第5話 戌二は一生貴方を愛することでしょう

 嫁入り当日、申助は供として五柱の猿神を連れて旅立った。歩いて行きたいと主張したが、それでは猿神族の面子が立たないと申江に諭され牛車が用意された。なら供を増やしてほしいところだったが、犬神族との協議の結果、五柱までと定められてしまっているようだった。


 二日ほど牛車に乗り、戌二達のいる犬神族の屋敷に到着した。車の中ではただ座っているだけで暇だったので、遠くに屋敷の屋根が見えた時には救われた心地すらした。


 犬神族の屋敷は森を分け入った先にあった。鳥居を潜り抜けると人間には入る事が許されていない神域に入る。

 そこは人間の世界とは似て非なる場所だった。神域には杉の木が整列して植えられており、中央の石造りの道を進んだ奥に立派な黒塗りの門が見えた。武士の邸宅のような構えの家は広く、猿神族の本家と比較しても引けを取らない。

 門番に嫁が到着したと伴の者が告げると、すぐに召し使いと戌太郎が出てきて申助達一行を歓迎した。


「これはこれは、猿神族二番目の姫君、申代様。よくぞ遠いところをおいでくださいました」


 にっこりと戌太郎は笑う。彼を見たのは申助が負けた試合の日以来だったが、相変わらず底の見えない笑みをたたえていた。彼は次期当主であるというのにも関わらず物腰が穏やかで腰が低い。武士よりも商人に気質が近いようだった。

 彼の恵比須顔が申助を見て真顔になる。


「おや? 匂いが申助にとても似ていますね」


 ぎくり。 

 申助は唾液を飲み込む。さすが犬神族の嗅覚だ、と内心で舌を巻いた。


「姉と弟ですから」


 ホホ、と出来るだけおしとやかに見えるように申助は笑う。一応来る途中でお香により匂いを新たに付けたのだが、それでも戌太郎は申助の匂いを嗅ぎあてたのだろう。  


「なるほど。確かに、申姫とあなたも匂いが似ている気はします。それにしても、こんなに似るものなのですね」


 戌太郎はふたたび笑顔に戻り踵を返して案内を始めた。

 とりあえず第一関門は突破したらしい。ホッと申助は安堵した。

 門を抜け、砂利の敷き詰められた庭にかかる石造りの小道を歩いていると、庭の隅のほうに見慣れない黒い袴を着た集団が叩頭していた。隣に琵琶が置かれているところから推察するに、旅芸人の一団なのだろう。  


「あの方々は?」


 申助は小首をかしげて目で集団を示す。戌太郎が笑顔で答えた


「彼らはここのところ京の街で人気の旅芸人です。幻術をかけて祝いの為に来てもらいました。我々犬神族は今日から三日三晩婚礼の祭りを行います。そこで楽器を演奏したり、物語を語っていただいたりするのです」


「三日も!?」


 申助は目を丸くする。猿神族の場合、長くても半日で終わらせてしまう。


「はい。我々犬神族は一度夫婦になると一生を添い遂げます。妾や側室は取りませんし、不倫もしません。ですので、婚礼も一生に一度きりの事と考え三日間お祝いをするのです」


 たらり、と背中に冷や汗が伝った。

 まさかこれで「実は偽物でした。本当は申助です」などと言おうものならどうなるかわかったものではない。


「けれど、私達猿神族と犬神族では子供が生まれません。戌二様は側室を取られたほうがよろしいのでは……?」


「まさか。戌二は一生貴方を愛することでしょう。心配なされますな」


 猿神族の常識では離婚も結婚も何回もする。妾や側室に相当する立場の男は複数いて当たり前だ。なんなら結婚をせずに子種だけをもらうこともある。それくらい結婚は軽いものだった。


 常識が違う。


 申助はごくりと唾液を嚥下する。こうなればもう何としても戌二と番う前に事情を説明し、土下座し、側室をもらってもらわなければ。

 そんな事を考えていると、控室に連れて行かれ、婚姻の準備を整えるようにと告げ、戌太郎は退出した。申助は伴の猿神達に白無垢を着せられ、化粧を施された。鏡で見る限り、完璧な花嫁の姿が出来上がった。

 そうして夜になり、婚姻の儀が執り行われる事となった。

 






