異世界のんびり温泉旅~チートな温泉魔法で自由で快適な異世界観光を楽しみます~

台東クロウ

第1章 ユースラ

第1話 女神にぶっ殺されて異世界転移

 そろそろ死ぬかー、と思ったのは二年ほど前のことだったか。


 大学卒業後、尊敬する先輩が起業した会社でガムシャラに働いていた頃は良かった。雲行きが怪しくなったのはその先輩が亡くなってからだ。先輩の死後も会社のために身を粉にして働いていたのだが、面倒を見ていた同僚や部下たちに裏切られ、不祥事を押し付けられて会社を追い出された。そこで生きる気力の糸がプツリと切れた。人間不信になった俺は、前々からやりたいと思っていた世界温泉旅行をしてから死のうと思ったのだ。


 仕事に忙殺されていた俺には、幸いにして貯金はたんまりあった。そんな訳でここ二年ほどは世界中の温泉を巡り、今は最期の目的地に向けて歩いている最中だ。


 とある小国で山を三つほど抜け、火山近くの森の奥深くまで歩くとたどり着けるその温泉は、労力のわりには大した効能は無く、景色も良くはない。あえて俺がそこに行ったのは先輩との思い出の地だったからで、他の誰かが出向いてくるような場所ではない。


 だから、先客がいるだなんて思ってもいなかった。


 森の中にポツリと存在する小さな温泉にたどり着いた俺は、中性的な美人が湯に浸かっていることに気が付いた。当然、裸だ。慌てて後ろに振り向きながら、日本語で謝ってしまう。


「すみませんっ!」

「別に構わないよ。せっかくなのだから、君も入るといい」


 返ってきたのは日本語だった。恐る恐る顔を窺うが、美しい金色のショートヘアはとても日本人には見えない。中性的で男性か女性かの判断がつかないが、入って良いということは男なのだろうか?


 俺は少し迷ったが、お言葉に甘えて湯に浸かることにした。服を脱いでかけ湯をすると、湯気を立てる温泉に足からゆっくりと入っていく。火山性温泉であるこの湯の温度は43度ぐらいあり、なかなか熱い。高齢者の高温浴は事故が多いと聞くが、俺はまだ三十半ばなので大丈夫だろう。まあ死んだら死んだで構わないのだが。


 湯に肩まで浸かり、ゆっくりと息を吐く。ここに来るまでの苦労が身体から抜けていくような感覚。緊張が解け、隣人に話しかける気力が少し湧いてきて様子を窺う。熱い湯だと言うのに、白い肌は少しも赤くなる気配が無い。


「日本語がお上手ですね」

「日本語? ああ、君にはそう聞こえているんだね」


 妙な返事だった。また、再び声を聞いたことで、やはり女性のようにも思えてきた。直接聞くわけにもいかずもやもやしていると、それを察したように隣人が答える。


「私には男や女という性別は無いよ。神だからね」

「はあ、神様。なるほど……」


 もしかして変な人と会ってしまったのかもしれない。しかしこれも旅の醍醐味だと思って俺は会話を続けることにした。もう人間と深く関わる気には到底なれないが、今後会うこともない自称神様との会話を楽しむ程度の余裕はある。


湯通堂ゆつどうジンです。よろしく」

「よろしくユツドー。私は神なので名前は無いが、人々は私を女神スパクアと呼ぶね」

「女神なら性別あるんじゃねーかっ……!」

「あっはっは! 一本取られたね!」

「裸を見られて恥ずかしくないんですか?」

「私の美しい身体に見られて恥ずかしいところなど、どこにもないよ」


 スパクアはモデルのようにポーズをつけながら笑う。そう……。


 それから俺たちは雑談を楽しんだ。最初は敬語だった俺の言葉も、いつの間にか砕けている。スパクアは妙に話しやすく、会社を追い出されて人間不信なことまで話してしまった。


 ひとしきり喋ったあと、スパクアは嬉しそうに微笑んだ。


「それにしても、こんな辺境に人が来るのは嬉しいね。ここは私のお気に入りの場所なんだ」

「お気に入り。ここが?」


 周りを見るが、鬱蒼と生い茂る森に囲まれた立地は、さして良い場所とは思えない。上を見ても雲ひとつ無い青空があるだけだ。


「ああ、君は昼間しか来たことがないのかい? 勿体ないね、ここは夜空が最高なんだ」

「夜に来たら死ぬだろ……」


 昼間だからこそ森を抜けてキャンプ地に帰還することが可能だが、夜に来れば遭難まっしぐらである。想像しただけで青ざめた俺をスパクアは笑い飛ばすと、細い人差し指で天を指さした。


「では君に特別に夜空を見せてあげよう」


 俺はスパクアの指先に釣られて天を見上げ――ぽかんと口を開けて呆けた。


 ――先ほどまでの青空が消えて、満天の星々が空を彩っていた。


「すげえ」


 美しい光景に思わずため息を零す。熱い湯に浸かりながら見る景色としては確かに最高級の代物だ。もしかしたらスパクアは本当に女神なのかもしれない。俺が感嘆の声を上げると、月明かりに照らされたスパクアが得意気に頷いた。


「そうだろう、そうだろう。どれ、もっと良い景色を見せてあげよう」


 スパクアが指を鳴らすと、星空が動き出した。まるで早送りの動画のように、星々が流れ、回転していく。やがて空が明るくなると、太陽が昇り、また沈み、再び星空が現れる。星空と青空が繰り返し繰り返し現れては消えていく。幻想的な光景だった。


