07-02:エライザの戦い

 暗黒の城はシャリーたちを拒絶することはなかった。大荒れの海の中を渡る橋を、飛沫しぶきの一つも浴びもせずに歩いていく。結果として妨害も歓迎もなく、最初の広間に到達した。


「サブラスは私たちに気が付いているはずですよぉ」


 シャリーはのんびりとした口調で言った。ケインたちが脱力するほどに場違いな声音だった。


「魔神という割には、話のわかる方のようですねぇ」

「それにしたって、エレン神やヴラド・エール神に恨みを抱いているヤツだろ? 敵じゃん」


 ガランとした広間にシャリーとケインの声が反響する。アディスは無言で周囲を警戒していた。


「シャリー、まじで頼むぜ。お前のアレだけが頼りなんだ」

「この前とおんなじ感じでいいのかなぁ?」

「めっちゃ心配だ……」


 げんなんりとそう呟いてから、「そういえばさ」とケインがアディスを振り返る。


「ヴラド・エール神が出てくればちゃっちゃと片付くんじゃねって気がするんだけど、どうして出てこないんだ? クレスティアと再会する最高のチャンスじゃん? この前出てきてんだから、難しい話ってわけじゃぁねーだろ?」

「わかりませんよ、神様の考えることなんて。でもこの前のが大いなる例外なんじゃないですか?」


 アディスが奥の扉を睨みながら、無愛想に答えた。


「ヴラド・エール神は永遠の探索者なんて呼ばれてますが、紫龍暦以後の人間の歴史には、もはや関与していません。記録上。人間への関心を失ったのか、あるいは、神に頼らない人間社会を夢見たのか」

「後者ならまだいいんですけどねぇ」


 シャリーは言いながら、アディスの右手をつついた。アディスは頷く。


「見られてますね」

「サブラスか、それともギラ騎士団か、ですねぇ」

「ま、いいじゃん。どうせ俺らは連中にとっちゃ雑魚って感じだし?」


 ケインは気楽に言い放つと、その扉を慎重に開けた。


 その途端、三人の身体を浮遊感が包み込む。


「アディス、何かしたのか?」


 どこまでも上がっているような、それとも落ちているような。胃の中が激しくかき回されるような感覚でもある。ケインの問には、アディスは大きく首を振る。


「僕には転移魔法なんて使えませんよ」

「ふたりとも、静かにぃ」


 シャリーが口に人差し指を当てたその時、不意にその不気味な感覚が消え失せた。


 三人は浮かんでいるようだった。眼下にエライザとアリアがいて、エライザはセリアを肩にかついでいた。エライザはまるで水晶でできているかのような透明感の甲冑を身に着け、青紫のマントが歩みに合わせて揺れていた。


「……仕留め損ねたというのか?」

「ええ、まったく……」


 二人の声がケインたちにも届く。


「あんなタイミングで邪魔が入るとは思わなかったわ」

「いいさ。そもそもあの結界に侵入できる人物は、私の知る限り一人しかいない」

「どうするおつもりかしら」

「なにかお考えのあってのこと。我々は従う他になかろう」

「……そうね」


 釈然としない様子のセリアに、エライザは苦笑を見せる。


「シャリーの言葉が効いたのだろう。感情に流されるのは良くないところとは思うが、まぁ、それがあの方の美徳でもある」

「そう、だけど」


 二人はその部屋の中央にたどり着いた。例のが整列している部屋だ。


「エルド! サブラス! クレスティア様をお連れしたぞ!」


 エライザが声を張り上げると、筒の一つから蒸気が噴出した。


「あれって……」


 ケインがシャリーを見る。シャリーは頷いた。そこには例の暗黒甲冑が姿を見せていた。面頬は上げられており、その中に見える顔はあの大魔導のものだ。その目は水色に輝いていて、全身から魔力が吹き上げている。魔力をほとんど持たないケインにでも、それは知覚できるほどの濃度を持っていた。


