第18話「そっかぁ……、おれ、あなたのことをあいしているのかぁ……」

 朱塗りの小屋に入り、扉を叩くと申助を中に入れて門番は去っていく。

 中にはやはり三人の男がいた。


「ああ、よく来てくださりましたね」


「どうぞ、中へ入ってください」


 昼に見せていた恵比須顔で彼らは申助にもっと奥へと入ってくるように促す。中央に置かれていた座布団に座るよう指示された。室内は薄暗く、六畳ほどしかない部屋だった。台の上に食べ終わった食事の皿が載せられている。どうやら彼らには魚や青菜の味噌汁といった料理が運ばれていたようだった。

 部屋の奥が焦げ臭い。香を炊いているのだろう。


「うむ、赤ら顔だが、なかなかに美しい女じゃないか。なぁ」


 左側に座っている小柄な男が頷く。この中では一番年長者らしく、顔にたくさんの皺が刻まれていた。中央に御霊之神、右側にひょろりと細長い男がいる。それぞれ左から五郎、御霊之神、兵衛と名乗った。御霊之神は現人神で、五郎、兵衛がそれぞれ補佐をしているのだとか。

 赤ら顔は余計だ、と申助は心の中で毒づく。


「そうだなぁ。こんなに若くて美しい女が嫁ぐのであれば、きっといい男なのでしょう」


 兵衛に言われ、戌二を思い出す。顔はいいが、口が悪い。微妙な顔をしていると中央に座っている御霊之神が目をぎょろりと見開いた。


「何か思うところがおありかな?」


 蛇のような瞳だった。この目は苦手だ。申助は背中が粟立つのを感じた。咄嗟に体を後ろに引く。


「いえ、別に……」


「もしかして、あなたも望まぬ婚姻なのですか?」


 五郎に尋ねられ、言葉に詰まる。御霊之神は大仰に頷いた。


「なるほど。いえ、私は顔を見てピンときました。この娘にはきっと何か訳があるのだろう、と」


 咄嗟に申助は顔をそらす。嘘のつけない態度に、男たちはニヤ、と目を見交わした。


「やはりそうなのですね。どうしたのですか? 私達で良ければ話を聞きましょう」


「いえ……、その……」


 婚姻に関して言うのであれば言える話などほぼない。五郎が続けた。


「旦那とのまぐわいが苦痛だとか?」


 それはない、と申助は咄嗟に思う。発情期の三日の間、申助は何度も達した。体力は同じくらいで、亀頭が膨らんではずれなくなった時にお互いの体を触りあうのは良い休憩にもなったし、安心もした。

 申助が黙っていると、兵衛がたしなめる。


「おい、彼女はまだ輿入れの最中だ。下手したら旦那の顔すら知らないのかもしれないぞ」


「ああ、そうだったな。悪い悪い」


 五郎はひょうきんに笑う。申助はほほ、と袖で口を隠し、目を細めた。


「では、どんな不満がおありで?」


 御霊之神は続ける。言わなければ怪しまれそうだ、と申助は適当にでっち上げることにした。


「親に決められた婚姻なのですが、顔も知らない相手に嫁ぐというのは恐ろしくて……」


 袖で顔を隠し、体を縮める。外から見ると気弱な女に見えていることだろう。


「ああ、この辺りではよくある話ではありますが、当人からしたら溜まったものではありませんよねぇ」


 五郎は大げさに頷く。彼はやたらと調子がいい。


「女は嫁いだ先で朝から晩まで座る間もなく働かされ、家に縛られる人生だと聞きます。けれど、本当にそれでいいと思っていますか?」


 五郎に尋ねられ、申助は首を傾げる。朝から晩まで、というのは猿神族にいた時の生活と変わりない。嫌だとか思ったことはなかった。


 嫁いでからはというと、何から何までキヌがしてくれるものだから、申助は実家にいた頃よりも甘やかされている。

 申助が首を傾げたのを見て、兵衛の眉尻が下がった。他の二人も同情をするような眼差しを向けてくる。


「ああ、まだ彼女はそれがおかしいと自覚していないようです」


「考えてみてごらんなさい。女性というだけで、男性に好きに扱われるのが当たり前となっている事は、おかしいと思いませんか? なぜ性別という生まれ持った属性で他人に人生を決められなければならないのでしょう」


