幸せで、辛くもあって



 次の日の朝。


 ダイニングに現れたオスカーの目の下にはうっすらと隈があった。



「シャルロッテ、俺とファーストダンスをするのが縁談よけに役立つと言ったのは間違いだった」


「え」



 執務が立て込んでいるのかしら、大変ね、などとのんびり考えていたシャルロッテは、オスカーから開口一番そう告げられ、さっと顔を青くした。



「私は、縁談よけのお役にも立っていなかったと・・・?」


「は? いや、違う・・・おい、レナート? なにか話が・・・」



 契約条件として提示した役目をしっかり果たせていなかったと思い、シャルロッテがしょんぼり肩を落とすと、オスカーは焦って後ろに控えるレナートを振り返った。



 なぜレナートを呼ぶのだろうと、俯いたシャルロッテが顔を上げると、何やらごにょごにょ話をしている後ろ姿が見えた。



「あ~、ごほん、いいか、シャルロッテ」


「はい」


「君はちゃんと縁談よけの役に立っている。実際、君と結婚してからうちに届く釣書の量は激減した。だが、俺が君とファーストダンスを踊るのは、それをさらに減らす目的ではなく、いやそれもない訳ではないのだが、実は本当の目的は他にあって・・・」


「旦那さま、くどいです。説明は簡潔に」


「う」



 再びシャルロッテに向きなおって話し始めたオスカーは、だが後ろに控えるレナートにすぐにダメ出しをされた。


 オスカーは不機嫌そうに眉根を寄せ、一瞬だけレナートのいる方を見やるも、一度大きく息を吐くとシャルロッテをじっと見つめ、ひと息に言った。



「妻とのファーストダンスを他の男に譲る事は出来ない。たとえそれが君の父親でも譲る気はない。それは俺の役目だ」


「・・・ぽぇっ!」



 あまりに衝撃的で、シャルロッテの口から変な声が零れ落ちた。



 なんだか色々と、シャルロッテにとってご褒美が過ぎる言葉ばかりだ。

 特効薬が効き始めて、晴れて不治の病から解放されるところだというのに、シャルロッテは別の意味で昇天してしまいそうである。



「・・・シャルロッテ? 大丈夫か?」



 奇妙な声を上げたきり黙りこんでしまったシャルロッテの顔を、オスカーが心配そうに覗き込んだ。



 シャルロッテの反応を不安に思ったのか、それともちゃんと正解が出せたかを確認したいのか、オスカーはちらりと背後にいるレナートに視線を送った。



 レナートはぐっとOKサインを出し、それにオスカーはほっとする。だが、その光景は、シャルロッテには見えていなかった。



 シャルロッテの心の中は、今いっぱいいっぱいだったから。





 ―――もうなんか色々と・・・幸せで辛い・・・



 そう、シャルロッテは幸せ―――それも、ものすごく幸せなのに、辛いのだ。



 優しいのは知っていた、けれどここまでオスカーが優しくしてくれるとは思っていなかった。



 不治の病だから。


 必ず終わると分かっている夫婦だから。


 可哀そうだから。


 契約した相手だから。



 きっと、オスカーの優しさには色々な理由があるのだろう。



 そう思うと、嬉しさの中に少しだけ寂しさが滲むが、それは自業自得だ。



 だって、それを当て込んで契約結婚を申し込んだのはシャルロッテ。


 オスカーが優しい人だと分かった上で、アラマキフィリスを切り札にして交渉したのは他でもないシャルロッテ自身だ。



 だから本当は、こんな事を思う資格など、シャルロッテにはない。



 ずっとこのまま、オスカーと一緒にいられたらいいのに―――なんて。




 本当は、ごめんなさいと謝ってしまいたいのだ。


 謝って、薬が見つかった事を打ち明けて、そしてこのままずっと夫婦でいたいと縋ってしまいたい。




 ―――でも、そうしたらきっと。



 きっと、今シャルロッテの目の前で素の表情を見せてくれるオスカーはいなくなる。



 シャルロッテの前で、シャルロッテは安心していい人だからと本音を晒け出してくれるオスカーはいなくなってしまうから。






 だから許してね、とシャルロッテは願う。



 ―――このまま、本当の事を何も話さないまま、病気のフリをしてあなたの優しさを受け続ける、狡い私を。



 どうか許してください。



 ちゃんと、あと3か月と半月であなたから離れるから。



 あなたが安心して側に置いていられるシャルロッテのまま、屋敷を出ていくから。




 その間だけ、あともう少しだけ、と―――






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