第15話 一条の光
翌朝の空は、灰色にぼやけていた。
庭木の赤い葉が、乾燥した空気に揺れながらひらひらと地面に落ちていった。落ち葉が積もる様は、秋の深まりを感じさせる。
どこかから、淡い花の香りが漂ってくる。その風によって、刺繍が施された錦の帳がひらひらと揺れた。
朝の身支度を終えた鈴花は、琳琳が部屋を掃除する様子を見ていた。燭台の灰や床、家具の裏側まで、細かく綺麗にしている。その手際の良さには感心するばかりだ。
そして、鈴花は手持ち無沙汰だ。
あまりにやることがなくて、棚に置いてある小鳥の置物を窓辺に移したりなどする。以前蒼月瑛からもらったものだ。
可愛らしい水晶の小鳥に、柔らかな光が透き通って、きらきらと輝いて美しい。
「――白妃様、こちらはどうしましょう?」
琳琳が竹簡の並ぶ机の上を見ながら言う。昨日からずっと竹簡はその場所に置かれている。
「そのままにしておいてくれ」
「はい、わかりました」
――そうしているうちに、後宮女官により朝餉が運ばれてくる。
鈴花がそれを完食すると、空になった膳を琳琳が下げる。
「それでは、少し出てきますね」
御膳所へ戻しにいくついでに、自分の朝餉も食べて、更には他の用事もしてくるだろう。
その背中を見送り、鈴花は自室で一息つきながら再び竹簡の意味を考えた。答えはまだ出なかった。
(落ち着かないな……ああ、そうか。私は緊張しているのだな……)
皇帝に嘆願した、新しい手伝いの人間がやってくるのを、緊張しながら待っている自分に気づく。
今度はどのような者が来るだろうか。
あまり気の遣わない相手ならいいのだが――微かな希望を託しながら、外の景色を眺めていると、こちらへやってくる黒の武官服の姿が見えた。
鈴花は目を見開き、そして口元を歪ませる。
(――あの皇帝、人の話を聞いていないな)
皇帝は鈴花の要望を聞く気がないのか。それとも他に適当な者がいなかったのか。
――やってきたのは、焔だった。
だが、焔は近くにまで来たものの、なかなか宮の方へ入って来ない。
宮のすぐ近くで、何も言わずに立っている。身に纏う黒の武官服が、何とも言えない威圧感を周囲に漂わせていた。
(……何をやっているんだ……)
鈴花の方が待ちかねて、自分から宮の外に出る。
扉を開けた、その瞬間――いままさに扉に手をかけようとしていた焔とかち合った。
「…………」
「…………」
お互い挨拶もしないまま、その場で固まる。
目が合うも、お互いにすぐに逸らす。
――また、無言が続く。
焔の瞳はいつもより少し陰っていて、その視線は鈴花を避けていた。
鈴花もまた、焔の顔を見れずにいた。
言葉を交わす前から、初秋の霧のように空気が重たい。
(どうやら、焔以外の者を寄越せと言ったことが、本人に伝わっているようだな……)
それにしても、どういった言葉で、そしてどんな調子で伝えたのか。
気まずいことこの上ない。
「――白妃様。何なりとお申し付けください」
長い沈黙の末、ようやく頭を下げて紡がれた言葉には緊張が滲んでいた。
鈴花は一瞬呆然としたあと、思わず吹き出す。
「ふっ……あははっ。何だ、畏まって」
笑ってはいけないと思いつつも、あまりのおかしさに笑いが止まらない。
涙が出るほどひとしきり笑った後、呆然としている焔を見上げる。
ようやく、視線が交わる。
そのことに、ひどく安堵した。
「……いままで通りでいい。いままで通りでいてくれ。私もお前も、同じく皇帝陛下の臣下だろう。私はただの四妃のひとりだし。しかも一番地位の低い」
「そんなことは――」
焔が言葉を続けようとするが、鈴花が微笑むとそれは途切れた。
鈴花は自分の立場をよくわかっている。後宮にいながら寵愛を受けていない妃など、どんな価値があるというのか。
鈴花は己の価値も、自分が後宮にいる理由もよく知っている。だがそれは、皇帝以外の誰にも知られてはいけないことだし、誰にも知ってほしくないことだ。
「……俺は、とんでもなく礼を欠いたことをしたのだと、思って……」
「お前は最初から無礼だったよ」
焔の方がぴくりと揺れる。
「それが私には心地よかった。こちらも気を遣わなくていいからな」
