第12話 お弁当

「…………」


 ペラリ、と僕は今日も今日とてライトノベルのページを捲る。

 何も変わらないけれど、僕はライトノベルを読みながらチラりとルナさんの席を見る。

 ルナさんはまだ来てない。

 少し前に、初めてルナさんと手を繋いだ。

 あの時は色々といっぱいいっぱいで実感が湧かなかったけれど、僕はあの日、初めて女の人と手を繋いだ。

 

 気持ち悪いかもしれないけれど、今でも何だか右手に感触が残ってる気がする。

 ちょっと小さくて、柔らかくて、暖かい。

 昔握ったお母さんの手とはまた全然違い感触で、何ていうか……守りたい? って思っちゃうような優しい手。

 また、手を繋ぎたいって思っている自分が居る。


「おい」

「……え?」


 唐突に声を掛けられ、僕はビクっと肩を震わせる。

 おそるおそる視線を上げると、そこには東郷くんが居た。


 え、え!? な、何で!?


 僕は恐怖のあまり肩を震わせる。すると、東郷くんは顔に苛立ちを微塵も隠す事なく、僕をにらみつけた。


「お前、マジでいい加減にしろよ……」

「……ひっ!?」


 いきなり凄まれ、僕は思わず喉から変な声が出てしまう。

 そ、そうだよね。か、考えてみれば、東郷くんもルナさんが好きで、僕は邪魔者だもんね。

 僕は出来るだけ東郷くんと距離を取ると、東郷くんは僕の机を叩く。

 バン、と物凄い音が響き渡り、それで全員の注目がこちらに集まる。

 しかし、その注目が東郷くんにとっても不都合なのか、舌打ちをする。


「チッ、ちょっとビビらせたらこうだ……。てめぇ、さっさとルナから手を引け」

「え……」

「お前なんかがルナの側に居ていいはずがねぇだろ? 釣り合う訳――」

「おい」


 閻魔様が裸足で逃げ出すような冷たい声が鼓膜を震わせた。

 東郷くんが苛立ちを全く隠さずに、声のした方向へと顔を向ける。

 僕もそれに合わせて視線を向けると、そこには――。


 額に青筋を浮かべて、ぷるぷると腕を震わせてるルナさんの顔があった。


「ひっ!?」


 僕は思わず声を漏らしてしまう。

 こ、怖……怖すぎる……。

 な、何か滅茶苦茶眼光鋭いし、え? いつもの笑顔は何処いったの?