 兵衛、五郎と続く。申助の顔が真顔になる。脳裏に母や姉の顔が思い浮かんだ。申助は彼女達の世話をすることを嫌だとは思ったことはなかった。男に生まれたのだから当たり前だと感じていた。

 三人は目を見交わし、ニヤリと笑った。


「少しでも嫌だと思っているなら、逃げてしまえばいい。逃げてこの村に住みなさい」


 御霊之神が威厳のある声で告げてきた。頭がくらくらする。焚かれている香の独特な香りが申助の脳を溶かしていくようだった。彼の瞳に見つめられていたら何でも言うことを聞いてしまいたくなる。考えることが面倒くさい。

 これではいけない、と申助は首を振った。


「……私は、嫁に行かないといけませんので」


 申助の拒絶に、三人の空気が変わる。笑顔が消え、巌しい瞳で申助を凝視していた。


「効いていないのか……」


「おい、兵衛」


「ああ」


 目配せをするとほぼ同時にこの場で一番体格の良い御霊之神が背後に回り肩を掴むように抱きとめられた。五郎の手が伸び、口を開けさせられた。


「おい! 何をする! 離せ!」


「お前、夕食の粥は食べなかったのか」


 五郎に尋ねられる。ギロリとした瞳が気持ち悪かった。何も答えずにそっぽを向いたが再び御霊之神の怪力によって正面をむかされた。

 兵衛は隅の方に置いてある箪笥から薬包を取り出すと広げ、粉末を申助の口の中に入れる。酷く苦い味がした。竹筒から口内に水を流し込まれた。


「んっ……んんっ……」


 嫌がって首を振るが男に拘束されて逃れられない。口と鼻を塞がれ、飲む以外になかった。申助の喉が動いた事を確認し、兵衛は一歩下がる。代わりに五郎が目の前に割り込んだ。


「いやぁ、大丈夫ですか? 空きっ腹に薬は効くでしょうねぇ」


 再び恵比須顔を浮かべている。ぞわぞわと背筋に悪寒が走る。なのに、じんわりと股間のほうが熱くなっていった。


「薬って……、何を飲ませたんだ」


「あなたが素直になれる薬ですよ」


 頭のモヤが濃くなっていく。粥を舌先に当てた時から感じていた気持ち悪さが薬によって更に強められた。酩酊状態にあるようだった。


「ぅなお……」


 呂律が回らない。五郎はニッコリと笑う。


「ああ、効いてきているようですね。では、もう一度聞きます。あなたは今回の婚礼に対してどんな不満がおありですか?」


「ぅまん……」


 うまく考えられない。嫁ぐまでは嫌で仕方がなかったが、戌二と接するうちに嫌悪感はなくなっていった。

 それでも、心に引っかかっている事といえば。


「かあさんに、だまされたかもしれない。あねをまもるために、おれをよめにだした……」


「ああ、なるほど。そうだったのですね。可哀想に」


 五郎がパン、と両手を叩く。

 不思議なことに、破裂音によって更に思考が沼に落ちたような気になった。


「かわいそう……?」


「かわいそうでしょう? あなたは利用されたのです。姉という、あなたよりも上位の存在のために」


「じょうい……」


 母系社会において申助はいつだって姉達ほどに優遇はされてこなかった。「強い男になりなさい」と教えられ、姉達に何かあった時は命を顧みずに守りなさいと言われてきた。自分も姉が好きだから尽くすのだと思っていた。だから、今回の婚礼もあっさりと姉の為だと自分が身代わりになろうとした。


