第41話 君とだから、生きていたい

「わたしも……」


 オディオの心の炎が燃え移るように。

 アイファの声に、熱が宿る。


「オディオと一緒なら、死んでもいいと思ってた。わたしだけ生き残るくらいなら、一緒にって思ってた。でも、本当は……」


 五百年以上前からずっとつけている指輪、その手をぎゅっと握りしめ、アイファは心を声にする。


「わたしも、生きていたい。オディオと、一緒に!」


 出会った日は、生きたいかどうかわからないと言っていたアイファが。

 今は明確に、生を望んでいる。


「ねえ。わたし、オディオが考えてくれた魔法、使う」


 アイファは、はっきりとそう言った。


「オディオ、力を貸して」

「力……? 俺には、魔力は……」

「魔力とかじゃないの。――オディオがいてくれれば、わたしは無敵なの」


 アイファの魔力は、想いの力によって増幅する。

 精霊の前で自分の魔力を塊にしたときだって、そうだった。オディオのことを考えたからこそ、あれほど強い魔力を放出できたのだ。


「わかった」


 オディオは、自分の想いを全て捧げるように、アイファを抱きしめる。

 落下は止まったわけではない。二人はまだ緩やかに地面へと落ちているし、オディオは老化、アイファは結晶化と、少しずつ身体を蝕まれている。

 それでも、心だけは、何にも蝕まれることはない。


「アイファ、愛してる」

「うん、わたしも」


 五百年の間、塔の中で、オディオが考え続けていた魔法。

 この魔法を発動させるためには、あまりにも莫大な魔力が必要で。

 アイファの魔力や魔石の魔力では到底足りないから、所詮夢物語だと諦めていた。諦めて、死の運命を受け入れていた。

 けれど、それに抗う。

 絶対に、抗う。



「未来へと進んで

 希望は潰えない

 抗ってみせる

 呪いを祝いに変えて

 悲しみも、苦しみも

 終わって、全てが始まる」



 頑張れ、負けるな、と。

 船にいるエルフ達だけじゃない、世界中の魔力が、アイファのもとへ集まる。

 アイファはそれを感じ、必死に魔法を発動させようとする。

 それでも――まだ、足りない。

 それほどまでに、塔の呪いの力は果てしない。


「――!」


 今まで使ってきたものと桁違いに強力な、初めての魔法でアイファの身体に負荷がかかり、頬から血が流れる。

 頬だけでなく、腕や肩など、肌のあちこちから血が滲んだ。


「うぅ……っ」

「アイファ!」


 オディオはアイファの手を取り、その痛みを肩代わりするため、そっと撫でて魔力を誘導しようとする。


「痛みは俺が引き受ける」

「でも……」

「いいから。アイファは魔法に集中するんだ」

「……うん」


 アイファが頷き、繋いだ掌から、魔法の力によって彼女の痛みがオディオへと流れてゆく。


 瞬間、オディオの心臓がドクンと跳ね、全身に激痛が走った。


 痛い――痛い痛い痛い。全身が血を噴き、手足がもげ、指が千切れ、身体が砕け散ってしまいそうだ。

 ただでさえ急速な老化で肉体が弱っているうえにそんな苦痛を与えられ、気を失いそうになる。

 だけど、アイファにだけこんな痛みを背負わせるよりは、ずっとマシだ。


 アイファは何度も何度も、声が枯れそうになるほど繰り返し魔法歌を歌い。

 オディオはアイファの痛みを引き受け、吐き気のするほどの苦痛に耐える。


 苦しい――苦しい苦しい、苦しい。


 身を引き裂くほどの苦痛は、あらためてこのクソみたいな世界への憎悪を募らせる。


 この世界は優しくなくて、簡単じゃなくて、理不尽で、残酷で、希望はあっても失望で溢れていて、いつだって幸福の隣に不幸が潜んでいて。


 痛いほどそれを知っているのに、どうして、あがいてしまうんだろう?

