第31話 左手には
オディオが塔の中に入るとすぐに、扉はなくなってしまった。
完全に閉じた、塔の内部。オディオの目の前には、長い、長い螺旋階段がある。
階段の周りは真っ暗で、他に何も見えない。
オディオは一歩ずつ、その階段を上ってゆく。
ひたすらな静寂の中、自分の足音だけが響いた。
どこまでも続く長い階段を、何時間かもわからないほど、上ってゆく。
一段一段と確かに上がっているはずなのに、周囲の景色は変わらず真っ暗なままで、本当は一歩も動いていないんじゃないかという錯覚に陥る。けれど確かに、身体は疲労を感じていた。
気が遠くなりそうなくらい、階段を上り続けて。
やがて後ろから、オディオを呼ぶ声がした。
『オディオ』
その声に、オディオの胸は軋む。
『オディオ、オディオ、いかないで』
泣きそうな声。自分を引き止める、アイファの声。
だが、これは偽物であり、罠。
オディオを最上階に辿り着かせないための試練だ。
(……アヴェリシアは、きっとここで、後ろを振り返ってしまったんだ)
塔の最上階へ辿り着くためには、決して後ろを振り返ってはならない。
オディオは歯を食いしばり、階段を上り続けた。
それからも、数多の声がオディオを惑わそうとした。
魔法の力でオディオの記憶に干渉しているのか、アイファ以外にも、ルクスや姉、妹、父親など、懐かしい人々の声が、オディオを振り向かせようとする。
姿は見えないのに、まるで本当にすぐ傍にいるように、近くから空気を震わせるのだ。
オディオはそれらを振り切って、ひたすらに階段を上り続けた。
すると、今度は――歌が聞こえた。
『もう戻れない
塔は崩れ去る
贄は助からない
塔は中の贄を呪う
全て雪と散る
ここが全ての終わり
これは守護者の嘆き』
ただの歌ではない、呪い歌だ。
歌をきっかけに、オディオは身体に異変を感じた。
「……お?」
周囲が暗くて、よくは見えないが……皺のあった自分の手が、時間を巻き戻すように若返ってゆく。
これは、塔の頂上へ入る者に与えられる恩恵。
肉体が全盛期の頃に戻り、怪我も病も癒される。
オディオが最上階の扉に辿り着く頃には、肉体は十八歳の頃のものとなっていた。
もう、引き返すことはできない。引き返そうとすれば、アヴェリシアのように結晶になるだけだ。
オディオは、躊躇いなく扉を開けた。
扉の向こう側は、ごく狭い円形の部屋だ。
真っ白な壁。真っ白な床と天井。
ただ、それだけ。他には何もない。
オディオが部屋の中に足を踏み入れると、扉は消えてしまう。
もう、完全に。この場所は、外界から遮断された。
部屋には、窓一つない。外の世界の様子を、ただ眺めることすら許されない。
誰の声もしない。何の音もしない。
風の音も、川の音も、葉擦れの音も、虫の声すら。
こんな場所で、本来の寿命の何倍もの時間を、たった独りで過ごすのかと思うと。覚悟は決めていたのに、さすがにぞっとした。
だが、それが自分で望んだことだ。
オディオは心を強く保つため、左手の指輪を見る。
――指輪の石は、今日もあの子の翼と同じ、緋色に輝いている。
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