苺を見つめると、城壁の向こう側へひらりと跳躍する。
純白の友情の証が風に靡いた。
「にゃーお、にゃおん」
「はいっ。猫魈様も、どうかお元気で。道中お気をつけて!」
三つの尾が揺れるふもふの背中に、苺苺は小さく手を振る。
こうして苺苺は、後宮で初めてできた友人と、笑顔でお別れしたのだった。
◇◇◇
ひとりきりになると、なんだか疲労がどっと押し寄せてくるものである。
(思い返してみると、忙しい一日だったかもしれません)
物寂しい気持ちになりながらコソコソと御花園を出て、心身ともにクタクタになった苺苺が水星宮に帰ると――室内は、酷い有様だった。
「し、白蛇ちゃんだけでなく、白蛇ちゃん抱き枕までもが……!」
円卓に置いていた
「ひ、ひぇえ……っ。白蛇ちゃん抱き枕までやられるなんて……。こんなことは初めてです」
大きい抱き枕ぬいぐるみは、通常の白蛇ちゃんの十倍以上の効力を発揮する。
しかし、大抵は抱き枕ぬいぐるみに悪意が及ぶ以前に、通常の白蛇ちゃんが身代わりとなってくれるので、ズタボロにされたのは初めてだった。
「よ、よほどわたくしに恨みつらみが……。どなたでしょうか……。やっぱり、猫魈様を木蘭様へけしかけた恐ろしい女官の方でしょうか……」
「おおお恐ろしや!」と苺苺は誰もいない水星宮で飛び上がった。
無駄にビクビクと周囲を警戒しながら、新しい身代わりを用意する。
それから袂に入れていたぬい様を取り出すと、ズタボロになった白蛇ちゃんたちと一緒に棺にしている木箱におさめ、「よいしょ」と抱えて、水星宮の奥へと向かった。
湯殿の外には、やっつけ仕事で造られたような小さな
「深夜ですがひと仕事です」
苺苺は白蛇ちゃんたちを薪と一緒にくべると、火打ち石を持ち、手慣れた様子で火をつけた。
ズタボロの白蛇ちゃんたちが赤い火に呑まれる。
煙が天に登った。
「本日もお守りくださあり、ありがとうございました」
苺苺は感謝の気持ちでそれを見送る。
「は〜〜〜。春の夜は冷えますね。ささ、早く温かいお風呂に入っちゃいましょう。湯浴みを終えたら、新しい木蘭様ぬいぐるみを作らなくては」
水星宮の湯殿の湯船といえば人ひとりが入れるくらいの木桶が置かれているだけで、他の妃たちの宮の湯殿より何倍も小さく、それはそれは簡素らしい。女官たちの噂で聞いた。
が、この木桶がまた湯を満たすのに時間がかからなくて便利がいい。
排水も掃除も楽なので、苺苺にとっては優れもののお気に入りである。
(なんたって、余った時間で刺繍がうーんとできます)
「恐ろしい女官の方の脅威はまだ去っていないはずです。木蘭様をお守りするためにも、徹夜でたっくさん作っちゃいましょう! えいえいおうですわ! ふんふんふ〜ん」
苺苺は鼻歌を歌いながら、白蛇ちゃんをくべた火で湯浴み用の湯を沸かすのだった。
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