第10話
「やーっと追いついた。さては君、人を撒くのが得意だな?」
人気のない住宅街の路地に響く、場違いに明るい声に俺は思わず声のする方を振り返った。目に映る特徴的なアッシュブラウンの髪を飾るシュシュと、楽し気に弾む声色に俺は覚えがあった。
「……おく、」
反射的に奥村先輩、と出かかった声を俺は寸でのところで喉の奥へと飲み込んだ。
髪型も髪色も、それこそ声色も何もかもが奥村先輩とそっくりだったが、纏う雰囲気に僅かに違和感を覚えた。あまりにも雰囲気が似ているので奥村先輩と並んで立っていたら、姉妹かもしくは双子といわれてもおかしくない程度にはよく似ている。
だが、別人であることに間違いはない。
「……あの、誰ですか?」
話しぶりからすると、今目の前で退路を塞ぐように仁王立ちしている謎の女性は、大学からここまで自分のことを追いかけてきたのだろう。ならば、先ほどあった騒動を知らないわけがない。知ったうえで追いかけてきた、ということは例の物件に住んでいる自分に何かしら用事があるということだ。
(……なんだ、もしかして俺があの家に昔住んでたことがばれたのか)
もしそうならば、どれ程効果があるかは分からないが口止めをしなければならない。もちろん、暴力や脅しはもってのほかだ。だが、引っ越しをしたばかりで懐が寒い自分では相手を黙らせるだけの金品を渡すことが出来るはずもない。
さて、どうしたものかと眉を寄せると目の前の女性は大きな目をぱちぱちと数度瞬かせ、ゆっくりと口を開いた。
「確かに、名乗るならこちらからが礼儀よね。私は神永小百合、立池大学三年文学部専攻。よろしくね」
「あ、俺は経済学部の一年……間宮悟です」
相手の勢いに負け、思わず専攻と名前を名乗ってから相手のペースに乗せられてしまったことに気付く。うかつにも名前と学部という重要な個人情報を馬鹿正直に話してしまった。相手を自分のペースに巻き込み、重い口を開かせてしまうところも神永、と名乗った女性はどこか奥村先輩に似ていた。
そういえば、文学部専攻ということは奥村先輩も同じ学部だったはずだ。
「聞いたよ、君あのオンボロ幽霊アパートの一〇二号室に入居した物好き君なんだって?しかも話に聞くとすでに一週間くらいは住んでるとか」
「えっと、はい……」
「不思議だなあ、あそこはどんなオカルトマニアも数日耐えきれない相当やばい物件のはずなんだけど。君ってもしかして……」
何かを探るように顔を覗き込まれ、俺の背中に冷たい汗が流れ落ちる。まさか、この神永という先輩は全て知ったうえで俺を追いかけてきたのではないだろうか。いったい何が望みだ、と俺は気づかれないよう静かに息を飲んだ。
「君って、絶望的に霊感がない?それならあそこに住めるのも納得かも。霊には少し同情しちゃうけどね」
よっ、世紀の鈍感君と背中を叩かれ俺は思わず小さく咽てしまった。まさかそんなことを言われるなんて、全く予想すらしていなかったからだ。
「まあ、そんなことはどうでも良いとして」
学校で騒ぎになるほどの出来事を、彼女はすでに興味の片鱗も抱いていないとでもいうように、別の話題へと切り替えた。
「あそこのアパートの一〇二号室ってことは、隣にあの子住んでるでしょ」
「……あの子?」
「そう、あの子。ちょっと変わってて抜けてるところがあるけど、憎めない感じの可愛い子」
「ああ、いますよ。引っ越した時に挨拶しました」
隣に住んでいるあの子、という言葉に最初に二人の候補が浮かぶが、続く「可愛い」という言葉に一〇一号室の住人の顔に大きくバツ印が付いた。となれば、残りは一人。奥村先輩のことだろう。
「あの子さあ、今年に入ってまだ一回も大学来てないのよ。二年の時点で単位激やばだったっていうのに。何度も電話してるのに全部無視。ラインも何にもつながらないから生きてるのか心配だったんだけど。どりあえず、生きてるのね」
「とりあえず、この間はまだ生きてましたね……」
少なくとも一週間ほど前、焼き菓子を手渡した時は生きていたはずだ。今はどうかといわれると姿を目撃したわけではないが、時折隣から生活音が聞こえることを考えると(決して耳をそばだてていたわけではない)、今も変わらず一〇三号室で生活しているはずだ。
だが、確かに言われてみれば同じ大学に通っているにも関わらず、奥村先輩がアパートから大学に向かう姿をまだ一度として目撃していない。
りんちゃんに会うために、毎夜深夜2時過ぎまで起きている自分が人のことを言える立場ではないのだが、隣から響く音がいつも夜に集中していたのでずいぶん夜型の人だと思っていたのだが。まさか大学に殆ど顔を出していなかったとは。
「私が二年の時に口うるさく言い過ぎたせいで絶対めんどくさいって思われてるんだよ。最近なんて居留守まで使われたし、酷くない?こんなに友達想いなのに」
「……はは」
こんな時、気の利いた返事ができる性格でない俺はただ曖昧な笑い声で答えることしかできなかった。こういう時の女性への返事程困ることはない。
「さすがに代講にも限界があるからね、そろそろ学校来いって言っておいてくれない。三年にあがれたの、殆ど私のおかげだからね」
人のふりをするのも楽じゃないんだぞ、を神永先輩はわざとらしく頬を膨らませて見せた。なるほど、確かに奥村先輩と神永先輩の容姿は良く似ている。背格好、髪型、雰囲気、そして話し方まで似ているとなればある程度人数がいる授業であれば相手のふりをして受講票を提出することくらい難なくこなせるはずだ。
「あと、前に貸した本も早く返せって言っておいて!絶対忘れてるから」
そう言うと、神永先輩は男子学生が口にするのはなかなか恥ずかしいタイトルを伝えてきた。ジャンルはわからないが、タイトルから察するにおそらく少女漫画なのだろう。
「……次あったら伝えておきますけど。もしかして俺を追いかけてきた理由ってそれだけですか?」
「え、そうだけど。じゃあ用事済んだし私帰るね。ばいばーい、霊感ゼロの後輩君」
そう言い残すと、神永先輩は俺を一人路地に置いてまるで嵐のように去って行ってしまった。
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