 俺はその光景に夢中になり――――身体に力が入らないと気付いた時には、意識を失っていた。




 いつの間にか、俺は真っ白な空間にいた。どこまでもどこまでも白く、自分が立っているのか浮かんでいるのかさえ分からなくなるような漂白された空間だ。不安になりながら視界を動かすと、スパクアともう一人の少女が近くにいることに気付いて安堵する。


 スパクアはなぜかシクシクと泣きながら正座しており、その脇に立つ少女は怒ったような表情をしている。少女は白い翼を背中から生やしており、まるで天使のように見えた。その天使が俺に語りかけてくる。


「ユツドーさん。あなたは女神スパクアの手違いにより死亡いたしました」

「しぼう………………死亡!? 俺が死んだってっ!?」


 俺はぎょっとしてスパクアのほうを見る。よく見ると正座したスパクアは「私がりました」という看板を首からぶら下げていた。死んだと言われても、俺には死んだ記憶が全く無い。最期の記憶は温泉に入りながら回転する星空に感動していたところで途切れている。


 ……いや、待てよ?


 星空と青空が順番に巡るのを俺は早送りの動画みたいだと思っていたが、もしかして実際に早送りされていたということは無いだろうか? あの数十秒の間に、マジで数日経っていたのか? 俺は天使に恐る恐る聞いた。


「なあ、もしかして俺の死因って」

「二週間ほど飲まず食わずで星空を眺めていたことによる餓死です」

「何してくれてんの!?」


 浦島太郎みたいな話だった。いや、死んでるのだから昔話よりひどいか。犯人であるスパクアは正座しながら、


「ごめんよー。ちょっと良い景色を見せたくて時を加速しただけなんだよー。そんな簡単に人間が死ぬとは思わなかったんだよー」


 とおんおん泣いている。めちゃくちゃ気軽な動機で人間の命を奪ってしまうのはまさに神様と言ったところだ。あと数時間は正座していて欲しい……。しかし、俺が死んだのはいいとして、この空間に呼ばれた理由は一体何だろうか? 俺が首を捻っていると、天使がまさにそこを説明してくれた。


「今回は女神スパクアの手違いによりユツドーさんは死んでしまったので、お詫びとして若返りしたうえで異世界に転移させて頂きます」

「若返り。異世界転移」


 要するにうっかり殺しちゃったから別の世界で人生やり直す権利を上げるよってことか。俺は少し考えたが、再び生を受けることにさほどの魅力は感じなかった。スパクアへの恨みの気持ちも無い。そもそも、あの温泉に入ったあとは日本に帰ってから死ぬつもりだったのだ。俺は首を横に振った。


「いや、別にいいわ。このまま死なせてくれ」

「いいのかい!? 君にはすっごい魔法も上げるよ? いわゆるチートだよチート」


 スパクアが驚いた声を上げるが、それでも俺の決意は変わらない。なんかもう、人間と深く関わるのが嫌なんだよな。異世界のどこかの街で誰かと助け合いながら一生を過ごすことを考えると、それだけで気が重くなってくる。


「本当にいいのかい? チートがあれば人々から尊敬の目で見られるよ?」

「そういうのはいらねえから……」

「本当にいいのかい? 異世界転移者なら美少女にもモテモテだよ?」

「そういうのはいらねえから……」

「本当にいいのかい? 私が手を入れている世界だからすごい温泉が沢山あるよ?」

「そういうのは…………なんだって?」


 俺が食いついたのを見て、スパクアがニヤリと笑った。得意気に胸を張り、「私がりました」の看板がわずかに揺れる。


「あーあー、あの温泉に入らないのは勿体ないなー。特にあのブヘマウで身も心も溶けるような最高級温泉を体験しないで死ぬとはなー」

「ごくり……。おい、ブヘマウってどこだよ。どういう温泉なんだよ。教えろよ」

「ブヘマウはねー」


 スパクアはもったいぶるように溜めた後、意地悪く微笑んだ。


「やっぱり教えなーい。転移して自分の身で体験したまえよ」

「ぐっ……!」


 俺は頭を抱えた。このまま死ぬには最高級温泉があまりにも気になりすぎる。かと言って異世界であと数十年も人間と関わりながら暮らすのは死んでもごめんだ。もう死んでる訳だが。


 だが、どうせ死ぬつもりなのだから、異世界転移してブヘマウとやらに浸かってから死ねば良いのではないだろうか? スパクアによるとすごい温泉が沢山あるみたいだし、ついでにそれらにも寄ってから死ねば満足度は高い。


 俺はそう結論づけると、まだ見ぬ温泉に期待を膨らませながらスパクアに頼んだ。


「分かった。異世界に転移してくれ。俺もブヘマウに入ってみたい」

「はい一名様ごあんなーい」


 スパクアがパチンと指を鳴らすと、俺は白い光に包まれた。光の向こうでスパクアが薄く微笑むのが見えた。


「ユツドー、君が思っているよりも悪くないものだよ、世界も、人間もね。温泉は入るまでの過程を含めて楽しむものだ。過程を楽しみたまえ、過程をね」

「……過程? おいちょっと待て」


 嫌な予感がする。ブヘマウとやらの近場に転移してもらうのを頼み忘れていた俺は慌ててスパクアを制止しようとしたが、白い光はさらに強くなり、何も聞こえず、何も見えなくなり――――気付くと、空に放り出されていた。

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