第34話「まぁ、神隠しにあったって相手をいつまでも待てないですもんね」
国主達の屋敷に戻る。道中何も言葉を発さなかった。重い空気のまま辿り着いた屋敷は酷く騒がしく、仕えている妖怪達がわらわらと走り回っていた。
「どうしたんだ?」
申助はたまたま目の前を飛んでいた一反木綿を捕まえて尋ねる。一反木綿はしっぽのあたりを掴まれたものだから、ひぇ、と甲高い悲鳴を上げていた。
「ああ、申助様に戌二様。昨日あなた達が連れてきた女が大変なことになっているんですよ」
キィキィとまるで苦情を言っているかのように一反木綿は語りかけてくる。
「トメのことか?」
「ああ、そうそう。トメさん。あの人がね、泣いたり喚いたり叫んだりして大変なんです。粥を食わせろとか外に出せとか。今ぬりかべさんと屏風覗きさんが取り押さえているんですけどね、もうしっちゃかめっちゃかで」
手をばたつかせ、一反木綿が状況の説明をする。申助と戌二は目を見交わした。
「ありがと」
一反木綿の体から手を離し、トメのいる部屋に急いだ。
「いやだ! 私を返して……! ここは嫌。あの楽園に返してよ!」
トメの泣きわめく声が障子を通して聞こえる。障子を開くと、彼女は必死にぬりかべの拘束から逃げようとしていた。顔を上げ、戌二を見つけ彼の方に手を伸ばす。
「お願い! 助けて!」
来訪者に気を取られたぬりかべの拘束が緩んだ隙にトメは抜け出して戌二に抱きついた。彼女は胸に顔を埋めてしくしくと泣き始める。
「……!?」
申助は目を見開く。戌二も驚いたようで硬直していた。
「……助けて、と言われても、俺はお前をあの集落には返せない」
戌二の声が上ずっている。黒いモヤが胸の中に広がっていくのを申助は感じていた。
「なら、私のそばにいて! ……不安なの。お願い……」
戌二は困ったように申助を見た。反対しようとして、けれどふいに先程の治郎兵衛を思い出す。彼女は治郎兵衛の心変わりを知ったらどう思うだろう。唇を引き結び、ぱくぱくと口を動かした。何と言えばいいかわからない。自分の旦那に手を出すな、と言っても戌二と申助の間に情は通っていない。申助が一方的に好きなだけだ。
「……俺、帰ったことを国主様に報告してくる」
結局文句を言うことが出来ず、俯いて申助は踵を返す。嫌なら自分で断るだろう、とその場を後にした。
数歩歩き、振り返る。ついてこない、ということは戌二はトメにつきそうことを了承したのだろう。申助は肩を落として国主の部屋へと行った。
国主の部屋では国主と戌太郎、それから狐次郎が円陣を組んで何やら話し合っていた。彼らは申助が現れたのを見ると、中に入るようにと場所を開け、座布団を用意してくれた。
「よく帰ったな。須久那は薬の分析を進めている。俺達は今後について話し合っていたんだ」
国主は湯呑に茶を入れ差し出してくれた。冷めてしまっているため長い間話していたのであろうことが察せられる。
「私はそろそろ帰ろうとしていたところだったんですよ」
戌太郎が申助に告げた。狐次郎が唇を尖らせる。
「犬神族は戌二にあとの調査を任せて、手を引くつもりらしいです」
「……そうなんですね」
予想していた通りだ、とあっさりと頷いた。
「その戌二は?」
国主が尋ねる。申助は先程の顛末を話した。
「あぁ……、あの人、戌二の顔が好きだったみたいですもんね」
狐次郎は面白くなさそうに呟いた。国主がたしなめる。
「そんな事を言うもんじゃない。今トメさんは不安で仕方がないんだろう? 申助もそこのところはちゃんとわかっているよな?」
なだめるような言葉だった。申助は頷く。納得はしていないが、国主の手前文句が言えないのだ。国主は誰に対しても平等に情が深い。それは申助に対してもそうだし、トメに対しても同様だった。
その正しさが今は少し引っかかる。
「人間の方はどうだったんですか?」
狐次郎が尋ねる。う、と視線をそらした。
「……次の嫁を探そうとしていました」
さもありなんと狐次郎は乾いた笑いをこぼした。これは予想の範囲内だったのだろう、戌太郎も唇に人差し指の背をあて、あら、と軽く呟いた。
「さすが人間は手が早いねぇ」
「まぁ、神隠しにあったって相手をいつまでも待てないですもんね」
「…………」
戌太郎、狐次郎の会話に申助は肩を落とす。
「で、どうするんですか? アンタもこの件からは手を引くつもりですか?」
狐次郎に尋ねられ、それでも首を横に振った。
「戌二が調査するっていうんなら、俺も手伝いたい」
上目遣いに戌太郎を見る。彼は不満はないようでコクリと頷いた。
「そうかい。では、戌二と一緒にもう少し探ってみてくれるかい?」
「……うん」
申助も首肯する。国主が申助の頭を撫でた。慰めているような動きだった。
「須久那が昨日トメさんから聞き出したんだが、あそこは養蚕で成り立っている場所らしい。絹織物を作って都で売り、金を手に入れ米や味噌を買っていたようだな」
なるほど、と申助は思う。蚕の食料である桑が大量に栽培されていたのはそういうことか。
「仕組みとしては悪くないと思う。養蚕は女性が主な生産者だし、需要もある。もし薬を使わず、女性が自主的に作った場所だとしたら、そういう集落があってもいいんじゃないかと俺は個人的に思っている」
「……はい」
どうやら国主の考えも昨日の申助と戌二と同じ考えのようだった。
「しかし、問題なのはあの男三人組だ。何故犬神族をわざわざ招いて末社を作ろうとしたのか、何故赤ん坊に至るまで男を排除し、女だけの楽園を作ったのかと狙いを探ってほしい。単純な私欲にしては度が過ぎていると思うんだ」
申助は頷く。狐次郎が割って入った。
「なんで稲荷の真似をするのかも探ってほしいッス!」
「それはお前の仕事でしょう」
呆れた、と言わんばかりに戌太郎が肩をすくめる。
「協力して探ればいいだろう? 利害は一致しているんだし」
国主の言葉に狐次郎は横目で申助を見る。目を眇め、何かを考えたような表情になった後、肩に手を置いてきた。
「そうですね! そんなわけで、一緒に探りましょう。よろしく!」
「……あー、おう」
彼が近づくと、お香の人工的な香りが鼻を突く。昨日の戌二が言っていたのはこれか、と申助は考えた。
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