第4話 宰相閣下のお茶

 この国の王子殿下であるフィリップスは、廊下での大捕物の後、屈強な兵士たちに囲まれて部屋へと連れられて行った。兵たちの肩越しにちらちらと何か言いたげに振り返っていたが、ジュディはその視線をきっぱりと意識の外へと追いやって目もくれなかった。


「それでは、あなたの案内は私が」

「ありがとうございます」


 先に立って歩き出したガウェインににっこりとほほえみ、ジュディはその後ろに続いた。

 そして、目の前の深緑色のジャケットを羽織った、広い背中を見つめた。


(宰相閣下、ジュール侯爵。聞いていた通り、お若いわね)


 ジュディとて、無策で王宮まで乗り込んできたわけではない。

 手がかりのひとつ、ガウェイン・ジュール侯爵に関してはできる限り情報を集めてきた。父や兄、その他には顔を合わせた叔母といった身内に噂を聞いた程度だが。


 三百年もその家系を遡ることができる、この国の生粋の貴族。

 当主である彼は現在三十歳にして、未婚。

 筆頭宰相以下の実務を担当する若き宰相のひとりで、仕事ぶりは実にそつなく優秀とのこと。それこそ、王宮に部屋を与えられ、何日も家に帰らぬこともあるのだとか。

 しかし旧い名家であればこそ、跡継ぎ問題は深刻なはず。仕事に明け暮れたせいでその年齢まで未婚など、あるのだろうか? と不思議に思った。本人に会って、さらに謎が深まった。


(容姿も、悪くない部類よね? 私の感覚がおかしくなければ、彼はハンサムだわ)


 ガウェインは、すらりと背が高く、細身ながら肩幅の広い体つきで、歩く所作からその足の長さが知れた。

 顔立ちは、一見すると無造作に遊ばせた髪や無機質な眼鏡に隠されているが、横顔などに貴族らしく垢抜けた端整さがうかがえる。

 ジュディは、社交界デビューからすぐに婚約と結婚が決まり、以降あまり出歩かなかったこともあって、貴族社会の惚れた腫れたや駆け引きに若干疎い。それでも、彼であればずいぶん女性に懸想されているのではないかと容易に想像がつく。


(何か、大きな問題でもあるのかしら? とんでもない遊び人、という雰囲気ではないわね。ひとは見かけによらないとはいうから、わからないけれど。もしくは、恋人がいても相手が既婚だとか同性だとか身分差があるといった事情があるのか……)


 一瞬だけ、別れた夫を思い出した。兄の婚約者である儚い美女への思慕と執着から、嫁いできたばかりの妻へ白い結婚を言い渡した男である。

 宰相閣下もそんな訳ありだったら嫌だな、との考えがかすめた。事情を抱えたまま結婚していないだけ前夫よりもマシかな、いや完全に他人事なのだし、憶測はやめよう、なるべく立ち入らないようにしよう……。

 テンションが落ちていくジュディに対し、ガウェインは王宮内の私室へと案内してくれてから、まずはゆったりとしたソファをすすめてきた。そして、自分は座らぬまま誠実そうな口ぶりで話し始めた。


「女性と私が二人で部屋に、というわけにはいきませんので、侍女に同席を頼みたいところではあるのですが。申し訳ありません、私の部屋には普段、女性の立ち入りを認めていないんです。ドアを開けておくことを希望されますか?」


 付き従ってきた侍従は、部屋の奥まで立ち入らず、ドアのそばに控えている。ちらりとそちらを確認してから、ジュディは笑顔に余裕を滲ませて答えた。


「結構です。私のために宰相閣下の習慣を変えて頂く必要はありません。私の仕事はフィリップス殿下の教育に関わることと手紙にありましたが、内々の話ですから女の私をここまで通してくださったんですよね? であればいっそあの方にも退室頂いて、二人で話し合うのでも、私はまったく構わないんです」


 問題があるのは承知しているが、気持ちの上ではぜひともそうして欲しい。

 どんなに「これは仕事です」という顔をしていても、侍従にまで内容が聞こえてしまえばなるほどと思われるだろうし、どこかで酔って口を滑らすかもしれない。可能な限り、ジュディは内密に話を進めてほしかった。


(まだ仕事は始まっていませんから。そのときがきたら、やるべきことはやります。でも、目立ちたくも記憶に残りたくもないんです)


 ガウェインはソファのそばからドアへと向かい、侍従に部屋の外へ出るように申し付けた。そして、部屋の隅にあらかじめ準備してあったワゴンをソファのそばまで運んできた。


「お茶とお菓子を用意しておりまして。お口に合うと良いのですが」


 アルコールランプによって加熱していた純銀製スターリングシルバーのティーケトルから、同じく純銀製のティーポットに湯を注ぐ。手付きは危なげなく優雅で、ジュディは興味深く見つめてしまった。こんな風に、自分でさっさとお茶を淹れる男性は、初めて見た。

