心理的庇護物件 一〇二号室
96助
序章
じわじわ じわじわ
煩い程の蝉の声が窓の外から聞こえてくる。
埃臭い古ぼけたアパートの一室で、蝉の声に重なるように幼い子供の声が二つ響き渡った。年端もいかない少年と少女の声だ。
「今日は、かくれんぼをしよう」
先にそう言ったのは少年の方だ。幼い舌足らずなその声に、分かったと笑う少女の声が応えた。
「今日はどっちが鬼?」
「僕が鬼、りんちゃんが隠れてね」
「今日も負けた方が、勝った方の言う事を聞くのよね」
試すような少女の言葉に、少年はふんと悔し気に鼻を鳴らしてみせた。
少年の目に映るのは、まだゲームも始まっていないというのに既に勝利を確信し勝ち誇る少女の微笑みだ。悔しいことに、この所どんな遊びをしても少年は少女に負け続けている。
その中でも、特にかくれんぼでは一度も少女に勝てた試しがなかった。
隠れる側になれば、どんな場所に隠れてもすぐに見つかってしまう。鬼になってどれだけ必死に探しても少女の姿が見つからず、結局いつも時間切れになってしまう。
二人の間で決めた「勝った方が負けた方の言う事を一つ聞く」といういつの間にかできた約束のせいで、ここ数日は少年の方が小さな無茶を聞くのが日課となってしまっていた。
勝てる見込みは確かに少ないが、今日は特別だった。今日だけは絶対に彼女に負けるわけにはいかないのだ。
だって、今日は僕の――なのだから。
「じゃあ僕が百数えるから。早く隠れてね」
「はいはい、今日も私が勝っちゃうからね」
「そんなことない。僕が勝つ」
そう言い放つと少年は腕に目を当て、真っ暗になった視界の中で数字を数え始める。
いーち、にい、さん。
心なしか早口で紡がれる数字に紛れ、ぱたぱたと少女の足音が遠ざかり消えていく。
じゅう、じゅういち、じゅうに。
数字を数える声の隙間を縫うように、蝉の音が部屋の中へ流れ込んでくる。
蝉の音に掻き消えるように、先ほどまで聞こえていた足音はいつの間にかすっかり聞こえなくなってしまっていた。
さて、今日はあの子は一体どこに隠れたのだろう。
数字を数えながら、少年はふと我に返る。
(……ああ、またこの夢か)
夢の中で「此処が現実ではない」と気付く奇妙な感覚。
夢だと気付いたにもかかわらず、少年が数字を数える唇の動きが止まることは無い。まるで壊れたビデオのように、ただ過ぎ去りし日の光景を繰り返すだけだ。
少年は丁度五十まで数え終わり、一度口を閉ざす。まだ幼い彼には五十の次の数字がなんだったか、分からなくなってしまったのだ。だがその唇が五十一の数字を紡ぐことが無いのは分かっていた。
五十に続く数字を思い出した少年が再びゆっくりと口を開く瞬間、小さなその身体は母親によって外に連れ出されてしまうからだ。
あの子を、薄暗い部屋の何処かで身を潜める少女を置き去りにしたままで。
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