第10話 バイト 

 オタク活動っていうのはお金が掛かる。

 フィギュア、ゲーム、マンガ、ライトノベル。それに関わるグッズ。

 推しが増えれば増えるほど湯水のようにお金が無くなっていく。

 つまり、健全なオタク活動をする為にはお金が必要だ。


「お、おはよう、ございます」

「おう、タク。おはよう」

「タクちゃん、おはよ」


 僕は今、バイト先に居る。

 今、僕の目の前に居るのはお母さんの知り合いである夫婦で、喫茶店を営んでいる。

 何故、僕がここで働いているのかと言うと、この喫茶店は人手不足だった際に、お母さんを僕を斡旋してくれたのだ。

 前に働こうとした場所で僕がコミュニケーションが上手く取れずに失敗してクビになり、お母さんが僕にピッタリと見つけてくれた場所だ。

 とはいっても、一切ホールには出ずに裏で副店長の手伝いをしているだけだけど……。


「きょ、今日もお願いします」

「頼むね、タク」

「タクちゃん、今日も頑張ろうね」

「は、はい」


 ナデナデ、と僕の頭を優しく撫でてくれる副店長。

 この人がお母さんの妹で、僕をこのお店に入れてくれた人だ。

 すると、店長が何かを思い出したように口を開いた。


「あ、そういえば、タク。前に話した事、覚えてるか?」

「前に……」


 僕は思い出す。それは確か、1ヶ月程前だっただろうか。

 このお店がちょっとずつお客さんが増えてきて、ホールが店長一人じゃ大変になったという話があった。それで一度、僕が手伝うという話になったんだけど、上手く行かなくて。

 店長が『看板娘』を雇いたい、とか言ってたんだっけ。


「看板娘の話、ですか?」

「そうよ。いよいよ、看板娘が決まったぞ」

「……本当ですか?」


 僕は副店長を見る。すると、副店長はクスリと優しく笑った。


「今回は本当よ」

「……信用できない。前も新しい人来たって言ったら、普通にドタキャンされてたし」

「それはお前……俺に見る目が無かっただけだろ?」


 このお店は新しい子が来ても、あまり長く続かなかったりする。

 所謂、定着率が低いのだ。

 それは多分、店長の見る目が無いらしいんだけど……。

 僕からして働く環境はとても良いと思うし。何より僕が続けられているから……。

 僕は店長を見つめる。


「お、おい、やめろよ。そんな無垢な眼差しで見つめるのは。こ、今回はガチだ!!」

「……とか言って、前も同じ事言ってましたよね?」

「言ってたねー」

「…………ガチだ」


 どうやら、今回こそ大丈夫らしい。

 本当にそうだろうか。まぁ、きっと僕が深く関わる事は無いだろう。

 看板娘なんだから、ホールで働くんだし。

 けれど、一応、同じ場所で働く人間として聞いておかないと。


「ど、どんな人なんですか?」

「ギャルだ!!」

「…………」


 堂々と、それでいて自信満々に答える店長。

 僕はすぐに副店長を見た。副店長は笑っていたけれど、目が怖かった。


「ギャル……店長の趣味? 前も確か、そうだったような……」

「は、はぁ!? お前、俺が趣味で人雇ってると思っちゃってるわけ? んな訳ないだろ?」

「……タクちゃんはこんな大人になったらダメよ?」

「なりません。悪い見本なので」


 店長の女好きには困ったものである。

 まぁ、本当に手を出そうとすれば、お母さんか副店長の鉄拳制裁が飛んでいくので大丈夫なんだけど……。

 僕の言葉にショックを受けているのか、店長が目を見開く。


「タク、お前はもうちょい、女の子と接する機会を増やせ。せっかく素材は良いのに。そうだ、お前。これを機に新しい子と仲良くしよう!!」

「……え? ぎゃ、ギャルは間に合ってるかな……」


 僕が思わず言うと、副店長が目を輝かせる。


「へぇ、タクちゃん。もしかして、ギャルの友達が出来たの?」

「え? え? ち、ちがっ!? そ、そうじゃなくて!!」

「何ぃ!? タクにもいよいよ恋人か!!」

「ち、違うって。え、えっと……あの……」


 何て弁明したらいいんだろう、と僕が戸惑っていると、カランカラン、とお店の扉が開く音がした。


「あ、あのぉ~……今日から働く如月っていうんですけど~」

「おー、噂をすれば!!」

「……え?」

「……え?」


 店長が歓迎ムードで立ち上がるけれど、僕はこの声に物凄く聞き覚えがあって、そっちを向く。

 すると、がっつり、目が合った。

 え? え? 何で、何でルナさんがここに?