 申助が式場に到着すると、すでに戌二は袴羽織を着た姿で婿の席に座っていた。彼は相変わらず凪いだ湖面のような涼しい顔をして酒を飲んでいる。

 それでも嫁が来たと告げられると視線を寄越してきた。見るなと念じたのに、彼は申助を凝視している。ピクピクと鼻も動いていた。戌太郎と同様に怪しんでいるのだろう。


 視線を合わせられないまま、嫁側の席につく。未だ戌二は何かを言いたそうに申助を見ていたが、結局何も言う事はなかった。 戌太郎が二人の前に立ち、祝詞を唱え始める。三々九度の盃を交わし、晴れて夫婦の契りの儀が執り行われた。


 祭りの間、戌二は嫁に話しかけることはせずにひたすらお祝いの為に訪れた神々や妖怪の相手をしていたし、申助も同様だった。時折見られているのは感じていたが、次から次へと祝いの言葉をかけられ、それどころではない。申助も横目で戌二を見る。


 ぼさぼさの髪を後ろで結んでおり、着流しを雑に纏っただけの姿しか見てこなかったから、正装がこんなに凛々しい男だとは思わなかった。実際、黙ってさえいれば彼は美人なのだ。


 バレませんように。そして幼馴染のよしみで協力してくれますように。普段は会えば喧嘩ばかりしているというのに、そんな都合のいい事をひたすら祈っていると、先ほどの旅芸人たちが芸を披露し始める。

 能に始まり、歌に踊り、物語を語って聞かせてくれた。


 物語は女性が真実の愛に目覚め、結婚の約束をしていた男の元から逃げて本当に愛する男性の元へと向かう話で、娯楽作品として今まで聞いたどんなものよりも面白かった。それが盲目の男により琵琶を奏でながら語られるのである。


 申助も気が付いたら夢中になって聞き、二人が幸せに過ごしました、と終わった時には満足して手を叩いていた。

 しかし、結婚式でする話ではない。戌太郎が途中から急かして早めに終わらせようとしていて申助は残念に思ったのだった。







 最初は三日間も祭りが行われるのは長いと思っていたが、間に休みが挟まれつつも、魅力的な催しが次々に行われたため、あっという間に時間が過ぎていった。


 式の間、夫婦は話すことを許されておらず三日後にようやく言葉を交わすのが犬神族の婚姻のしきたりだった。なので、申助と戌二が会話出来るのは床入り直前と聞いて、申助は心の中で大変に焦った。


 教えてくれたのは、戌二の世話係でキヌという名前の女性だった。かつては乳母として戌二を育て、奉公から帰ってきたら世話係として戌二の身の回りの面倒を見ているという。背は申助の胸あたりで、笑いジワが目のキワに出来ているものの、可愛らしい雰囲気があった。頭から白い狼の耳が生えており、彼女も犬神の一族なのだと察することが出来る。


 風呂を終え、襦袢姿で出てきた申助の前に現れた彼女は戌二の部屋へと案内をすると言い、申助についてくるようにと促した。


「戌二様はちょっと、ほんとうに、ほんのちょっとだけ口下手なお方なんですよ」


 彼女は弁明するかのようにそう語る。

 初夏の夜の空気は涼しく、火照った肌に心地がいい。廊下は庭に面しており、よく手入れされた松やツツジの植え込みが一望出来た。申助はキヌの背中を見つめながら彼女の後ろを歩く。


「本当は情に厚く心の優しいお方なんです。なんでも困ったことがあればおっしゃってください。きっとあの方なら親身になってお話を聞いてくださると思います。もちろんこの婆めもです」


 婆とはいっても人間の年で四十歳くらいの彼女の顔に皺はあまりなく、肝っ玉母さんといった風情があった。

 彼女は申助が一つ尋ねると十も二十も話す。

 なるほど、こうやって育てられたから戌二はああも無口な性格に育ったのだろうな、と彼女には悪いが思ってしまった。


「では、戌二様はもうお待ちになっております。この私めもこの障子の外で見張っておりますので、安心して身をお任せなさってください」


「え!?」


 思わず大声を出す。彼女は初夜を無事に遂行出来たかどうかを聞き届けるのだという。

 キヌはコロコロと笑った。


「ほほ、確かに緊張なさることでしょう。ですが、犬神族の花嫁は皆通ってきた道です。恥ずかしいとお思いでしょうが、どうか堪忍なさってください」


「あ……、その……」


 顔に熱が集まる。

 こうして申助はがんばってください、という言葉とともに部屋の中に入れられてしまった。

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