第3話「お主が女になって犬神族に嫁ぐのじゃ」

 勝負に負けた翌日、諸々の取り決めをしてきた猿神族当主申江が今後の動きについて話す為に申代さるよの部屋を訪ねてきた時、嫁ぐ予定の申代はさめざめとすすり泣きをしていた。障子を開けて申江が室内に入ってくる。中で姉に謝罪をし、慰めていた申助は母から婚姻の予定について具体的に聞かされ、ついに不安が溢れ出してしまった。


「絶対に嫌です! 認めません!」


 だん、と申助は両手で床板を叩く。申江は困ったように頭を抱えた。


「認めないと言っても、勝負に負けたのはお前であろう?」


「それはそうですけれども!」


 悔しくて申助は地団太を踏む。申助はもう十八年生きている。神としては子供だが、人間基準で言うならば大人である。いい大人のする地団太は見苦しい以外の何物でもなかった。


「姉上をあの陰険で根暗でいいところなんて一つもない冷血駄犬に嫁がせるなんて絶対に嫌です!」


「そうは言ってものう……」


 ぽりぽりと申江は頬をかく。彼女はもう齢五十を超えた大猿神である。


「物事の道理を曲げてしまえば後々困る事になるからのう……」


 申江は腕を組み娘と息子の泣く姿を眺める。

 犬神族に嫁ぐ事は人質ならぬ神質として今後生きていけと言われているに等しい。それをわかっている申代は昨日からずっと涙で袖を濡らしていた。

 更に彼女は跡取りの一人なのだ。 猿神族は母系社会である。跡取りは女性であるし、誰の子供か、というのは誰の腹から生まれたかという意味である。

 落ち続ける姉の美しい涙を見つめる申助に申江が思いついたというように手を叩き、告げた。


「ならば申助、お主が代わりに嫁入りするか?」


「……は?」


 申助は目を丸くする。何を言っているのだ、この母は。考えていた事が顔に出ていたのだろう。申江は顔を歪ませた。


「そんな顔をするでない。いいか。遠い昔に我が弟が作った護符がある。これを持つと周囲は持ち主の体を異性の体と認識するようになるのじゃ」


彼女の弟は西の方へと婿に行ったと昔聞かされた。幼い頃に一度会っただけだったが、猿神族の男らしく、優しく、自分の主張をしない男だった。よく申江にねだられ、悪戯をするのに便利な器具や護符を作らされており、その一環として異性の姿に見える護符を開発したのだとか。


「……まさか」


 嫌な予感がする。母は大仰に頷いた。


「そうじゃ。それで、お主が女になって犬神族に嫁ぐのじゃ」


「はぁ!?」


「幸い、申代は外に出るのが好きではないからの。犬神族の奴らは申代の顔は知らんじゃろう」


「……いや、でも」


 申助は母の思いつきに異を唱えようとする。そんな彼の肩を母は強く掴んだ。


「いいか、申助。子供の頃から言っておるじゃろう? 猿神族の男は強くあらねばならぬ。そして、女性を助け守る存在でなければならぬ」


 ぐ、と言葉に詰まる。

 確かに子供の頃からずっとそう言われてきた。申助自身も強く、女性を守れる存在であるようにと努めてきた。


「けれど、俺も戌二も男です。婚姻してまぐわって気を交わさなければならないというのであれば、出来ないのでは……」


 婚姻するだけであれば申代もここまで泣きはしないだろう。その後、体を繋げ、体液を交わし、気を交流させなければならないのだ。同族同士であればまだしも、他族の神が相手となると気弱な彼女からすると恐ろしいのだ。


「男同士でもまぐわえるじゃろう」


 猿神族でも男色趣味は存在する。発情期は女とも交わるが、普段は男とまぐわうという趣向は申助も聞いたことがあった。

 けれど、戌二が相手となると冗談ではないと思う。


「絶対に嫌です」


 全力で拒絶すると、申江は悲しそうな顔をした。


「そうか……。絶対に嫌か。では、お主が絶対に嫌な行為を申代に押し付けてもいいと、そう言うのじゃな?」


 そう言われると弱い。申助は言葉に詰まった。

 申代は二人の会話をぽかんとした顔で見ている。姉の潤んだ瞳に視線を移した。昔から男は女性のために身を犠牲にする事がかっこいいと教育されてきたので、姉の涙だけで何でも言うことを聞かなくては、と思ってしまうのだった。

 それに、と母が続ける。


「相手が男、しかもお前と知ったら戌二の奴も手を出す事はないじゃろう。もともと形だけの婚姻じゃ。体液を交わせばいいというのであれば接吻だけでもよかろう」


 接吻だけでも十分嫌だ。

 けれど、嫁入りをし、戌二と二人きりになった状態で正体をバラせば、あの戌二も欲情などするはずがないのではないか。偽物の嫁を掴まされる戌二は可哀想だが、妾なり側室なりを迎えればいいのだ。どうせ犬神族と猿神族では子供が生まれない。子供が必要ならば第二の嫁を迎え入れるだろう。

 それで姉の貞操が守られるのならば。

 ゴクリ、と申助は唾を飲む。

 覚悟の決まった顔を見て、母は満面の笑顔で彼の肩をぽん、と叩いた。

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