君となら消えてもいいけど、君と生きていたい

神田なつみ

第1章

第1話 出会い

 吹きつける雪の中で、吐き出す息すら凍りそうだった。


 身体は芯から冷えており、もはや寒いというより、痛い。全身を覆うローブを纏っているとはいえ、これほどの冷気の中では、たいして意味がなかった。


 いっそこの場で倒れ、雪に埋もれて意識を手放してしまえば、楽になれるのかもしれない。


 それでも、ここで死ぬものか、と。


 凍てつく吹雪の中でも決して消えることのない炎が、オディオの中で激しく燃えていた。

 それは、憎しみという名の炎。

 このときのオディオは、十二歳。彼の生まれ育った国では十六歳を成人とするとはいえ、まだ成熟しているとは言えない少年だ。

 けれど、その年齢では受け止めきれないほどの苦しみを、背負わされていた。


「……死んで、たまるか」


 自分は今まで、理不尽に苦しめられてきた。

 自分を苦しめてきた人間どもに、一矢報いてやらなければ、終われない。


 胸の内で業火を燃やしても、吹雪は容赦なくオディオの体温を奪う。

 ガチガチと音を鳴らす歯を噛み締めていると、視界の端に何かが映った。


 ――赤。


 白銀の世界の中で目を引く、鮮やかな緋色だ。

 それが何かはわからなかった。だけど、オディオはその緋色のもとへと足を進めた。

 なんでもよかった。ただ、何かに縋りたかった。

 この絶望的な状況から、希望の灯を求めるように。

 足にまとわりつく雪をかき分け、緋色のもとへ辿り着くと――


 人が、倒れていた。


 ……違う。正確には、「人型のもの」が倒れていた。


「大丈夫か?」


 基本的な姿形は人に似ているけれど、頭には猫のような耳が、尻には犬のような尻尾が、そして背中には翼が生えている。

 その全てが、雪に咲く花のような、見事な緋色をしていた。


 これは――「魔者」だ。


 人に似た姿だが、人ならざる者。

 この世界には、さまざまな種族がいる。人間、エルフ、獣人、精霊、魔獣、そして魔者。

 魔に属するモノで、理性のない獣は、いわゆる「モンスター」である、魔獣。

 そして一応の理性があり、言葉が通じ、人型をしているモノが魔者だ。

 魔者は絶対数こそ少ない希少種ではあるが、代わりに強い魔力を持つ。

 また、凶悪であることでも有名だ。

 好戦的で混沌に染まった、人間の天敵。

 そう、認識したからこそ――

 オディオはその魔者を、助けようと思った。


「大丈夫か」


 相手が魔者だとわかっていながら、その肩に触れた。

 まだ、体温も息もある。

 けれど、翼に傷を負っている。緋色の翼に、その色よりも濃い赤が滲んでいた。

 翼以外の場所にも、肌のあちこちに怪我をしている。


「なあ」


 緋色の髪の中からぴょこんと出ている、猫のような耳に語りかける。


「おまえ、生きたいか?」


 生きる意志を確認するように、雪に埋まっていた小さな手を掬い上げる。

 すると、ようやく返事があった。


「……ワカラナイ」


 自分の気持ちなのに、心底わからないというような、無機質な声だ。


「でも、このまま死にたくない」


 きゅっと、指を絡ませられる。

 すぐ振りほどけてしまいそうな微かな繋がりなのに、縋りつかれているようにも感じられた。


「悔しいから」


 薄い唇から漏れたその呟きに、オディオは目を見開いた後、苦笑しそうになった。

 あまりにも、今の自分と似ているから。


「ああ――わかるよ」


 きっとこの魔者は、誰かにひどく傷つけられたのだ。

 だからこそ、こんなふうに翼に怪我を負って雪の中に倒れている。

 生きたいかがわからないのは、生きることに絶望しているせいで。

 死にたくないと思うのは、自分を傷つけた奴らへの反骨心だ。

 生きたい、と死にたくない、は、同じようでいて大きな隔たりがある。

 それを、オディオは身をもって知っていた。

 だからこそ、いっそうこの魔者を助けたいと思った。


 緋色の魔者を背負い、オディオは再び歩き出す。魔者だからなのか、驚くほど軽かった。

 オディオ一人でも、歩き続けることが厳しい吹雪の中。けれど、触れ合う温もりのせいか、この子を助けたいという使命感のせいか、さっきよりも足取りは軽くなっていた。

