第30話「不思議ですねぇ、あなたは女性のはずなのに」

 狐次郎の説明能力も、申助と似たようなものだった。申助の場合は物事の前後関係を間違えたり、話の回り道をしたりしてわからなくなるが、狐次郎は演出過多で話が逸れる。その度に戌太郎や戌二が補足を入れて軌道修正をし、話し終えた。


「それで、その方……トメさんも一緒に来たんだ」


 須久那はトメのほうに視線を向ける。


「そうよ。私は迷惑をしているの。早く返してちょうだい」


 すっかり態度の大きくなった彼女は返す。虚勢なのかもしれない。


「その前に、話を聞かせてください。稲荷の名前を使ってやりたい放題やられると困るんですよ。俺達には関係ないのに悪評ばかり広まって。どうやら勝手に中身が空っぽの神社まで作っているようじゃないですか」


「犬神族を謀ろうとしたんだ。それなりの報いは受けてもらわないとね」


 狐次郎、戌太郎と続ける。トメは二柱を睨みつけた。


「何それ……。アンタ達、神様っていうなら人間を救おうとは思わないわけ!?」


「あなたは氏子じゃありませんからね」


 あっさりと戌太郎が返した。これについては犬神族の長男であり第一跡取り候補として彼は随分と割り切っているようだった。


「救ってほしいというならば、あなたが信望していた御霊之神とやらに頼んでほしいです。もしくはこちらの氏子になってもらうか」


 続いた狐次郎の言葉にトメはわなわなと震える。


「……私に村に戻れっていうの」


 そういえば、と申助は思い出す。トメのいた村には稲荷の神社のハリボテがあった。トメはあれがハリボテだと知らないので狐次郎の言葉を村に戻れと捉えたのだろう。


「さっきも言ったでしょ!? 私はもう村に戻りたくないの。女にとって村で暮らす事は心を殺して家に尽くす事と同義なの! 男たちが笑って宴会をしている間、座る暇もなく給餌して酒をお酌して自分たちは台所で余り物を食べる。女なんだからそんなものだってあれこれ命令される生活がどんなに嫌か、神様にわかる?」


 トメが涙ながらに語る。


 戌太郎や狐次郎の目が細められた。少しの同情もしていないようである。

 申助は彼女の泣き顔を見ながら、衝撃を受けていた。


 彼女の境遇は猿神族の屋敷で暮らしていた頃の申助と同じだった。当時は嫌だと思っていなかった。男性なのだから当たり前だと受け入れていた。けれど、戌二の元に来てから、政治を仕切っている男神を見て少しずつ違和感が育っていっていた。そもそも第一跡取り候補の戌太郎は男神である。


 そこへ今回の富士楽事件である。富士楽で生きている女性は楽しそうだったし、戌二もある意味で理想郷と言っていた。そこで過ごしたトメが涙ながらに富士楽に行く前の生活の苦痛を訴えている。どうにも腹の据わりが悪かった。これまでに信じていた価値観をひっくり返されるような心地がしていた。


 けれど、今の彼女の言葉がどこまで本当なのかわからない。五郎達によって埋め込まれた価値観かも知れない。申助は口を開く。


「それ……、御霊之神達の言葉の受け売りか?」


「……は?」


 トメは申助を憎らしそうな瞳で睨んだ。


「俺もやられた。無理やり薬を飲まされて、頭がぼうっとしたところに、あいつらにとって都合のいい言葉を囁かれるんだ。まるで感情が上書きされていくようだった」


「何言って……」


 申助はトメの瞳を見ながら続ける。彼女は頬が真っ赤に染まり、額に脈が浮いていた。


「お前たちが毎日食べていた粥に、お前たちの思考能力を奪う、中毒性のある薬が含まれていたんだよ。だから、やたら粥を食べたくなっていただろう?」


 思い当たるところがあるのだろう、トメは口をぱくぱくと動かした。


「でも……、違う……、私は望んで富士楽にいたいと思ったの。村に居た頃よりも今の方が幸せだってはっきり言える。女同士で助け合って、愛する御霊之神様のそばにいられるんだから……」