 困惑しているのは僕だけじゃなくて、ルナさんも豆鉄砲を食らったような顔をしている。


「いや~、如月ちゃん。今日から宜しく……ね……ん? もしかして、タクの友達?」

「え!? あっ!? え、えっと……と、友達っていうか……え、えっと……」


 かーっとルナさんの顔が紅く染まっていく。

 多分、それは僕も同じだ。だって、あの一緒に映画を見に行った時から会ってないから。

 そう、あんな変な雰囲気のまま、変な別れ方をして、そのまま。


『あ、あたしは……オタクなら良いかなって思っちゃったり……な、な~んて……』


 僕の頭の中に、あの日聞いたルナさんの言葉がフラッシュバックする。


 すると、副店長があらあら、と微笑み、口を開いた。


「如月ちゃんはタクの恋人なのね」

「え!? ち、違います!! いや、違わないけど……ち、違うっていうか……」

「う~ん、なかなか難しい関係なんだな、タク」

「……え? あ、えーっと……そ、そうかも」


 僕が曖昧に笑うと、ルナさんは一つ、二つと深呼吸する。


「ふぅ……きょ、今日から宜しくお願いします!! お、オタクもその、よろしく!!」

「う、うん」

「宜しくな。如月ちゃん。しかし、タクの恋人か」

「だ、だから、恋人じゃ……」


 人の話を聞いていない店長が僕に視線を向ける。


「やる事やってんだな、お前」

「だから、違うって。もー、人の話を聞いて……と、友達なだけだから」

「そうか。お似合いだと思うんだけどな」

「ねぇ。タクちゃんの恋人にピッタリだと思うけど」


 頬に手を添えてそんな事を言う副店長。

 ほ、本当に、辞めて欲しい。だ、だって、僕とルナさんが釣り合う訳無いし。

 ほ、ほら、ルナさんだって嫌そうに顔を紅くしてるじゃん。

 お、怒ってるんだよね、多分。


「ふぅ……いつまでもこのままじゃ、ダメ。お、オタク!!」

「は、はい!?」

「き、昨日の事は無かった事にしよう!!」

「え? あ、う、うん。な、無かった事に……」

「はい。じゃあ、お互いもう気にしない!! ふぅ……これで良し!!」


 ど、どうやら怒ってないみたいだ。

 こういう時、本当にルナさんは頼りになる。

 無理矢理にでも僕を引っ張っていってくれるから。


「あ、ありがとう、ルナさん」

「な、何で感謝の言葉を言うのよ。気にしないの」

「う、うん……」

「はいはい。ご挨拶も済んだし、如月ちゃん。ちょっと良い?」

「あ、はい!! 分かりました」


 そう言ってから、如月さんは副店長と一緒にお店の裏に去っていく。

 多分、制服とか着替えるのかな。

 看板娘って言ってたし、色々あるんだろう。


 看板娘。僕は思い出す。


 あれ? そういえば――。


「タク、お前、実際の所はどうなのよ?」

「え?」


 僕の思考を中断するように店長が声を掛けてきた。


「あの子の事、好きなのか?」

「え? えぇ!? そ、それは……分からない……」

「分からないって、どういう事だよ」

「だ、だって、僕みたいなオタクとあんな可愛い子、つ、釣り合わないし……」

「そうか? お前は優しくて、周りが良く見えてる。ウチの女房だって、お前の事、すげー気に入ってるんだぜ?」


 店長は僕の頭をグリグリと撫で回しながら言う。

 でも、僕は俯いたままだ。


「で、でも、それは多分、可愛いとしか思われてないよ。昔から、そうだったし」

「カハハハ、かもな。けど、タク。一つだけ覚えとけ」

「な、何?」

「釣り合う、釣り合わないってのはてめぇの都合だ。自分を低く見積もりすぎるな。お前は立派だよ」

「…………」


 そう言ってから、店長は僕の頭を軽く叩く。


「だから、自分の気持ちに素直になりな。好きなんだろ?」

「だ、だから、好きか分からないって」

「あー、はいはい。そっすねー」