 吹雪のせいで一面の白銀と化した森の中を、そのまま歩き続け――しばらくして、奇跡的に洞窟を見つけた。


「よかった! ここで休める」


 深い洞窟の中ほどまで進むと、オディオは胴に斜めにかけていた大きめの革鞄から、携帯燃料を取り出し、火の魔石で火を点ける。

 暗い洞窟の中に、炎を中心にしてぼうっと橙の光がひろがった。

 更に、簡易結界装置を展開させ、オディオと緋色の魔者、焚火だけの狭い範囲だが、外の冷気に侵食されないようにする。

 あくまで簡易的な装置なので、風や魔力の乱れのない、このような場所でしか使うことはできない。ゆえに吹雪の中では意味がない代物だが、やはり持ってきてよかった。


「大丈夫か? 寒かったよな、ほら」


 オディオは緋色の魔者を焚火に近付けてやると、自分が纏っていたローブの、雪に濡れていない内側の部分で身体を拭いてやる。


 魔者は翼を出すため背の部分が露出した、人間からしたら不思議なデザインの黒い上衣を着ており、下は黒いショートパンツに同じ色のニーブーツ。パンツには切れ目があり、そこからふさふさの尻尾が出ている。

 そして緋色の短い髪、くりりとした大きな瞳に、ぷにっとした頬。


 今まで助けることに必死でよく見ていなかったが、魔者とはいえ可愛い女の子であることに、オディオは一瞬ドキッとした。

 けれど、まだそんな感情を抱く余裕はない。

 彼女の翼には、痛々しい傷が剥き出しになっているのだから。


「怪我、手当てしないと。薬を塗りたいんだけど、触ってもいいか? 自分でやるか?」


 オディオは鞄から、傷用の回復薬と包帯を取り出す。

 そんなオディオを、緋色の魔者は大きな瞳で、じいっと見つめる。

 次に、嗅覚でも確認するように、小さな鼻先を向け、ふすふすと匂いを嗅いだ。


「おまえ、顔見えないけど。匂い、人間ぽい。……人間?」


 オディオは全身を覆うローブを纏っており、顔にもすっぽりと深いフードを被っていて、更に首から口にかけて、マフラーのように布を巻いている。一見して、種族がわからない。


「そう、俺は人間だ。名前はオディオ、十二歳。おまえは?」

「アイファ」

「アイファな。おまえ、俺よりちっちゃいけど、何歳? 十歳くらいか?」

「ワカラナイ」


 オディオは魔者と接するのは初めてで、魔者に関する知識は全くない。だが人間以外の種族は、あまり年齢を重要視しないとは聞いたことがある。


「そうか。で、怪我の手当て……」

「後ででいい。まだ、おまえ信用していいか、ワカラナイ。もっと話す」


 オディオには、魔者だからなのか、それともアイファだけがこういう喋り方をするのかは判別がつかないが――彼女の言葉はたどたどしい。

 ただ、素直に手当てを受けていいか迷っているから、もっと言葉を交わしたがっているのだとはわかった。


「じゃあ、俺もおまえに聞きたいんだけど。なんで、あんなとこで倒れてたんだ?」

「人間にやられた」


 パチパチと、二人の会話の合間に、焚火が揺れる。


「アイファは、何も悪いこと、してない。ただ空、飛んでた。そしたら『魔者だ! 殺せ!』って声して、気付いたら矢で翼を撃たれてた」


 空を飛ぶ魔者にも届くということは、魔力を付加した矢で撃たれたのだろう。人間は基本的に魔法を使うことはできないが、魔力が込められた道具を扱うことはできる。


「そっか。人間ってクズだからな」


 アイファの大きな目がまた、不思議そうにじいっとオディオを見る。


「おまえは人間じゃない?」

「いいや。さっきも言ったけど、俺も人間だ。俺にだってクズな部分はたくさんあるだろう。でも、少なくとも俺は、おまえに酷いことはしないよ」

「どうして? アイファは魔者、見てわかるはず。人間は魔者が嫌い。なのに、どうして助けた?」

「魔者だから助けたんだ。おまえが人間だったら見捨ててた」

「おまえは人間なのに?」

「人間だからこそ、なんだ」

「どういうこと? おまえ、よくワカラナイ。顔も見えないし」

「そうだな……見せたら怖がらせるかと思ったんだけど、見るか? ずっと顔隠してるのも、怪しいだろうしな」


 オディオは深く被っていたフードを上げ、口元に巻いていた布を外す。

 そうして現れたのは――

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