第9話『生き残りたいと願い、勝利を欲するならば』
どこともわからない場所を歩いている最中、変わらず降り注ぐ光苔の蒼白い光に安堵しつつ足を進める。
しかし若干の既視感もあった。
なぜなら、最上層で踏みしめていたり見上げたりしていた、ごつごつした岩肌があるからだ。
できることなら、出現するモンスターも変わらずであってほしいと願いつつも、その願いはあっけなく崩れ去ってしまった。
「……」
目の前には
四足歩行で、一見しただけでもずっしりと重量感のある体は分厚い皮膚に覆われている。顔面正面には人間の腕より太い1本の角を生やし、鋭くも蒼く綺麗な目を輝かす。
和昌は、まず観察する。
人間の腿よりはるかに太い四肢は、俊敏性に優れているようには思えない。しかしだからこそ、たったの1撃でも攻撃を食らってしまえばひとたまりもないということだ。
(落下の衝撃を抑えられたからと言って、あの一点突破みたいな攻撃を防げる確証はない)
冷静になったからこそ【
衝撃やダメージを無効化していたのであれば、まさに最強クラスの盾となる。だが、もしもそれらを分散させていた、となるのであれば話が変わってくるわけだ。
広範囲の攻撃などには非常に高い効力を発揮するが、刺突などの攻撃には弱い可能性が出てくる。
それに防げたとしても、弾くことができなければ力比べとなってしまい、どう考えても勝機があるとは思えない。しかも2体いるのだから尚のこと。
(このまま下がって……も、この階層にはこういうモンスターが出現するってことなんだよな。じゃあ、やるしかない)
ならば、戦い、勝ち、慣れなければならない。
根拠はなく、でも勘が初期の剣ではマズいと警鐘を鳴らす。
自身を信じ、【
先手必勝――和昌は、声を荒げることなく駆け出す。
「――ふんっ――っ!?」
カンッ。
【サルイ】は一刀両断されることはなく、ましてや切り込みが入ることなく剣を弾いた。
見るからに分厚い皮膚は、傷一つ負ってはいない。
当然、和昌は油断していたわけでも、100億円の剣を信じて奇襲は必ず成功すると驕っていたわけではない。確実に、1撃では討伐することはできなくともダメージを与えることはできると思っていた。が、結果は自身は仰け反り、サルイ2体が振り返るだけという想定する最悪を引き当ててしまう。
「……おいおい、ヤバいって話じゃすまないぞ――」
唾を飲む。
もしかしたら、なんて想像はしていたが、まさか本当にこんなことになってしまうとは。対処法など考えもしていなかったからこそ、焦りを隠すことはできない。
辛うじて勘を信じたことによって武器を失わずに済んだ。
配布の剣で斬りかかっていたら、よければヒビ、悪ければ破損していたであろう。
思考を巡らせる時間をください、なんて要望がモンスターに通るはずはない。
『ブルルルッ』
『ブフッー』
2体とも、地面を軽く蹴って突進をする準備に入っている。
このままでは、車で引かれる勢いでたくましい角で串刺しになってしまう。
「ヤバいヤバいヤバい」
最悪――一瞬だけ、自身が串刺しにされて死に直面する情景が脳裏に過る。
『ブフッ!』
『ブルフッ』
「ヤバすぎだって!」
和昌はできるだけ右側へ走り、跳ぶ。
一心不乱に行動へ移したものの、間一髪のところだった。
背後を通過していく足音が血の気を一気に引かせる。しかし、すぐにドスンッという音に振り返り、確認。
「いやいや、闘牛じゃないんだから」
緊迫した空気感が漂っているものの、2体のサルイが壁に突き刺さっているのだからツッコミたくもなる。
しかし悠長にその光景を眺めているだけではいけない。
与えられた猶予を活かし、策を練らなければ次こそ最悪な未来が実現してしまう。
(考えろ。考えろ。考えろ)
冷静に考えたいが、鼓膜まで届く心臓の鼓動がそうさせてくれない。
(必ず弱点になる箇所があるはず……そう、アニメだったら目や口の中へ剣を突き刺すことで討伐していた。なら、なら……)
できるはずがない。
咄嗟だったとしても、ほぼ全速力で回避行動をとったというのに間一髪だったのだ。物語に登場する人物のような、冷静に状況を判断し、的確に攻撃を当てることなんてできるはずがない。
どんな凄い効果を持つ防具を手に入れても、一般人には容易に想像することができない値段の武器を手に入れたとしても、つい数日前まではアルバイト生活をしながらゲーム実況者をしていた少年だったのだ。
(避け続けていても、先に体力が尽きるのはたぶんこちら。このまま逃げるか……? でも、たぶんまた同じモンスターと遭遇する。その時はどうする……? 同じように逃げられるのか……?)