「聞いてよ、店長!!」


 僕が声を荒げても、店長は何処吹く風だ。

 いつも勝手に言って……人の話を聞いてくれない……。


 てめぇの都合、か。


 僕がその言葉を反芻していると、お店の裏からルナさんの声が聞こえた。


「えぇ!? こ、これ、着るの!?」

「ええ、そうよ。せっかく、タクちゃんがデザインしてくたんだもの。張り切って作ったわ」

「お、オタクがデザインしたの? こ、これを?」

「そうよ。看板娘を雇うって話をした時にね~。是非、お店の制服をデザインしてくれってお願いしたら、書いてくれたの。それが思いのほか可愛かったから~」


 え?

 僕は困惑する。

 そ、それは覚えてる。確かに言われた。

 店長に看板娘を雇うから、とびきり可愛い服をデザインしてくれって。

 しかも、要望がそれだけじゃなかった。僕は当時の事を思い出す。


『て、店長。で、デザインこんな感じですけど』

『あめぇな』

『え?』

『お前。こんな清楚なもんで客が釣れるか!! もうちょいエロくしろ!!』

『あなた~。よからぬ声が聞こえたけど、気のせい?』

『いや、ちょっと待って!! い、良いか、タク!! ほどほどにエロくしろ!! 分かったか!? 俺は逃げ――』

『はい、つ・か・ま・え・た』


 だから、僕は当初のデザインよりもちょっとえっちな感じにして……。

 僕がデザインを克明に思い出しているとき、副店長が姿を見せる。


「着替えてきたわよ~」

「…………」


 そこから出てきたのは僕のデザインしたメイド服を着たルナさんだった。

 しかも、ただのメイド服ではない。

 胸元は大きく開け、谷間をこれでもかと強調。スカートはミニスカートのギリギリを攻めている。そして、ニーソックスを履く事による絶対領域の誕生。

 ルナさんは恥ずかしそうに胸元を隠しながら立つ。顔はとてつもなく真っ赤だ。


「る、ルナさん……」

「……こ、これ、オタクが考えたんだってね」

「え、えっと……」

「うわ、超似合ってる!! めちゃくちゃ可愛い!! 雇って良かった!!」

「ふふ、本当にね」


 副店長もミニスカメイド服にご満悦の様子だ。

 多分、副店長も可愛い女の子が見られるなら良いと思ってるんだろう。

 それに看板娘なんだから、注目を集めるという意味でも良いかも知れない。

 しかし、ルナさんは羞恥心に耐えているのか、顔を紅くしたまま、僕を睨む。


「…………」

「…………」


 変な沈黙が流れる中、僕の脇が店長に突かれる。

 何かを言うべきなんだろうけど。ぼ、僕は……。

 ぎゅっと手を握り、言う。


「る、ルナさん!! す、すっごくに、似合ってます!! す、すっごくえ、えっちです!!」


 こ、声は裏返っちゃったけど、全部言った。言い切った。僕の思う事を全部。

 すると、ルナさんは顔を真っ赤にし、体を隠して叫ぶ。


「……ば、バカ!! オタクのヘンタイ!!」


 そう言ってから、ルナさんは副店長の影に隠れ、僕をじーっと睨み付ける。


「あらあら。慣れるまでは時間が掛かりそうね」

「だな。制服、変えるか? 如月さん」

「……変えない」

「え? む、無理ならかえ――」

「変えない!! うるさい、バカ!!」

「えぇ……」


 理不尽な言葉の暴力が僕を襲う!!

 やっぱり、嫌われちゃったのかな。ルナさんに。

 僕が肩を落とすと、店長が言う。


「よし、そろそろ時間だ。準備始めるぞ。とりあえず、如月さんは女房が見てやってくれ」

「分かったわ」

「タク、準備、始めるぞ」

「わ、分かりました」


 そうして、僕は店長と一緒に開店準備をした。

 でも、何故だかその間、ずっと僕はルナさんの視線を感じていた――。

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