 カップは白磁で、絵付けは緑の単色ながら繊細な花と葉が手描きで絵付けされたもの。なかなか手に入らない、有名なブランド品だ。

 テーブルに置かれたカップからは、ふわりとほの甘く瑞々しい香りが立ち上ってきた。


「カモミールです。変なものが入っていないか気になるでしょうから、ひとつのポットから二人分。私が先に飲みます」


 ローテーブルを挟んで正面に座ったガウェインは、宣言して口をつける。その顔が微かに歪み、「あちっ」という低い呟きが漏れた。猫舌なのだろうか。

 流れるような動作にわずかにほころびが生じ、ジュディはふふっと声を上げて笑った。


「無理なさらないでくださいませ。毒見でしたらもう十分です。特に疑ってもおりませんし。そこのお菓子だって、全部半分に割って食べましょう、なんて言ってられませんでしょう?」


 ワゴンにのった、陶器の蓋付きマフィンディッシュをちらりと見る。「おっと、出しそびれるところだった」と言って、ガウェインは座ったまま腕を伸ばし、皿を取って蓋を開けた。

 中には、一口大の焼き菓子が数種類、二つずつ並んでいた。アイシングのかかったパウンドケーキや、ジャムをのせた小さなタルトがいかにも美味しそうで、ジュディは目を輝かせる。


「とても香ばしい薫りが。素敵だわ」

「皿に取りましょう。何がいいです? 全部?」

「全部!」


 遠慮なく答えてから、ジュディは自分のぶしつけさに気付き、笑顔のまま固まった。今にも手ずから作業を始めそうなガウェインに「待ってください」と声をかける。


「そんなことを、宰相閣下にして頂くわけには」

「いまこの場には、あなたと私しかいません。そして、招いたのは私で、あなたは大切な客人です。つまりこれは、私の仕事です」

「いえいえいえ、侯爵様にそのようなことをして頂くわけには参りません。それならば私が、ではなく、話を進めて頂きたく!」


 すっかりガウェインのペースにのせられていたが、ジュディはここにお茶を飲みにきたわけではない。業務内容を宰相直々に伝えてくれるという、またとない機会ということで足を運んだのだ。時間を大切にしたい。

 ガウェインもまた、ジュディに言われて思い出したようで「ついついもてなしに熱が」と言い訳をしてから、ジュディに向き直って言った。


「良い足をなさっていると、思いまして」


 足? と聞き返す前に。ジュディは両手を膝の上にぽん、と置いてスカートを押さえ込んだ。それから、裾でもまくれ上がっているのかと自分の足元を確認した。

 裾はくるぶしを過ぎて床にふれるほど。どこからも肌は見えてはいない。

 ガウェインはジュディのその動揺には気付いた様子もなく、話を続けた。


「あなたのように、そこがどこで、ご自分がどんな格好をなさっておいてでも、全力で走れる女性というのは、大変貴重なのだと思います。今日の走りにも、実に胸を打たれました」

「走りに? 胸を?」

「王宮内をドレスで全力疾走。そんな女性、他にいますか? いえ、いません」

「いるかもしれません。それはあなたが女性を知らないだけで、こんなの珍しくないかもしれないし、もっとたくさんいるかもしれません」


 大変苦しい言い訳をしてしまった。いるはずがない。

 しかしここは引くに引けないと、ジュディは完璧な微笑を湛えたまま、一切ガウェインから目をそらさずに見つめ続けた。

 ガウェインは、ジュディの見間違えでなければほんのりと色白の頬を染め、視線をさまよわせて、もう一度言った。


「あなたのその足に、惚れたんです。丈夫そうで、速い」

「まだ言いますか。直に生で見たわけでもないのに」

「はい、もちろん見てはいません。ですが、わかります。あなたの足であれば、フィリップス殿下にも追いつけます。実際に、今日は出会い頭の殿下を早速取り押さえましたからね。これからもその調子で、勉強から逃げ出し、自由を求めて王宮の外へと向かう殿下を捕まえてほしいんです」


 ん? とジュディは小首を傾げ、念押しするように確認をした。


「私のお仕事は、殿下の教育係だと聞いておりますが」


 ガウェインはとても晴れ晴れとした笑顔をジュディに向けて、頷いた。


「はい。殿下の家庭教師をしつつ、殿下を取り押さえるのがあなたの仕事です。あなたの優秀さは聞き及んでいますし、なによりこの役目は足の速さが物を言います」

「閨は?」

「閨ですか?」


 思ったままの単語が口から出てしまい、きょとんと聞き返されて、ジュディはカッと顔に血を上らせた。

 聞き返したガウェインもまた、自分が口にした単語が何か思い当たったらしく、ジュディ以上に顔を赤く染め、むせたように何度か咳をした。



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