04-06:暗転

 シャリーの目の前で、セレナが声にならない悲鳴を上げて崩れ落ちた。


「セレ姉!」


 ケインが咄嗟に黒曜石の魔神像とセレナの間に身体を滑り込ませて、立ちはだかる。


「セレ姉に何をした!」

『我と我が眷属の呪いを……!』


 魔神が動き始めた。黒曜石の外装を割って、生身のそれが姿を見せる。青白い肌に四枚の黒い翼を生やした完璧な造形の性別不詳の巨人である。その身の丈は、シャリーの三倍以上はある。


「魔石を求めているのは私なのですから、呪いなら私にかけなさい!」

『貴様になど用はない。クレスティアを導くための餌になってもらったに過ぎぬのだからな』

「わたしが、クレスティア様だなどと、とんだ世迷い言、とんだ不敬……!」


 アディスに支えられながら、セレナが呻いた。


『はははは! クルースの絶望が目に浮かぶわ! クレスティア、貴様の魂を紫龍セレスの奥深くに沈めてくれようぞ!』


 翼がはためき、魔神サブラスがふわりと舞い上がる。黒い羽が何枚か、牡丹雪のように舞い落ちる。


「アディス、クルースって誰だっけ」

「ヴラド・エール神のかつての名前ですよ……」


 こんな状況においても好奇心を殺されないケインに、アディスは少し眩暈めまいを覚えた。


 そうこうしているうちに魔神は両手を祈るように組み合わせ、部屋の中央、天井付近まで舞い上がった。到底手の届くような高さではなかった。ケインはそれを見上げながらアディスに尋ねる。


「つまりこれって、神様の色恋沙汰に巻き込まれたとかいう話?」

「どっちかというと逆恨み事件なんでしょうけど」


 アディスは障壁を展開する。四人を守る半透明のフィールドに、幾本もの光の槍が突き刺さる。


「うわわっ!?」


 渾身の魔法障壁が一撃で破壊され、中にいた四人は少なくないダメージを受けてしまう。


「こりゃ、まずい、な!」


 痛む身体に鞭打って、ケインは跳ね起きる。全身を同時に殴られたような痛みと衝撃があった。息をすると胸が痛む。


「このままじゃ一方的にやられるぞ、アディス、セレ姉」

「不埒な魔神め!」


 セレナが声を張った。


「わたしを辱めるために、我々をここに呼び寄せたか! なればこの三人はもはや用済み! 呪いをかけたくばかけるがいい。だが!」

『はははは! その自己犠牲の心意気! まさにクレスティアのそれよ!』

「だから、わたしはクレスティア様などではない! いい加減にしろ!」

『貴様はまぎれもなくクレスティアよ! 我にははっきりと見えるのだ!』


 魔神は高笑いと共に、その青白い腕をセレナに向けて伸ばした。


「ぐっ!?」


 セレナがる。シャリーが駆け寄って手を差し伸べようとしたが、それは間一髪、アディスによって止められる。


「ダメです、セレナに触れては」

「でも……!」

「魔力が濃すぎる! 触れたらたいへんなことに――」

「っるせぇよ! 黙って見てられっか!」


 ケインはアディスを突き飛ばすようにして、セレナの元へと辿たどり着く。ケインは歯を食いしばってセレナを抱きかかえ、離脱しようと背を向ける。そこに魔神が光の弾を送り込んでくる。


「ケイン!」


 アディスの魔法障壁がかろうじて間に合った。だが、魔神の力を相殺するには到底足りない障壁であり、ケインはセレナもろとも床を転がった。


「ないよりはマシ、か」


 アディスは再び集中して障壁を展開する。全員を守れる能力はない。今はセレナとケインだけを集中して守るべきだと判断した。


『愚かなあがきよ、有象無象の分際で』

「っるせぇ!」


 かなりの深手を負ってはいたが、ケインはセレナを抱いたまま気丈に啖呵を切った。


「一寸の虫にも五分の魂っつーことわざがあるってんだよ!」

『ならばムシケラの如く死ぬがよい』

「死なねぇよ、こんちくしょうがぁ!」


 ケインが吠える。サブラスの魔法が炸裂する。アディスが全力で展開した障壁がなければ今のでケインは黒焦げになっていてもおかしくはなかった。しかし今ので障壁は消え、アディスの魔力的に二度とは展開できない。


「魔神サブラス!」

 

 シャリーが毅然とその名を呼んだ。サブラスは興味深げに暗黒の瞳を向ける。


「魔石をよこしなさい! この人がクレスティア様であろうとなんだろうと、今はただの人間。あなたのような魔神が直接手を下す必要などない存在のはず!」

『その魂を我は求めているに過ぎん。弱く儚い身体に囚われている今こそ』

「さにあらば、あなたはクレスティア様に手が出せないと」


 シャリーの言葉に、魔神は一瞬動きを止めた。そしてゆっくりと降りてきて、シャリーの顔を覗き込んだ。


『貴様は無制御でもないくせに、よくも我に斯様かような口をきく。怖いもの知らずなのか、はたまたただの阿呆なのか』

「私は仲間をあなたに渡すことはしない。そして魔石も頂きます」

『はは! 強欲な人間ぞ。そもそも我が貴様らを生きて帰すとでも思っているのか』


 サブラスの右手が掲げられ、そこに光が集まりだす。


「あなたは魔神でしょう、サブラス。そして私たちは人としての頸木くびきを外された人類――無制御でもない。あなたがやろうと思えば一撃で私たちは消し飛ぶでしょう。しかし、それをしたところであなたは何が満たせますか」

『ははははは!』


 サブラスはけたたましく笑った。


『良き! 雑魚の中にもこのような者がいるのだな! 故にこの次元セカイは興味深し』


 そして顔をシャリーに近付け、右手の指を立てた。


『約束を果たしてやろうと思うが、はてさて、邪魔が入ったぞ?』

「邪魔?」


 大勢の気配を感じて、シャリーは後ろを振り返った。部屋の入口付近に、黒いローブの集団が出現していた。廊下を歩いてきたのか転移魔法を使ったのかはわからない。だが、とにかく十人以上のローブ姿の人間たちがそこにいた。


『娘よ、再び此処ここに来るが良い』

「サブラス!」

『我は誇り高き魔神。我は約束を違えぬ、されど』


 サブラスはケインの目の前に瞬間転移すると、ケインを弾き飛ばしてセレナを捕まえた。


『この娘はもらっておく』

「ふざけんなっ!」


 ケインが力の限りに怒鳴る。だが、その声が消える前に、黒ローブの集団が魔法を完成させていた。白紫色の稲妻が、一斉に魔神に襲いかかる。


『出直すが良いぞ、小娘ども』


 魔神は空いている右手をシャリーたちに向けて広げた。


「セレ姉――!」


 ケインは必死に手を伸ばす。


 だがそれも虚しく、三人の視界は暗転した。

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