 今、目の前に居るの修羅なんだけど。

 ルナさんは苛立ちを隠そうともせず、東郷くんを睨み付ける。


 し、視線で人を殺せそう……。


「あたしの彼氏に手ぇ出したら、ゆるさねぇっつったよなぁ!?」

「な、何だよ!! 手なんか出そうとしてねぇだろ!!」

「あ!? ウチの彼氏がビビッてんだよ!!」


 半分くらい、貴方のせいです。

 ていうか、ああ、何か既視感があると思ったら。これ、お母さんがブチギレた時と一緒だ。

 え? っていうことはもしかして、ルナさんってふりょ――。

 僕が思考するよりも先にルナさんが口を開いた。


「オタクは正真正銘、あたしの彼氏だ。勝手な因縁吹っかけてくんじゃねぇ。分かったら、消えろ。邪魔」

「……ちっ」


 流石にルナさんに嫌われたくないのか、ルナさんの言葉には従う東郷くん。

 その間、ずっと僕をお前、必ず殺すからな、くらいの殺意で睨みつけてたけど、気にしない方向で。僕がそう結論付けてから、僕は気付く。


 あれ? ルナさん。手、凄く怪我してる……。

 ネイルも付けてないし……どうしたんだろ……。


 けれど、今のブチギレルナさんに聞く事が出来ず、僕が黙っていると、ルナさんが口を開いた。


「オタク」

「ひっ!? な、何でしょうか?」

「何、ビビってんの?」

「え? さ、さっき、す、凄く怖かったから……ふ、不良みたいで……」

「……失敗した」

「え?」


 ルナさんは両手で顔を隠しながらそう言ってから、僕と視線を合わせずに口を開いた。


「お、お昼、屋上に来て。その……ま、待ってるから」

「え?」


 それ以上は何も言わずにルナさんは自分の席へと戻って行き、机に突っ伏した。

 何か……負のオーラが物凄く見えてるけど、だ、大丈夫かな……。

 それよりも気になるのは、両手。

 顔を隠したとき、はっきり見えた。すごい数の絆創膏を指に巻きつけてた。


 ほ、本当にだ、大丈夫なのかな……。


 それからすぐにチャイムが鳴り、一日が始まる。


 時間は流れて行き、お昼になった。昼休みを告げるチャイムが鳴ると同時に授業が終わる。

 各々、クラスメイトの人達はお昼を食べダリ、友人たちと談笑をする中、僕はルナさんを見た。

 ルナさんは僕と視線を合わせる事もなく、鞄を持って教室を出ていった。


 い、一緒には行きたくないって事かな……。


 僕はそう思い、ゆっくりと立ち上がる。

 それから出来るだけ足取りを遅くしてから、廊下を進み、屋上に向かう。

 屋上に続く扉の前に到着し、僕は扉を開けて、屋上に辿り着く。


 屋上はそんなに広くないし、全体がフェンスで囲まれている為、安全面も保障されている。

 僕はキョロキョロと辺りを見渡すと、貯水槽の近くで座り込んでいるルナさんを見つけた。


「る、ルナさん」

「あ、お、オタク。ご、ごめんね、さ、さっきは怖がらせちゃって」

「う、ううん。僕も必要以上に怖がってごめん」


 多分、さっきの事、少し気にしてるのかな。

 ルナさんは申し訳無さそうに頭を下げている。そんな事しなくてもいいのに。

 本当はルナさんじゃなくて、僕が言い返せばすむ話だったんだから。


「そ、それでルナさん、どうしたの? その手とか……ネイルもしてないし」

「え? き、気付いてたの?」

「う、うん。だって、ネイルとか凄く派手だなっていつも見てたし……」

「そ、そうなんだ……え、えっとね、と、とりあえず、座ろ?」

「うん」


 ルナさんに促されるがままに僕は隣に腰を落ち着かせる。

 すると、ルナさんはほんのり頬を紅く染め、鞄の中から一つの包みを取り出す。


「きょ、教室じゃその、は、恥ずかしくて言えなかったんだけど、お、お弁当……作ってきたんだよね」

「……え? お、お弁当!? 本当に!?」

「う、うん。あ、で、でも、アレだよ? その、こ、今回初めて作ったていうか、味は保障できないっていうか……た、多分、ま、まずいからあんまり期待しないで欲しいっていうか……」

「あ、ありがとう!! 凄く嬉しい!!」


 女子からのお弁当!?

 こんな青春があってもいいのだろうか!!

 僕の心は今までで一番浮き足立つ。だって、ルナさんが僕の為にお弁当を作ってくれたから。

 それが嬉しくてたまらない。


 僕はルナさんから包みを受け取り、開けていく。

 中には小ぶりなお弁当箱が二段積み重なっている。


「あ、開けてもいい?」

「い、良いけど……その……で、出来とかは……」


 僕の胸は期待感でいっぱいになっていて、ルナさんの声があまり耳に入ってこない。

 もう嬉しすぎて、今すぐにでもルナさんの作ったお弁当を食べたい!!


 ただ、僕の心にあるのはそれだけだった。


 僕はお弁当を開ける。

 下の段は白いご飯で、上の段にはおかずが入っている。

 しかし、このおかずたちは手作り感に物凄く溢れていた。

 卵焼きはちょっと形が歪で、ボロボロ。半生の所があったり、焦げている部分があったりと、悪戦苦闘の様子が見えている。

 そして、タコさんウインナーは最早、原型を留めていないし、ハンバーグらしきものも真っ黒だ。

 

 でも、そのどれもが今の僕には美味しそうに見える。


 むしろ、光り輝いて見える。


 僕は箸を手に取り、手を合わせた。


「いただきます!!」


 僕は卵焼きを箸で取り、口に運んだ。

 もぐもぐ……。


 んぐっ!? め、めちゃくちゃしょっぱい……。


 絶対に塩加減を間違えている気がする……。


「お、オタク……ど、どう? お、美味しくないよね? ほ、殆ど失敗作っぽいし……ほ、ほら、吐き出しちゃっていいからさ!!」


 あはは、と笑うルナさん。

 これは多分、ルナさんお弁当作った後に味見して、物凄く葛藤したんだろうな。

 初めて作ったお弁当を食べて欲しいけど、味が物凄く悪い。

 だから食べて欲しくないけど、食べて欲しいって多分、考えたのかな?