 そこだ。申助は眉根にシワを作る。震える彼女が痛ましかった。

 もし、薬など関係なく彼女達が寄り集まってあの集落を作ったというのであれば、申助は治郎兵衛にトメは新天地で幸せに暮らしていると告げ、終わりにしただろう。けれど、御霊之神達の思惑が混ざり合っているために手放しで応援をすることが出来なかった。


「じゃあ、お前は御霊之神のどこを好きだと思うんだ?」


「それは……、私を苦境から救い出してくれた……し?」


「具体的に何をしてくれたんだ?」


「……」


 トメは唇を噛んで俯く。申助の時のように、彼らは座って指示だけ飛ばしていたのだろう。


「御霊之神達と富士楽の女達は……、まぐわっていたんだよな?」


「……そうよ。私達は御霊之神様や側近の方々を愛していたんだから」


 申助は泣きそうな気持ちになる。そうだろうと思っていた。あの日、戌二が来てくれなければきっと自分も御霊之神のことを好きになったと思わされ、抱かれていた。

 これ以上は聞きたくない。けれど、口が動いていた。


「そうしてまぐわった女達が孕んで、赤ん坊が女しか生まれないのはおかしいと思わなかったのか? 多分だけど、赤ん坊が男だったら殺している。あの三人の誰かが」


「そんな……、そんなことない。偶然よ! たまたま男の子が生まれてこなかったの」


「男の赤ん坊が遺棄されていた」


 トメの金切り声に、戌二が返す。彼の冷静な声にトメは戌二の方を見た。もはやトメの顔は血の気がひいて真っ青になっていた。


「五人分。その子供の匂いが来た方角を辿っていったら、お前たちの村についた。誰かが捨てて埋めたんだと思う」


 わなわなと彼女の唇が震える。信じたくないようだった。

 申助は俯いて続ける。彼女の反応が怖かった。


「……作られた楽園なんだよ。あの集落は、男を排除して、女を集めて、御霊之神達がいい思いをしようとか、夜伽をさせようとか、その為に薬を使って作ったんだ」


「……嘘よ。信じない。そんな事、ありえない!」


 トメは首を振り、耳を塞いだ。その時だった。

 パン、パンと須久那の手が叩かれる。


「今日はここまでにしよう」


 まるでトメをかばうように須久那が彼女の肩に手を置く。


「いきなりこんな事になって、トメさんは疲れているでしょう? 今日はもう休んだほうがいい」


 彼女は毅然とトメを促し立ち上がった。この場所では国主の次に位の高い彼女に誰も何も言えなかった。普段は優しい彼女だが、こうしてたまに強い意志を見せる。そんな時は国主ですら彼女のすることに異を唱えなくなるのだ。

 須久那はトメの手を取り、部屋の外へと連れて行った。足音が遠ざかるのを確認し、今度は国主が申助の背中を優しく叩く。


「いくら真実を言うにしても、押し付けてばかりは駄目だ。いきなり連れてこられた彼女の気持ちも考えてやれ。特にあの様子じゃ、今は信じたくないだろう。ここで一旦終わりにしよう」


 彼の声音は子供を慰める時のそれで、緊張がほぐれた申助の視界が滲んでくる。この屋敷についた時には戌二と寝たいと言ったトメに対して複雑な感情を抱いていたのに、同じように生まれながらの性別で差別されていたと知って同情した。


 だから、傷つける言葉を言いたくなかった。それでも、薬を使って体よく利用されている今の彼女の状況をいい事だとは思えなかった。


 出来る事なら、正常になった自分の頭で考えて、結論を出してもらいたかった。そこまで考え、自分の思考に違和感を抱く。俯いた申助に戌太郎が近寄ってきた。


「ところで先程からずっと不思議に思っていたのですが……」


 戌太郎は申助の顔を覗き込む。


「申代さん。あなた、戌二がトメさんを襲っているように見えた時、ちゃんとした女のほうがいいのかとおっしゃっていましたよね? 不思議ですねぇ、あなたは女性のはずなのに」

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