第8話 推理
今度こそ、場は水を打ったような静寂となった。
黒雪慧の顔色も青ざめて、月のように白くなっていた。
「紅妃も……身ごもっていたの?」
「ええ。紅妃は間違いなく、男子を身ごもっていました。こちらも、後宮医の証言があります。ご本人と、ごく一部の方々しか気づいていなかったようですが」
鈴花は北宮の侍女たちを見る。
黒雪慧は言葉を失っていた。彼女だけではなく、その場にいた多くの者たちも、同様に息を呑んでいた。
――誰もが、もはやある程度の事件の全容をつかんでいるだろう。そして多くの疑問を抱いているだろう。
「紅妃の妊娠――大変、おめでたいことです。ですが、困る方々もいました」
鈴花は話を続けながら、周囲を見渡す。
あるものは硬直していて、あるものは視線から逃げるように顔を伏せた。静かに耳を傾けるものも、嗚咽を漏らすものもいた。
「黒妃と紅妃が、ほぼ同時に身ごもった。黒妃の侍女たちは主の世話をしながら、紅妃も妊娠しているかもしれないと気づいたのでしょう。しかも紅妃の方がわずかに早そうだ。もし、子がどちらも男子で、紅妃の方が早く出産すれば――皇太子は紅妃の皇子になります」
そうなってしまえば、せっかくの待望の皇子が二番目になってしまう。
皇帝位を継げる可能性がわずかに遠のき、後宮内の立場も、それどころか、外の実家の立場も差がついてしまう。
わずかな差でも、黒家にとっては容認できない差だったのだろう。
「――阻止するなら、早い方がいい。できれば、妊娠が公になる前がいい。妊娠が公になったあとに妃に何かあれば、自分たちが疑われる――そうなれば、どんな恐ろしい目に遭うか」
侍女たちの顔は変わらない。
火傷をした女官だけ、真っ青になって震えていた。
「いっそ殺してしまおうと、誰かが一計を案じた。罪を着せるのは、帝の寵愛を受けていない白鈴花にしておこう。紅珠蘭に嫉妬して、刺したことにしてしまおう――そう思って、私の衣を盗み出した」
鈴花は衣の袖を軽く風に揺らす。
衣についていた月光桂花の花びらがふわりと舞い上がった。
「次に皇帝の文を捏造し、紅珠蘭を夜の池に誘い出します。何かしら甘い言葉でも添えて、こっそりと来るように誘ったのでしょう。筆跡や文体は、黒妃に届いた文を見てそれらしいものを捏造した。紅妃はそれを読んで、大変幸せそうにしていたといいます」
このあたりは想像が入るが、おそらく間違いないだろう。
紅珠蘭についていた女官も、幸せそうにしていたと言っていたから。
「――文は、紅珠蘭の胃の中に残っていました。後宮医と複数の人物もそれを確認しています。おそらくは、死の直前――騙されたことに気づいて、証拠を隠滅されないために、飲み込んだのでしょう……胃まで調べられるかは不確かでしたが」
幸い残っていた。
そして、ちゃんと見つかった。
「犯人たちは、紅珠蘭の口を押え、盗み出した私の衣をかぶせて、その上から刺した。血が飛び散らないようにするためでしょうね。念入りに殺したことが、身体に残った傷からわかります。……紅妃はおそらく、必死で腹を庇っていた」
鈴花は再び、自分の腹に手を添える。
紅珠蘭のその神聖な場所には、皇帝の子が宿っていた。
「死体を池に投げ入れたのは、証拠を水で洗い流すと共に、池に浮かぶ彼女を引き上げようと多くの人が集い、残っていた足跡や証拠も踏み荒らされて消えると考えたからでしょう」
その試みはうまくいき、池の周辺には手掛かりらしきものは残っていなかった。
「あちこちから集めた凶器は、そのまま池にでも投げ捨てたのでしょう。この蓮の下――泥の中に沈んでいるはずです。血まみれになった私の衣は、私の部屋に返してもよかったのでしょうが……その機会がなかった」
最近は宮廷行事も詩会もなかった。宮の周りに焔がいたことも、その機会を失わせたのだろう。
彼の存在がこういう形で役に立つとは思わなかった。
「手元にあるのは流石にまずいので、処分することにした。北の森に、切れ端が残っていました。間違いなく、以前に盗み出された私のものです。血痕と、刃物の傷が残っていました」
微笑みながら、その証拠の端を取り出して見せる。
「――さあ、反論があるのならば聞きましょう」
「でたらめよ!」
「どの点が?」
「全部でたらめよ!」
それでは反論とは言えない。
鈴花は舞台から下りて、黒雪慧の元へ向かう。誰も鈴花を止めようとしなかった。
侍女たちの横を通り、震えて縮こまる女官の元へ行く。
彼女の瞳には、恐怖と後悔が満ちていた。
女官の腕を取り、袖をめくる。
「この傷は、いったいどうやってできたのですか?」
――この女官は、その傷を火傷だと言っていた。
女官はぐっと、痛みを堪えるように口元を食いしばり。
「――燃やしてなんかいません……! 白妃様の衣を燃やしてなんか……この火傷は、不注意で――」
「私は、燃やされたとは一言も言っていません」
「えっ……」
女官は困惑した声を上げ、その次の瞬間がくがくと震え出した。
鈴花は燃やしたとは一言も言っていない。処分された。切れ端がある。それだけしか言っていない。切り裂かれて土に埋められた可能性もある。
だが、女官は燃やしていないと言った。
「――それは、処分したものしか知りえないことです」
鈴花は再び、燃えた衣の端を取り出す。
白い絹に銀糸の刺繍、焼け焦げた跡、血の赤黒い痕跡――
女官の全身から力が抜け、崩れ落ちる。
既に、放心状態となっていた。
「そんな……なんてことを……」
愕然としているのは、黒雪慧もだった。
侍女たちだけが、無表情で座り続けていた。
「お前たち……なんてことを……うああああぁぁあ!」
黒雪慧の慟哭が、月の下で響いた。
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