第54話 「運転手さん、前の車を追って下さい」
制服のままだったのに気付き、一旦自室に戻って動きやすい服装に着替える。
クローゼットから生地の厚い黒の長袖Tシャツと、
季節的にちょっとアレだが、素肌を晒している箇所はなるべく減らしたい。
無駄に多いポケットには、凶器類を中心に必要になりそうなものを詰めておく。
大型で
「窓がブチ割られてるし、あまり意味はなさそうだが……」
それでも一応は戸締りをして、用意しておいた安全靴に履き替えた。
とはいえ蹴りの威力は高まるし、ある程度は足裏での防御も可能になる。
この騒動が終わったら、普段使いの品についても色々と見直すべきだな。
「まぁ、まずはチャチャッと終わらせてきますか」
そう独り言ちながら家を出ると、二台の車が庭に入ってくるところだった。
銀色のキャラバンと、何だか角ばった左ハンドルの赤い車。
エンブレムがフォルクスワーゲンだから、ゴルフあたりの古い車種だろうか。
キャラバンから二人、作業服姿の男たちが降りてくる。
助手席から出てきた高そうなスーツを着た痩せた男は、俺によろしくない視線を絡めた後で、車庫の前で座り込んでいる
「おい高遠、何がどうなってんだっ?」
「あぁ、モモさん……
「ハッ、返り討ち食らったか? 相手は何人だよ」
薄笑いを浮かべたモモとやらに対し、高遠は視線を逸らして
「そこの……そいつだけ、です」
「は? マジで言ってんの? おフザケで呼ばれたなら、こっからブチキレんぞ?」
「いや、マジなんで……こん中、確認してください」
「……お前ら、ちょっと見てこい」
高遠が顎をしゃくって車庫を示すと、モモは手下二人に雑な感じで指示を出す。
そろそろ話に混ざった方がいい気配を感じた俺は、唐突に車で突っ込まれないように位置取りを考えつつ、車庫の方へと歩いていく。
「え、何が……大輔さん⁉ 大輔さん!」
「うぉおおぅ? 何だこりゃ!」
内部から、下っ端二人の困惑した声が漏れてくる。
どうやら
他の連中もダウンしたままか、まともに動けない状態が続いているらしい。
作業服の二人に両脇を抱えられ、グッタリしたままキャラバンに運ばれる雪枩。
「怪我は大したことねぇようだが……何をしやがった?」
「俺は何も。ただ、取り巻き連中に選ばせただけだ。チンコを
さっき
回転しながら飛んできた写真をキャッチしたモモは、写っているものを見ると大きく溜息を吐き、グシャリと握り潰してポケットに
「やってくれたな……で、お前はどうしたいんだ」
「話が通じそうで助かるね。雪枩と愉快な仲間たちに受けたウチの被害を回復してもらえれば、大輔坊ちゃんの処女喪失ビデオを個人名で密送する」
「被害、ねぇ……いくら欲しい」
「そのへんの話を詰めたいから、親父の方と会わせてもらおうか」
俺の返事が終わらない内に、モモの殺気が大きく膨らんだ。
どうやらコイツ、バカ息子の大輔はワリとどうでもよくて、親父の
わかりやすく表情をピキらせたモモが、
「気軽に言ってくれるじゃねえの……今の状況で会長に
「帰りたくなったら勝手に帰るから、そこは心配してくれんでいい」
「チッ――ココにはもう帰れなくて、どっかで土に
「ゴチャゴチャうるせえ。いいから、俺をアンタらの親玉のトコまで連れてけ」
俺が言い切れば、モモの放っていた
戦意を失ったヤツに特有の反応だが、力量差でまともな勝負にならないと判断した場合と、相手の行動や発言で毒気を抜かれた場合の二種類がある――モモは恐らく後者だ。
俺のことはイキッた自殺志願者としか思えなくなった、といったところだろう。
乱れた髪を
「モモさん……
そんな捨て台詞を放った高遠は、膝がダメになっている様子の右足を引きずりながら、のそのそとキャラバンに乗り込む。
百軒と話をしている内に、ノリオや他の手下たちの回収も
俺も当然のような顔をしてキャラバンに乗ってしまおうか、と考えていると百軒が戻ってきて告げる。
「お前はそっちの、赤いのに乗れ」
「俺が一緒だと、大輔坊ちゃんのハートブレイクが悪化するか?」
「単なる定員オーバーだ……『お客さん』なんだ、余計な気を回すな」
お客さん、のアクセントにあからさまな悪意が
罠のニオイがプンプンするが、乗ってしまって大丈夫だろうか。
警告のような脅迫のような、高遠の言葉も引っ掛かるし、何かあるのは確実だ。
自分で運転しない車ってのは、中々に不自由だし逃げ場が少なくなる。
大型車に衝突させる、高所から落下させる、水中に沈める、爆発物で吹き飛ばす、銃で乱射する――車体を棺桶代わりにする、様々なパターンも見てきた。
不安は残るが、今回のトラブルは突発的なものだし、そこまで
キャラバンが発進した後で、ゴルフの後部座席へと乗り込んだ。
「運転手さん、前の車を追って下さい」
挨拶代わりに軽いボケを放ってみたが、運転席のオッサンはミラー越しに俺をチラ見しただけで、笑いもしないし返事もしない。
四十前後であろうオッサンは、身長は百七十ないくらいだが、デブとは違う厚みのある体に短めの金髪が乗っていて、まともな人間ではないとアピールしている。
一方で、全体的に頭が薄くなりかけている問題もあるので、どうにもヒヨコっぽい印象が拭えず、いかつさに余計なアクセントが足されていた。
無言で煙草に火を点けたヒヨコもどきのオッサンは、
先行したキャラバンは、既に見えなくなっている。
それでも急ぐ様子もなく、ゴルフはモタモタと住宅街の細い道を進む。
行き先はヒヨコがわかっているだろうから、特に気にすることもないのだろうが。
「……何をやらかしたんだ、小僧」
しばらく無言で走り、何度目かの信号待ちで不意にヒヨコが話しかけてきた。
声の調子には心配や同情などは混ざっておらず、ただの確認という雰囲気だ。
「俺は
嘘ではないが、詳細は省いた答えを返しておく。
窓を開けたヒヨコは、短くなった煙草を指で
平成初期の公衆道徳はこんな感じだったな――と懐かしんでいると、ヒヨコは新しい煙草に点火して、盛大に煙を吐いてから言う。
「逃げてもいいぞ」
「そしたら、後ろから
「んなこたぁ、せんよ。逃げたら追わん」
「アンタが追わなくても、他の連中が追って来るだろ」
「それはそう、かも知れんが……」
『パァーーーーーーーーーーーーーーーーー』
ヒヨコが言葉を濁したところで、派手にクラクションが鳴る。
信号が変わったのに動かないんで、後ろのファミリアが痺れを切らしたらしい。
ヒヨコは短く溜息を吐くと、煙草を咥えてアクセルを踏み込んだ。
「行ったら死ぬぞ、小僧」
「もう聞き飽きてる。そういう脅しは」
「脅しじゃねぇ。死ぬか、死んだ方がマシな状況になるか、二つに一つだ」
そう語るヒヨコの声は淡々としていて、
なのに何故、俺を逃がそうとしてくるのか、その真意がわからない。
ポワポワした後頭部をジッと見詰めていると、首を傾けてパキッと骨が鳴らしたヒヨコが呟く。
「聞いとくべきだぜ、経験者の言葉は……」
忠告を冷笑と共に無視すると、ヒヨコはもう何も言わなくなった。
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