良策は思いつかず、逃走を図ったとしても根本的な状況の解決にはならない。
(こいつらに勝たなくちゃいけない――)
死が間近に迫った恐怖に押しつぶされそうになりながらも、勝利を欲する。
剣を握る手に願いが込められた時だった。
「――」
透き通った紅色の
しかしその美しい光に見惚れている時間はない。
サルイ達が壁に突き刺さった角を引き抜き、振り返り始めていたのだ。
――生き残りたい。
――勝たなければならない。
そう願い、求める度に光は増していく。
(……もしかしたら)
根拠はない。
だが立ち向かわなければならない。
やるしかない。
『ブルフゥッ』
『フルッフ』
2体のサルイ達が和昌の命を狙い、駆け出す。
「左からだっ!」
和昌は盾を保険でサルイに向けつつ、左に少し飛んで――通り過ぎるタイミングで体側へ一線を描いて切り込む。
『グ――』
「た、倒せた」
勝利の余韻に浸っていられる時間はない。
残された1体のサルイは、先ほどの経験を活かし、既に方向転換をして和昌に向かって突進を始めている。
「――なら」
両手で剣を握り、右の後方下段で構える。
盾がなくなってしまったことに心配は拭えないものの、こちらからは攻めず、待つ。
「はぁああああああああああっ!」
交差する時――半歩左へ逸れ、再び一線を描いた。
『――』
見事2体のサルイを討伐し、ポケットの中に詰まっているものよりも大きい
乱れた呼吸を整えつつ、左手を離して肩を落す。上下する肩はしばらく呼吸に合わせて上下し、今も尚たしかに動く心臓の
つい先ほどまで死闘を繰り広げられていた、この事実がまるで嘘だったのではないかと思わせるほどの静寂。しかし滝のように流れ出る汗は、現実であったことを知らしめる。
脳内の整理が終わっていないが、ハッキリとしている意識の中で気になっていたことを思い出す。
戦闘時に、いや数秒前までは光を放っていた剣。【
「……なんだったんだ、さっきのは」
謎が謎を呼ぶ。
幻想的な光景が創り出されていた、という記憶が、死地に立たされた人間が見る幻想であったかのように、淡い紅色の光は消えてしまっていたのだ。
覗き込んでみても変わらず、宙を二振りほどしても再びあの光景を目の当たりにすることはできない。
「そういえば、こっちもだったな」
唯一の盾であり命綱でもあった、最後に不安を抱かせる原因になった【
まさか見た目通りで、なんらかのチャージや補填を行わなければならなかったのか、という疑問を抱きつつ左手を開いて正面へかざす。すると、普通に盾が展開された。
「まだ確定ではないが、そういう仕組みか」
手を閉じたり開いたりすると、盾が展開されたり消滅したりする。
簡単でわかりやすい構造にため息が漏れるも、安堵。一抹の不安ではあったが、しっかりと払拭された。
今更ながらに、自身の置かれている状況を再確認する。
「呑気に突っ立っているわけにはいかない」
ここはダンジョン。
偶然にもドーム状の部屋みたいなところで戦っていたから、つい忘れてしまっていたが、ダンジョン内でモンスターはほぼ無限と言っていいほど出現する。タイミングこそバラバラだとしても、油断をして現を抜かしていたらすぐに取り囲まれてしまう場所だ。
実力が伴っていれば構わないが、
ならば進むしかない。助けは見込めず、自身の力だけで生きて帰るために和昌は歩き出す。
しかし、進行方向から鳴り響く声にすぐ足を止めてしまう。
「きゃああああああああああっ!」
不意の出来事だったため、体がビクッと跳ね上がるも――、
「……ああもう、もうにでもなれ」
――進行方向であり見捨てることもできず、和昌は駆け出した。
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