 何というか、物凄く健気だ。


 だからこそ、僕は卵焼きを飲み込み、笑顔を向ける。


「うん、すっごく美味しいよ!!」

「オタク……そんな嘘吐かなくても……」

「嘘なんかじゃないよ。美味しい!!」


 僕はそれを証明するように、お弁当の中身を食べ進めていく。

 確かに口の中に広がるのはとてつもない、味の暴力。

 塩辛かったり、甘すぎたり、辛すぎたり、焦げが苦かったり、何か半生だったり。

 

 どれもこれもが何だかやりすぎ、というか、行き過ぎた料理で。


 それでも僕は全部、食べる。全てを口の中に運ぶ。


「ちょ、ちょっと、ホント無理しなくても……」

「無理なんかしてないよ。んぐっ。だって、ルナさんが一生懸命作ったんでしょ?」

「……うん」

「ネイルをする時間もなくて、指も沢山怪我して……それでも僕の為に作ってくれた。それが、僕は一番嬉しい!! 味なんかよりも、その気持ちが」

「オタク……」


 前にルナさんは言ってくれた。

 何かに一生懸命になっている僕は素晴らしいって。

 それは僕だけ言える事じゃない。ルナさんだってそうだ。

 不慣れな料理をやって、僕の為にって一生懸命頑張ったんだ。


 だったら、誰よりも僕がそれを認めないでどうする?

  

 僕はお弁当を完食し、手を合わせる。


「御馳走様でした!! あー、美味しかった!!」

「…………」

「ルナさん、美味しかったよ? る、ルナさん?」


 僕はそこで初めてルナさんの顔を見た。

 ルナさんはほんの少しだけ顔を俯かせて、鼻を啜っていた。


「オタク、優しすぎ……絶対に美味しくないのに……あたしだって味見したんだよ? そしたら、何か全然ダメダメだし……本当は渡したくなかったけど……」

「た、食べて欲しかったんだよね?」

「…………」


 こく、とルナさんは小さく頷いた。


「ごめん。変なの食べさせて。もっともっと練習すれば良かったね。オタクの優しさに甘えちゃった」

「……甘えてもいいと思うけど」

「ダメ。オタクは優しすぎ!! あたしの事、すぐ許しちゃうじゃん。ダメだよ、そんなんじゃ。あたしがダメ人間になっちゃう」

「ルナさんはダメ人間じゃないよ……僕に持ってないものいっぱい持ってるし……ほら、東郷くんに言い返したときとか……あれは僕には出来ないよ……」


 勇気とか、あんなに人に対して僕は強く出れない。

 すると、ルナさんは僕の袖をぎゅっと握る。


「そんな訳ないじゃん。あたしだって、オタクが居るから……ああいう事が出来るだけ。……ね、ねぇ、オタク……」

「な、何?」

「……また作ったらさ、食べてくれる?」


 上目遣いでほんの少し瞳を潤わせて言うルナさん。

 な、何!? こ、この可愛さは!?

 僕は唐突なルナさんの小動物的な可愛さに心が奪われそうになるのを必死で抑える。


 嘘、嘘、嘘!! 僕たちは偽物の恋人関係なんだから!!

 

 あ、そうだ!! そうだよ!!


 嘘なんだから、ルナさんに一つ教えてあげればいいじゃないか!!


 僕はナイスアイデアを思いつき、ルナさんに声を掛ける。


「じゃ、じゃあさん、ルナさん。今日、この後、時間ある?」

「え? あ、あるけど……」

「料理、一緒にやってみない? 教えれると思うよ?」

「え? ほ、本当に!? マジで!! 教えて!!」

「う、うん。今後の為に必要だと思うから」


 今後、ルナさんが別の人、本命の人とお付き合いした時に絶対に必要になるから。

 僕の言葉にルナさんは首を傾げる。


「今後?」

「う、うん。今後、ルナさんが本当にお付き合いする人のときにね……」

「あ、あー、そ、そういう事ね。そうそう。そうだよ。そのためにも必要だよね」


 何処か取り繕うように言うルナさん。

 な、何かあったのかな? 僕が首を傾げると、ルナさんは一つ息を吐いた。


「うん……そう、だよね……」

「ルナさん?」

「ううん、なんでもな~い!! それより、オタク!! 前に見たオススメしてくれたアニメなんだけど――」


 何だろう、今一瞬、ルナさんが凄く悲しい顔をしたような……。

 気のせい……だよね?

 うん、気のせいだ。僕はそう思い、昼休みの時間をルナさんと一緒に過ごした――。

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