第5話 「行くぞ、9番がっ!」

 軍服マッチョ、略してグンマは無造作むぞうさに俺に右手を伸ばしてくる。

 攻撃の意図はなさそうだが、何をするつもりだ――といぶかしんでいたら、平手でペチペチとほおを軽く叩かれた。


「ま、そういうワケだからよ。お前みたいなガキは、お呼びじゃねえんだ。サッサと回れ右して、あのドアから出て、全部を忘れろ……な?」


 親切ごかして言いながら、方向転換させようと俺の両肩を掴んできた。

 強者の余裕、みたいなものをアピールしたいのだろうが、笑えない冗談だ。

 もしかすると、馬鹿野郎の演技をしてコチラを試している可能性もある。

 不意に致命的な攻撃が来るかもしれないし、少し様子を見るべきか。


「ホラホラ、帰りは逆方向――おっ? んんっ?」


 グンマは押したり引いたりしてくるが、その全てをフワッと受け流す。

 純粋な筋力では対抗できなくても、こういう曲芸的な技術を駆使すれば、今の俺にでも無効化は容易たやすい。

 れてきたグンマは、強めに肩のあたりを突き飛ばそうとするが、それは身をよじってかわしておく。

 

「おいおーい、遊んでんなよー」

「ビビらせたら泣いちゃうだろ、女の子を助けに来た純情ボーイくんが」

「ケハハハハハッ! 何か前に流行ったよなぁ、こういうオモチャ!」


 どうやら、傍目はためからはフザケてるように見えるらしく、小太りとグラサンが野次やじを飛ばしてきた。

 不機嫌そうだったリーダーも、ゲラゲラ笑って妙な感じに盛り上がっている。

 たぶんコイツが言っているのは、音に反応してクネクネと動く花のオモチャ『フラワーロック』のことだろう。


「チッ! ナメてんじゃ――」


 あおられたグンマが舌打ちし、右腕を引いてストレートの予備動作に入った。

 パンチが俺に届くまでに、余裕で三発はブチ込めそうな程にトロい。

 しばらく泳がせてみたけれど、こんな感じならもう警戒する必要もないな。


「おぅらっ――たっ、のぁっ⁉」


 ヘロヘロな右拳をスウェーで素通りさせ、前のめりになったグンマが体重を乗せている左足を払う。

 かさず、バランスを崩して仰向けに転がったグンマの鼻面はなづらを、加減ナシに靴底で踏み抜いた。


「へぶっ! う、あぶぁ、ぬぐぅぅぅ……ぅぶっ! ぷぇっ!」


 にごった悲鳴とそれに続くうめき声は、もう二回踏んで停止させた。

 瑠佳るかと、彼女を囲んでいる三人と、カウンターの店員が、揃って俺を見る。

 何が起きたのか理解できない様子で、全員の目と口がフルオープンだ。

 そろそろかな、と判断した俺は瑠佳を見据えて、落ち着いた声で問う。


「本当に大丈夫なのか、おい」

「だっ、大丈夫……じゃ、ないかも」


 答える瑠佳の声は、さっきまでと同じく酷く震えている。

 けれどコチラを見詰め返す目からは、薄暗いかげりが消えていた。


「俺はどうすればいい、サメ子」

「助けて……ケイちゃん」


 俺が小学校時代の綽名サメ子で訊けば、瑠佳も昔みたいな呼名ケイちゃんで応じてくる。

 瑠佳の周りの三人は、展開についていけてないようで、無意味にまごついていた。

 こいつらの今やるべきことは、俺を囲んで動きを封じてからの一斉攻撃か、瑠佳を締め上げたり刃物を突き付けたりで俺に降伏を迫るか、そのどちらか。


 なのに、何のアクションも起こしていない時点で、話にならない無能だ。

 おそらくは仲間内で最も戦闘力が高かったグンマが、ごく普通の学生にしか見えない俺に瞬殺された混乱があるにしても、余りに腑抜ふぬけている。

 コイツらはもう、チャチャッと片づけてしまおう。

 そう決めると、近くのテーブル席の前へと移動する。


「じゃあサメ子、頭を抱えて丸まれ」

「えっ――うんっ!」


 どうして、と訊き返そうとしたのをすぐに切り替え、瑠佳がその場にしゃがむ。

 小太りとグラサンとリーダーは、このに及んでも棒立ち状態を続け「何なんだお前らは」感を暴騰ぼうとうさせている。

 ついでにカウンターの店員を確認すると、ハイネケンの缶をグシャッと握って、中身を盛大にこぼしてした。

 

「さて、と……行くぞ、9番がっ!」

「おごっ――」


 テーブルの上から灰皿を拾い上げ、サイドスローでブン投げた。

 黄色と白のボールが描かれたガラスの円盤は、猛スピードで数メートルを滑空かっくう

 標的となった小太りは無反応のまま、眉間みけんで衝撃を受け止める。

 灰皿は砕け、小太りはり、バレリーナみたいな回転を披露ひろうしながらグシャリと沈む。


「はっ……ふぁあああああぁっ⁉」


 頓狂とんきょうな叫びが、バーカウンターの方から放たれる。

 それで正気に戻ったのか、倒れた小太りと倒した俺を交互に見ていたリーダーとグラサンが、フッとまとっている空気を変化させた。


「なっ、何して……おまっ、お前マジでっ……何してくれてんだぁ! オォオウ? ブッ殺すか? 殺されんのか⁉ ボケがよぉ!」

「ざけてんじゃねぇぞっ、オイッ! シャレんなってねぇかんな、マジ死んだぞ、あぁあああ? オイ、オイ! てめぇマジ死んだぞ、今日この、ここでっ!」


 やっと脳まで血が巡って、二人は戦闘態勢に入ったらしい。

 耳障みみざわりなチンピラ言語を撒き散らしながら、俺との間合いを無造作むぞうさに詰めてくる。

 こんな油断した動きが出来るのは、どんな攻撃も返せる自信があるか、単なるド素人のクソザコってことになるが――


「クソザコだな、こりゃ」

「あぁ⁉ てめぇええ今ぁ、何つっ――」


 ビリヤード台に置き去りのキューを握ると、オラつきながら近づいてくるグラサンの首を狙って、横薙よこなぎに振り抜いた。


「げゅっ」


 無警戒のままノドを潰されたグラサンは、膝から崩れて床に突っ伏して「コヒュー、パヒュー」と変な呼吸音を繰り返すばかり。

 俺が中ほどで折れたキューを捨てると、リーダーは別のキューを両手で構え、上段で大きく振りかぶった。


「ナメてんなよ、クソガキぃいいいっ!」

「ナメられてるアンタらサイドにも、だいぶ問題あるぞ」

「てめぇ……泣きを入れても、もう無理だぜ? マジでブッ殺されんぞオォウ⁉」

「口数が多いし口もくせぇ。サッサと来いって」


 クイクイ、とブルージーな手招てまねきで挑発すると、リーダーの表情がグニャリと歪む。

 これまで何度も目にしてきた、人がマジギレする瞬間のパターンその1だ。

 まなじりを吊り上げたリーダーは、表音ひょうおん困難な奇声を撒き散らしてキューを振り下ろしてきた。

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