鈴花は冗談に本心を織り交ぜながら、笑う。
「だが、人に誤解されるようなことはしない方がいいな。私との関係を邪推されたら、お前も困るだろう」
「…………」
「まあ、他人のことはいいか。皇帝にだけは誤解されないようにしよう。もちろん強制はしないが」
言い終わった瞬間、雲が薄くなってきて周囲が仄明るくなっていく。
どうやら今日は、これから晴れてくるらしい。
「さて、仕事の話をしよう」
鈴花はくるりと踵を返す。裾をふわりと翻して。
柔らかな光に照らされながら、宮の扉を開く。
「幽霊が私の枕元に出た。どうやら死体を見つけてほしいらしい。こちらが、幽霊騒動の本命なのだろう――さあ、一緒に探してくれ」
鈴花は焔を宮の中に入れる。
かつては拒否した相手を迎え入れるのは、信頼の証でもあったし、そうする必要があったからだ。彼には見てもらいたいものがある。
「死体があるのは……普通に考えれば墓地だが、幽霊に見せられた風景は墓地ではなかった。地下の、広い場所だった」
鈴花は歩きながら話す。静かな空気に、鈴花の声と、二人分の足音が響いた。
いまこの宮には二人きりしかいない。琳琳はもうしばらくは戻ってこないだろう。
「後宮内で誰も来ず、死体が転がっているような場所に、心当たりはあるか?」
「……思いつくのは遺体の安置所ぐらいだが……いまはそこには何もない」
「そうか」
探してくれというぐらいだから、すぐに見つかる場所ではないだろうから、そこは違うだろう。
焔は続ける。
「あとは――後宮には使われていない部屋や通路、あとは隠し部屋もあるとの噂を耳にしたことがある」
「なるほど。そこを一つずつ見ていこう」
「解放されている場所ばかりではないぞ。そんな簡単に行くかどうか――」
「幽霊騒動の調査は、皇帝の勅命だぞ? たいていのことは大丈夫だ」
「…………」
「だがそれよりも先に、解決すべき問題がある」
鈴花は自室の中に入る。
「――来てくれ」
焔を促すが、彼はなかなか部屋の中に入ろうとしない。
非常に落ち着かなさそうで、視線は何もない廊下の隅を見ている。
「机の上を見てくれ。幽霊からの伝言だ」
更に促すと、とうとう観念したように入ってくる。
「幽霊の夢を見て起きたときに、私の書き損じが勝手に並べられていった。ここに幽霊が伝えたいことが書かれているのだろう。順番が入れ替わらないように縛ったが、そのまま置いてある」
詩が書かれた竹簡を見せる。あまり見せたいものではないが、重要な手がかりだ。
込められた謎がまだ解き明かせないいま、他者の視点と意見が欲しい。
焔の無骨な長い指が、緊張を纏いながら竹簡に触れた。
「何か思いつくことはあるか?」
「――こんな暗い詩も書くのか」
「ただの練習だ。表には出さない」
寂しげな詩は書くが、暗い詩は表には出さないようにしている。もちろん詩会でも。
しかし明るい詩ばかり考えるのも、それはそれで気が滅入る。
だからこうして時折、鬱憤を晴らすように書き散らす。
陰と陽の調和がとれていてこそ、精神も詩も安定するのだから。
焔の指先が各文字に触れていく。しっかりと確認するように。指がわずかに揺ると、部屋の空気も同じように揺れる。
真剣に文字を追うその横顔は、とても大人びて見えた。
「……詩の内容よりも、順番に意味があるのか?」
鈴花にではなく己に問うように、言葉を零す。それは静かな水音のように静寂の中に広がる。
――その刹那、雲を割って差し込んできた太陽の光が、窓辺に置いていた水晶の鳥によって反射され、竹簡の上端に一条の光を落とす。
その光によって、竹簡の一番上の文字だけが浮かび上がり――鈴花は目を見張った。
「中、央、宮、野、下……」
各詩の一番上の文字だけを読んでいけば、何とも意味ありげな文章になる。
「中央の宮の下……天寧宮の地下――なるほど、詩の意味は関係なかったということか」
謎が解けてすっきりとする鈴花とは対照的に、焔は何故か複雑そうな表情をしている。
「天寧宮の地下を探るのか……」
「せっかく幽霊がくれた手がかりだ。焔、早く行ってみよう」
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