 自分は男だから子供を孕むことが出来ない。子供を孕める女である姉達のために尽くすのだ、と。


「そうです。けれど、何故姉が貴方よりも上の存在だというのでしょう。人間は生まれた順番や性別に関わらず、みんな等しく尊い存在であるべきなのに」


 口の近くで喋られるものだから五郎の吐息が顔にかかる。


「とうとい……」


 申助の体には力が入らない。ただただ五郎の言葉を繰り返すことしかできなかった。


「ここ、富士楽ならば、あなたは皆と平等の存在としていられるのです。皆等しく尊く大切にされるべき存在として」


 そうなのだろうか。

 だからここにいる女性達は朗らかなのだろうか。だとしたら、それはとても素敵なことだ。


「考えてみてください。望んでもいない男とのまぐわい。気持ち悪いですよね。家同士で結婚したからといって、男の欲望に答え続けるだけだなんて、そんなの娼婦と一緒じゃないですか」


 五郎の声が心に入り込み、戌二とのまぐわいが気持ち悪かったのではないかと思えてきた。


「ここではそんな事はしなくてもいいんです。あなたはあなたが望む時にあなたの好きな人とまぐわえばいいんです」


 パン、と再び五郎が手を鳴らす。


「おれのすきなひと……?」


 沈もうとしていた意識が引き戻され、再び五郎の言葉が頭に直接書き込まれるような錯覚に陥った。


「そう、今あなたを抱きしめている御霊之神様のことです。あなたは御霊之神様のことが大好きです。御霊之神様のことを愛しています」


 抱きしめている?

 申助は身を捩り、背後の男を見る。

 愛している?

 俺が、この男を?

 そうなのか。そうかもしれない。

 うまくものが考えられない。

 御霊之神の手が顎を掴み、顔を近づけてくる。乱暴で荒い手付きだった。


「んっ」


 唇が頬に落ちてくる。ナメクジのような舌が這う感触がした。

 気持ち悪いはずなのに、愛している人に触られるのだから嬉しいのかもしれないと思考が上書きされる。股間の熱さがさらに強まったような気がした。


「そっかぁ……、おれ、あなたのことをあいしているのかぁ……」


 浮かれた心地で呟くと、三人の目がニヤリと細められる。申助は御霊之神に手を伸ばし、背中に回した。

 下腹が疼く。入れて欲しい。熱いもので貫いて欲しい。眼の前の男のモノが……。

 その時だった。

 わぉーん……。

 どこからともなく狼の遠吠えが聞こえる。


「っ!」


 途端に頭に冷水を浴びさせられたように正気に戻った。

 違う。こいつじゃない。こんな奴愛していない。

 この場にいるのは危ないと思った。


 申助は渾身の力を込めて、まずは目の前にいる五郎に頭突きをする。一番危ないのはコイツだと思ったからだ。彼の言葉には逆らえない力がある。五郎は白目をむいて倒れこんだ。


 突然の申助の暴挙に御霊之神と兵衛は驚き、申助の体を拘束する力が緩んだ。身を捩らせ二人から距離を取ると、袂に手を入れ、お守りを取り出し紐を持って体から離した。案の定、申助の姿は人間である二人には見えなくなったようできょろきょろと周囲を見回していた。人型の時の神は人間には視認できない。


「くそ! どこに行った!」


 御霊之神と兵衛は閂を外すと扉を開け外へ飛び出す。申助はその間にそろそろと兵衛が薬包を取り出した箪笥へにじり寄り、一つ手に取ると自分も小屋の外へと出てしまう。後には白目を剥いて倒れている五郎だけが取り残された。

 全速力で出口へ向かって走っていると、背後に狼の足音がしたので振り返る。戌二だった。


 助かった。


 申助は力が抜け、その場に崩れ落ちる。薬はまだ効いている。体中が熱くて発情していた。


 戌二の背中に乗せられる感触がし、すぐに彼は集落の奥へ向かって駆け出していた。狼の毛皮にぎゅうと捕まる。彼は木の塀の端にある通用口から外へ出た。

 ここまで来たらきっと追いつかれないだろう。人間が狼である戌二の脚に叶うわけがない。

 安心した申助は意識を手放していた。



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