 周囲の空気に乗せられているだけ?

 諦めるのが悔しいだけ?

 ――そんな、理由なんて。

 どうでもいい。どうだっていい。

 理由がなけりゃ抗っちゃいけないのか? ご高尚な志がなけりゃ生きることすら許されないのか?

 んなもん、クソくらえだ。

 俺は英雄じゃないし勇者じゃない。

 だけどただ、好きな子の幸せは守りたい。


 ――「おまえさえ生きていればいい」じゃない。

 おまえを、置いていかない。

 おまえに、置いていかれもしない。



 おまえとなら消えてもいいけど、おまえとだから、生きていたいんだ。



 湖面を覆っていた氷が砕けるように――パキン、と。

 アイファの身体の、結晶化していた部分が、元の皮膚の色を取り戻す。

 魔法歌の効果で、少しずつ呪いを跳ね返しているのだ。

 けれどそれを嘲笑うように、またすぐに肌が結晶として埋め尽くされてゆく。



 ――もう少し。あと、もう少しなのに――



「おい、ふざけんな!」


 そのとき――アイファにとって懐かしい声がして、彼女は目を見開く。


「せっかくあたしが葉をやったのに、こんなとこでくたばってんじゃねーぞ!」


 アイファの瞳に、虹色の髪の少女が映った。

 その少女は、他のエルフや世界中の人間達のように、オディオとアイファのために魔力を貸してくれている。


「精霊さんだ……」

「――精霊……?」

「うん。見て、オディオ。精霊さんが、来てくれたの……」

「……俺には、何も見えない」

「え……?」


 考えてみれば、何百年と生きているエルフの皆も、誰も精霊を見たことがないと言っていた。


 今だって、エルフ達の視線はオディオとアイファにだけ向けられてる。

 精霊という存在はただの伝承なのではないか、とすら言われていた。

 だけど――そういえばアイファは、五百年前も、精霊に会ったと言っていた。

 長寿のエルフ達ですら誰も会ったことのない精霊という存在に、たった一日の外出だけで、簡単に会うことができたのだ。


 ――はっと。閃光のように、オディオとアイファ、二人の中で思考が弾ける。

 あれほど、人間と魔者は違う生き物だ、と思い知らされてきたのに。

 人間と魔者は、姿形が似ていても、まったく違う生物で。


 のだ。


「あ……、あ」


 それはこの塔の、最後の真実。

 守護者は魔者で、少女は精霊だった。

 魔者は精霊を見ることができるが、他の種族は、精霊を見ることができない。

 守護者は魔者として生まれ、五百年後に、人間として転生した。

 少女は、塔からいなくなったのではない。

 嫌になって逃げ出したのでも、消えてしまったわけでもない。

 精霊の少女は、ずっとずっと、守護者を待ち続けていた。

 けれど人間に生まれ変わった守護者の目に、もう精霊の少女は映らなかった。

 それでも、守護者は愛されていた。

 確かに、愛されていたのだ。


 オディオもアイファを、それを理解して。

 アイファは魔法を歌にし、唇に乗せる。

 それはこの塔に入るとき聴いた呪い歌を、一つ一つ打ち消す歌。



『もう戻れない

  ――未来へと進んで

 塔は崩れ去る

  ――希望は潰えない

 贄は助からない

  ――抗ってみせる

 塔は中の贄を呪う

  ――呪いを祝いに変えて

 全て雪と散る

  ――悲しみも、苦しみも

 ここが全ての終わり

  ――終わって、全てが始まる

 これは守護者の嘆き


  ――嘆かないで、あなたは愛されていた』



 ――刹那。

 全ての魔力が混ざり合い、一つになり、収束する。

 まるでオディオとアイファが導き出した世界の真実が、未知の扉を開くように。

 二人の意識は純白に染まり――何かの意志に吞み込まれていくように、途切れた。

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