第三章 02 運命の女神の采配

 アイリスは領地へ戻ったが、セレーネはタウンハウスにも領地にも戻らない。失恋の痛手は大きく、ひとり悶々もんもんと夏休みを過ごす。

 セレーネの願いどおり元夫には会えたが、ほかの女性に恋をしているなどあまりにつらい。これが女神の言う『ハードモード』なのか。


「わたくし、これからどうやって生きていけばいいの……」


 里帰りして生徒が少なくなった寮は静まり返っている。思う存分いじけて、メソメソと泣きはらした。それでも明日はやってくる。生徒たちが戻ってくるまでには平静を装い、公爵令嬢の仮面を装着しなければならない。


「このままじゃだめね。何かこう……あっ、そうよ。狩りに行きましょう!」


 森を歩けば気分転換にもなるし、とっても確率は低いがもしかしたら……レオネルにまた会えるかもしれない。そんな下心を持っていそいそと準備した。


 今度は迷惑をかけないよう、行きしなにダガーナイフも用意した。返さなくていいと言われた魔法の巾着袋とは別に、自分でも同じものを買ったのだが、結構なお値段だった。オーダーメイドのドレス一着分はする。

 小さく見える巾着は紐をほどくと口が大きく広がり、布底には物質縮小の魔法陣が刺繍ししゅうされている。魔法陣に触れたモノを米粒ほどに小さくするが、生きているモノは入れられない。

 外側には普通の飾り模様が刺してあるので、二枚仕立てなのだろう。神につながる空間魔法とは違い、物質縮小魔法では容量に限りがあるのが難点だ。


 ギルドに着き、セレーネは受付の少女リラに軽く手を振る。右側の掲示板へ進むと、フードを被ったふたりの男が、小声で「いけるだろ?」「いや、無理だろ」と押し問答を続けていた。とっても邪魔だ。

 男たちが検討している依頼書には、“シャウト・コンドルの討伐”とあった。ふたりとも格好からして剣士っぽい。空を飛ぶ魔獣の相手は厳しいだろう。でもセレーネなら問題ない。フードを深く被りなおし、顔が見えないよう俯きがちに声をかける。


「その依頼、譲ってくださらない?」

「「――えっ?」」


 同時に振り向いた男たちは、セレーネの頭上で何やらやり取りをしている。声は聞こえないが、手を動かして伝え合っているようだ。しばらくして男たちの手が下がった。


「じゃあ、一緒にどうかな? セレーネ嬢」

「なっ⁉ なんで?」


 どうして名前を知っているのだろうか。バッと顔を上げて目に映ったのは、ミルクティ色の金髪と、紅茶色の赤毛。


「レオネル様⁉」

「また会ったね。あ、こっちは腐れ縁のラルフ」

「よろしくお願いしますわ、ラルフ様」

「よ、よろ…………いや待て!! 彼女は公爵令嬢だろ⁉」

「でも噂どおり強いんだよ」

「そういう問題じゃ――」

「――ラルフ様。『戦闘においては何があっても自己責任』というのが我がシリウス家のモットーです。よって、なんの問題もございませんわ」


 レオネルと狩りに行けるチャンスをのがしてなるものか。これ以上ウダウダ言うなら馬に蹴られてもらおう。笑顔にただならぬ気迫を滲ませる。ラルフはのけぞったものの、腹をくくったようだ。


「ハァ……、なんとお呼びすれば?」

「セレーネで結構ですわ。敬語も必要ありません。あなたがたは先輩なのですから」

「……よろしく、セレーネ嬢」

「はい。では参りましょうか」


 シャウト・コンドル――通称“なげちょう”の被害に遭っているのは、王都から西へ進んだネブラ山の麓にある神殿だった。ここからわりと距離がある。

 ギルドの外につないでいた二頭の馬をレオネルが引いてきた。


「セレーネ嬢、馬には乗れる?」

「ええ。わたくしも馬なら持っておりますわ」


 首をかしげるレオネルとラルフの前で、魔法の土馬を形作る。足の下から盛り上げたそれは、セレーネが騎乗した姿でできあがった。いちいちまたがる必要もないので楽なのだ。


 レオネルたちは目を見ひらき、口をあんぐりとあけた。まわりのザワつく声でふたりは我に返る。ラルフは「これが噂の」と感心し、レオネルは「まずいな」と慌てた。

 セレーネの作った土馬は薄灰色で、焼く前の陶器みたいな色。見たことのない馬に人々が集まってきた。


「セレーネ嬢、一旦魔法を解除しようか」

「え? はい」

「うんうん、それで……こっち来てくれる? ここに足をかけて」


 魔法を解除させたうえ、レオネルは素早くセレーネを自分の馬に乗せた。その後ろにレオネルが跨がり、「口を閉じて」と言いながら馬の腹を蹴る。ラルフも遅れずについてきた。口を閉じるよう言ったのは舌を噛まないためだろう。結構なスピードで走っている。


(あら……あらら? なんでこんなことに⁉)


 手綱たづなを握るレオネルの腕に囲われて、セレーネは混乱した。すぐ後ろにはレオネルの厚い胸板がある。これは運命の女神による采配なのか。

 さらにレオネルは顔を寄せ、申し訳なさそうな声でささやいた。


「西門を出るまでは我慢してもらえるかな? 魔法の馬は目立つから」

「っ――⁉」


 フードは風に吹き飛ばされている。後ろから抱きしめるような形で顔を寄せられ、思考がオーバーフローを起こしてまともにしゃべれない。一拍遅れてコクンと頷く。何がおもしろかったのか、吹き出したような笑い声が耳にかかった。


(ひいぃぃ)


 背中に飛ばされたフードを被りなおして、飛ばないように押さえる。

 前世の月衣と怜央も仲睦まじい夫婦だった。でもこんな状況は初めてだ。耳まで真っ赤なのは、とっくにバレているだろう。笑われたのはそのせいかもしれない。


(……そろそろ、限界かも)


 寄りかからないよう無理な態勢を取っていたせいか、筋肉が、腰が、悲鳴をあげている。フードを押さえながらも馬にしがみつき、がんばっていたというのに、レオネルは「失礼」と軽く言って肩を抱き寄せた。


「寄りかかって。このほうが楽だろう。もう少しの辛抱だから」

「……はい」


 恥ずかしさより腰の痛みが勝ってしまった。レオネルという背もたれはとても心地がよい。そう、これは背もたれだ。両側に見えるたくましい腕は、ジェットコースターの安全バーだ。


(よし……、いける!!)


 西門を出ても人がちらほらいるという理由で、結局神殿まで乗せられてしまった。馬を降りたセレーネは、あらためて礼を言う。


「ありがとうございました。最後まで乗せていただいて……」

「それはいいんだけど。魔法の馬を駆れるのはシリウス家くらいだと、貴族なら知っているから気をつけて。今はお忍びだろう?」

「あ……、そうですわね。以後気をつけますわ」


 素性を隠したいセレーネのために、ずっと馬に乗せてくれたのか。気遣いのできる男はモテるに決まっている。“女たらし”というより、“罪作り”な人なのかもしれない。


「神官に話を聞いてみるか」


 レオネルはもう仕事モードに入っている。セレーネはまだ顔の火照りが取れないというのに。フードを目深に被る。頬の赤みが引くのを待つしかない。

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