第三章 02 運命の女神の采配
アイリスは領地へ戻ったが、セレーネはタウンハウスにも領地にも戻らない。失恋の痛手は大きく、ひとり
セレーネの願いどおり元夫には会えたが、ほかの女性に恋をしているなどあまりにつらい。これが女神の言う『ハードモード』なのか。
「わたくし、これからどうやって生きていけばいいの……」
里帰りして生徒が少なくなった寮は静まり返っている。思う存分いじけて、メソメソと泣きはらした。それでも明日はやってくる。生徒たちが戻ってくるまでには平静を装い、公爵令嬢の仮面を装着しなければならない。
「このままじゃだめね。何かこう……あっ、そうよ。狩りに行きましょう!」
森を歩けば気分転換にもなるし、とっても確率は低いがもしかしたら……レオネルにまた会えるかもしれない。そんな下心を持っていそいそと準備した。
今度は迷惑をかけないよう、行きしなにダガーナイフも用意した。返さなくていいと言われた魔法の巾着袋とは別に、自分でも同じものを買ったのだが、結構なお値段だった。オーダーメイドのドレス一着分はする。
小さく見える巾着は紐をほどくと口が大きく広がり、布底には物質縮小の魔法陣が
外側には普通の飾り模様が刺してあるので、二枚仕立てなのだろう。神につながる空間魔法とは違い、物質縮小魔法では容量に限りがあるのが難点だ。
ギルドに着き、セレーネは受付の少女リラに軽く手を振る。右側の掲示板へ進むと、フードを被ったふたりの男が、小声で「いけるだろ?」「いや、無理だろ」と押し問答を続けていた。とっても邪魔だ。
男たちが検討している依頼書には、“シャウト・コンドルの討伐”とあった。ふたりとも格好からして剣士っぽい。空を飛ぶ魔獣の相手は厳しいだろう。でもセレーネなら問題ない。フードを深く被りなおし、顔が見えないよう俯きがちに声をかける。
「その依頼、譲ってくださらない?」
「「――えっ?」」
同時に振り向いた男たちは、セレーネの頭上で何やらやり取りをしている。声は聞こえないが、手を動かして伝え合っているようだ。しばらくして男たちの手が下がった。
「じゃあ、一緒にどうかな? セレーネ嬢」
「なっ⁉ なんで?」
どうして名前を知っているのだろうか。バッと顔を上げて目に映ったのは、ミルクティ色の金髪と、紅茶色の赤毛。
「レオネル様⁉」
「また会ったね。あ、こっちは腐れ縁のラルフ」
「よろしくお願いしますわ、ラルフ様」
「よ、よろ…………いや待て!! 彼女は公爵令嬢だろ⁉」
「でも噂どおり強いんだよ」
「そういう問題じゃ――」
「――ラルフ様。『戦闘においては何があっても自己責任』というのが我がシリウス家のモットーです。よって、なんの問題もございませんわ」
レオネルと狩りに行けるチャンスを
「ハァ……、なんとお呼びすれば?」
「セレーネで結構ですわ。敬語も必要ありません。あなたがたは先輩なのですから」
「……よろしく、セレーネ嬢」
「はい。では参りましょうか」
シャウト・コンドル――通称“
ギルドの外につないでいた二頭の馬をレオネルが引いてきた。
「セレーネ嬢、馬には乗れる?」
「ええ。わたくしも馬なら持っておりますわ」
首をかしげるレオネルとラルフの前で、魔法の土馬を形作る。足の下から盛り上げたそれは、セレーネが騎乗した姿でできあがった。いちいち
レオネルたちは目を見ひらき、口をあんぐりとあけた。まわりのザワつく声でふたりは我に返る。ラルフは「これが噂の」と感心し、レオネルは「まずいな」と慌てた。
セレーネの作った土馬は薄灰色で、焼く前の陶器みたいな色。見たことのない馬に人々が集まってきた。
「セレーネ嬢、一旦魔法を解除しようか」
「え? はい」
「うんうん、それで……こっち来てくれる? ここに足をかけて」
魔法を解除させたうえ、レオネルは素早くセレーネを自分の馬に乗せた。その後ろにレオネルが跨がり、「口を閉じて」と言いながら馬の腹を蹴る。ラルフも遅れずについてきた。口を閉じるよう言ったのは舌を噛まないためだろう。結構なスピードで走っている。
(あら……あらら? なんでこんなことに⁉)
さらにレオネルは顔を寄せ、申し訳なさそうな声でささやいた。
「西門を出るまでは我慢してもらえるかな? 魔法の馬は目立つから」
「っ――⁉」
フードは風に吹き飛ばされている。後ろから抱きしめるような形で顔を寄せられ、思考がオーバーフローを起こしてまともにしゃべれない。一拍遅れてコクンと頷く。何がおもしろかったのか、吹き出したような笑い声が耳にかかった。
(ひいぃぃ)
背中に飛ばされたフードを被りなおして、飛ばないように押さえる。
前世の月衣と怜央も仲睦まじい夫婦だった。でもこんな状況は初めてだ。耳まで真っ赤なのは、とっくにバレているだろう。笑われたのはそのせいかもしれない。
(……そろそろ、限界かも)
寄りかからないよう無理な態勢を取っていたせいか、筋肉が、腰が、悲鳴をあげている。フードを押さえながらも馬にしがみつき、がんばっていたというのに、レオネルは「失礼」と軽く言って肩を抱き寄せた。
「寄りかかって。このほうが楽だろう。もう少しの辛抱だから」
「……はい」
恥ずかしさより腰の痛みが勝ってしまった。レオネルという背もたれはとても心地がよい。そう、これは背もたれだ。両側に見えるたくましい腕は、ジェットコースターの安全バーだ。
(よし……、いける!!)
西門を出ても人がちらほらいるという理由で、結局神殿まで乗せられてしまった。馬を降りたセレーネは、あらためて礼を言う。
「ありがとうございました。最後まで乗せていただいて……」
「それはいいんだけど。魔法の馬を駆れるのはシリウス家くらいだと、貴族なら知っているから気をつけて。今はお忍びだろう?」
「あ……、そうですわね。以後気をつけますわ」
素性を隠したいセレーネのために、ずっと馬に乗せてくれたのか。気遣いのできる男はモテるに決まっている。“女たらし”というより、“罪作り”な人なのかもしれない。
「神官に話を聞いてみるか」
レオネルはもう仕事モードに入っている。セレーネはまだ顔の火照りが取れないというのに。フードを目深に被る。頬の赤みが引くのを待つしかない。
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