第14話 氏子は放っておけないものな
治郎兵衛と入れ違いに戌二が姿を現す。風呂敷から美味しそうな米の香りがしていた。
「何をやっていたんだ、お前」
戌二の姿を見つけた申助は筋肉がこわばった。何故か心臓がどきどきする。発情期の間求めあったからだろうか。
「神様の本分を果たしていたんだろ。氏子の悩みを聞いていたんだ」
「……神隠しの話か」
やはり聞いていたのか。申助は頷く。
「ああ。このところ女が失踪する事件が立て続けに起こっているという話だ」
座り、戌二は持ってきたおにぎりと水を差しだす。冷めていてもキヌが作ってくれたであろうおにぎりは美味しかった。
申助は食べ終わってから戌二にもらった鎮痛剤を飲む。ずっと求めあっていたからか、体の節々が痛かった。苦い味はあまり好きではなかったが、わざわざ自分と犬猿の仲であった戌二が貰ってきてくれたのだと思うと無下にはできなかった。
「それで、探すのか?」
「当たり前だろ? お前のところの氏子は俺達の氏子にもなったんだから」
申助はあっさりと返す。戌二は何を思ったか、無言でコクコクと頷いた。尻尾もゆらゆらと揺れている。
「わかった。俺も協力する。氏子は放っておけないものな」
「おー、ありがとうな!」
「体はどうなんだ? もう大丈夫なのか?」
腹の下のほうに手を当てて感触を確認する。昨晩まであった熱は感じなかった。
「だいぶマシになってる。お前ももう匂いはしねぇだろ?」
「わかんねぇ。部屋自体に匂いが残っているから。多分、この小堂の中では鼻が馬鹿になっていると思う」
そうなのか、と申助はくんくんと匂いを嗅ぐが、申助も慣れてしまっているのか何も感じることはなかった。
食事が終わり少し休んだ申助達は扉を全開にし、淀んだ空気を入れ替え、外に布団を干し、近くの川で洗濯物を洗ってしまう。戻ってきて賽銭箱の上に並べられた洗濯物を見ながら申助は戌二に尋ねた。
「大事を見て俺はもう一晩泊まるけど、お前はどうする? 仕事は大丈夫なのか?」
戌二は首を縦に振った。
「大丈夫だ。もともと発情期に合わせて休みを取れるような仕組みになっているから、俺も嫁の発情期だと休みを取らせてもらった」
「へぇ、いいな」
猿神族はというと、ほぼ同時に発情期が始まるのでその時期は一斉に休む。なので、発情期間中に氏子がお参りに来ても多くは放置していた。
「よし! じゃあ明日治郎兵衛が来たらさっそく探してみようぜ!」
ニカ、と申助は笑う。戌二もこくりと頷いた。
その日の夜、申助はあまり眠れなかった。
布団が一組しかないのだ。
乾いていたとはいえ戌二と密着して眠らざるをえなくなり、心臓がバクバクと煩く、ろくに寝付けなかった。なのに戌二ときたら、すぅすぅと気持ちよさそうに寝息を立てており、理不尽な怒りすら感じたのだった。
この気持ちは何なのだろうと申助は首をひねる。今までこんな状態になったことはなかった。戌二がいると胸が高鳴り、頬が熱くなる。発情期の心がずっと続いているみたいだ。
これまで、故郷で発情期を迎えた際の相手は年上の女神だった。彼女たちの体を貪った後、すぅと波が引いて笑顔で別れていた。なのに相手が戌二だと体は戻っても心が戻ってくれない。おかしい。
朝になり、ふあ、とあくびをしながら味噌汁を飲む。
戌二が奥にかまどを見つけ、湯を沸かしてくれたのでキヌに持たされた、味噌に少しの干し野菜が入った味噌玉を混ぜて朝食にしたのだった。
食べていると、外から人の足音がしたので木戸を見る。
ガラン、ガランと鈴の音が鳴った。二人はそっと扉に近寄り、少しだけ開き外を覗く。
治郎兵衛が立っていた。
「神様、これはトメの櫛です。どうか、どうか彼女を返してください。何年も思い続けた大切な女房なんです。よろしくお願いします」
治郎兵衛は両手をこすり合わせて熱心に祈っている。彼の様子は到底女房に手をあげるようには見えず、申助は可哀想に思ってしまったのだった。
犬神も猿神も区分としては土地神である。土地神は氏神ともいい、その土地に住む住民、氏子たちに祀り上げてもらう地域密着型の神である。氏子の数や信仰の強さが神々の健康に結びついているからして氏子の願いは聞き入れたくなるのだ。
治郎兵衛の姿が見えなくなった事を確認してから二人は外に出る。戌二は櫛を手に取って匂いを嗅いだ。
「辿れそうか?」
「わかんねぇ。でも、やってみる」
申助は転変して猿の姿になった。こうすると戌二と同等の嗅覚が手に入る。大切なものであるから猿の姿になってもお守り袋は手放さない。引き続き首にかけておいた。
戌二は風呂敷に着替えを入れ首に巻くと、狼の姿になった。彼の風呂敷の中に櫛も追加する。
「よし! 探しに出るぞ!」
久しぶりの猿の姿は解放感がある。嗅覚、体力が野生の猿と同じくらい手に入る。思い切り駆け抜ける爽快感は獣の姿ならではだった。
戌二も頷いて鳥居の外に出る。トメの匂いはまったく感じなかった。けれど、神域を出た途端、かわりに生臭い香りが鼻孔に届いた。申助は戌二を振り返る。
「なんだこの匂い。前からあったのか?」
彼は首を横に振った。
「いや、少なくとも昨日はなかった。まだ新しいな」
「これさ……、人が死んだ時の匂いだよな」
嫌な予感がしながらも申助は匂いの強くなる方向へと歩を進める。戌二は何も言わなかった。
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