『お待ちしておりましたよ、エライザ様』

「待たせたつもりはない」


 エライザは肩からセレナを下ろした。セレナは未だ昏々こんこんと眠り続けている。


 眠らせておいて正解だったとシャリーは思った。ここで下手に動かれると、状況が読み切れなくなってしまう。


『おや、そうでしたか。私はおかげさまで随分と力を得られましたよ』

「自分に処置をしたと……。本当にするとは」


 アリアが目を見開く。エルドは「ええ」と胸を張る。


『私は今、この上なく満ち足りていますよ、エライザ様、アリア様。魔神の生命力に満たされ、そのうえ、その叡智まで手にした。私は今や、完全なる人間。いわば、人間の究極体となったのです』

「ふむ」 


 エライザは顎に手をやって、エルドを睨む。


「どうやったのかも、そして貴様がどうなったのかについても関心はないが」


 そして剣を抜く。


「最初からそれが目的だったと。そういうわけか」

『ええ、その通りです。ディンケルに目を付けていた私の慧眼に、私は自ら感謝しているところです』


 エルドはけたたましく甲冑から音を立てさせつつ、エライザに近寄る。エルドの手には巨大な剣があった。エライザの剣も刃渡り一メートル半を超える常識外れの両手剣だったが、エルドのそれはその倍はあった。誰が何のために作ったのかと問いたくなるような代物だ。


「それで。量産型のサブラスは?」

『まだそんな物が必要なんですか?』

「あたりまえだ」

『やれやれ……』


 エルドは左手を振り上げた。その途端、ケインたちの視界が真っ白に染まる。部屋の外縁に並ぶ筒たちから、一斉に蒸気が噴き出したためだ。


『私はもうこれらの機械に用はありません。ただし――』


 空間が歪む。エライザとセリアの周囲に爆発が起こる。


 エライザとセリアの周囲に激しい爆発が起きる。


「舐められたものだ!」


 エライザはエルドの放ってきたそれらの魔法を次々と弾き返し、無効化し、剣を真横に振るった。殲撃の衝撃波がエルドの甲冑を直撃する。普通ならどんな堅牢な防御を持っていようが一撃で粉砕するエライザの必殺の一撃である。しかし、手加減抜きで放たれたその一撃を受けてでさえ、エルドは微動だにしなかった。


「効いてない……!?」


 さすがのエライザも、その顔に僅かな動揺を浮かべる。未だかつてこれほどの防御力を有した相手とまみえたことはない。


「エライザ!」


 アリアの警告とほぼ同時に、エライザは後ろに跳んでいた。床の石材がえぐれるほどの衝撃波がエライザに迫る。エライザは殲撃でそれを打ち消したが、その時には剣を振りかぶったエルドが目の前に現れていた。


「ちっ!」


 エライザは剣を振り抜くと、そのまま空中で一回転する。左右どちらに跳んでも、そこにはエルドの置いた魔法地雷があった。踏み抜けばエライザとて無事では済まされない。結果として危機を回避したエライザだったが、アリアを背にかばっている状態になってしまった今、これ以上の防戦は許されなかった。


「しかし――」


 無制御が二十体……。蒸気の向こうに現れた暗黒甲冑は、揃ってエライザの方を向いている。半包囲されている上に、唯一の出口もエルドによって塞がれている。


『私は自らの力を証明したいのですよ。そのためには、あなたがたはまさにうってつけ! ディンケルの牙の五人、その筆頭格お二人を同時に捕らえ、拷問し、惨殺する。血湧き肉躍る話ではありませんか?』

「貴様の悪趣味に付き合ってやる義理はないな」


 エライザが言ったその直後に、暗黒甲冑の騎士たちが一斉に殲撃を放ってきた。


「エライザ!」


 アリアの結界が一瞬で弾き消される。エライザは頬に走った切り傷をなぞりながら、両手で剣を構え直す。


「まったく、やってくれるな」


 エライザの両手剣の刃が、赤く輝き始める――。

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