04: 急転直下

04-01:シャリーの決意

 あれ? ここはどこだっけ?


 シャリーは目を開けてしばし考えた。部屋はまだ薄暗い。腹時計的には間もなく日の出の頃だ。とりあえず水でも飲もうかと身体を起こそうとしたが、全身に何かがのしかかっていて動けない。


 ああ、私、抱き枕にされているんだ。


 そこでシャリーは一気に覚醒した。


 昨夜は遅くまでセレナによるシャリーに対する大尋問大会が行われたのだ。家族構成から旅の目的、途上の出来事、ケインたちとの出会いに至るまで、かなりプライベートな領域に至るまで根掘り葉掘り聞き出された。そしてまた、セレナの旺盛な好奇心により、錬金術そのものに関しても深夜に至るまでほとんど休みなしで質問され続けた。途中でエライザが用事を言いつけに来なかったら、きっと朝まで解放されていなかっただろう。そういう意味で、シャリーはエライザに深く感謝した。


 シャリーは自分の身体をがっちりとホールドしているセレナのよく引き締まった両手足をかなり強引に引き剥がし、よいしょとベッドから降りた。そして白いお腹を出したまま爆睡しているセレナにタオルをかけてやってから、窓の方へと向かっていく。カーテンを開けると、空はほんの僅かに白み始めていた。未だに街は深く寝静まっている様子だったが、気の早い小鳥たちはもう飛び回り始めていた。空気もほんのり冷たく、夏のこの時期に於ける癒やしの時間だ。


 そこでシャリーは、と思い出した。


「セレナさん! セレナさん!」


 だらしない顔で眠っているセレナの肩をゆすり、何度か呼びかける。


「ふぁぁ?」

「セレナさん、早朝に出発するって言ってませんでした!?」

「ふぇ? もう! さっき食べたでしょぉ?」

「寝ぼけてないでください!」

「からあげたべたいれす……」

「私も食べたいですけど! っていや、ちがっ。そうじゃなくて!」


 完全無欠な神官に見えて、なんていう寝起きの悪さ!


 シャリーは日中のセレナの毅然たる態度を見ていたものだから、その落差に大いに驚いた。カッコイイなんていう感想を一瞬でも持ってしまった以上、その幻想を粉微塵に粉砕しようとするセレナを許せないとすら思った。


「セレナ、さーん! おおおおおおおおおい!」

「……んぁ?」


 しばらくの格闘の末、セレナはようやく目を開けた。だが焦点が合っていない。寝癖もなかなかに刺激的である。


「セレナさん、おはようございますぅ」

「え、だれ?」

「シャ、シャリーです!」

「あっ……」


 事ここに至って、やっとでセレナは覚醒した。


「え、あっ、やっば……!」


 セレナは上半身を起こしたが、その直後、枕に逆戻りした。


「セレナさん、低血圧……?」

「低血圧というのが何なのかは知らないが、多分そうだ」


 セレナはそれでも果敢にベッドから這い出し、昨夜のうちにテーブルに用意しておいたパンとハム、ピクルスの類を皿に盛ろうとした。


「シャリーは自分でやってくれ。わたしは自分で精一杯だ」

「セレナさんの分もよそいますよ」


 シャリーは皿を取り上げると、適当に見繕って盛り付けた。セレナは「ありがとう」と素直に礼を言うと、超スローモーションな動作でパンを口に運んだ。その間にシャリーは部屋に置いてあった水出しハーブティーを二つのコップに注いだ。


「食べたらすぐ出ないと。荷物まとめなばー……」


 まったく、エライザ様ったら急に――などとぶちぶちと言いながら、慌ただしく朝食を食べ終えたセレナは衣服などを大きな旅行用カバンに詰め込み始める。


「いきなりメレニの王都まで行って来い、なんて言われるんですね。神官さんも大変ですねぇ」

「どんなに早くても一ヶ月は戻ってこられないと思う」


 口を尖らせてセレナは言う。メレニ王都まで全速力一直線で向かったとしても半月以上はかかる。用事自体はたいしたものではないとはいえ、往復だけで一ヶ月コースだ。


「わたしも心配なのだが。魔神のこととか」

「ケインのこととか?」

「あいつはさ、わたしがいないととことんダメなヤツだからな」


 何の疑いもなく発せられたその言葉に、シャリーは思わずクスクスと笑った。


「何がおかしい、ガリ子」

「好きなんですねぇ」

「はぁ?」


 剣呑な声を発するセレナ。だが、シャリーはニコニコと微笑んでいる。


「わ、わたしはあいつの保護者だぞ。あのバカはわたしがちゃんと見ていてやらないと、本当にどうしようもないから」

「あー、はいはい」


 シャリーのあからさまに適当な相槌に、セレナは目を三角にして振り返る。


「わたしはエレン神に全てを捧げているのだから!」

「えー、でも、エレン神は気まぐれの女神様じゃないですかぁ。そこまで意固地にならなくっても、別に怒りはしませんって」


 シャリーは涼し気な顔でそう言って、自分のカバンの中からガラスの小瓶を五つばかり取り出した。


「はい、どうぞ」

「なんだ、これは。水か?」

「傷薬です。お守りがわりにどうぞ」

「霊薬、か?」


 セレナは小瓶を一つ取り、朝日にかざしてみせる。


「霊薬なんて初めて持ったけど。高価なものなんじゃないか?」

「錬金術師ギルド的には、どれもこれも高値をつけることになっていますけどねぇ」


 シャリーは首を振る。


「材料費なんて、魔石を使ったりしないものなら、せいぜいパン一斤程度ですよ」

「ええっ?」

「もちろん、材料を薬にする能力は希少ですし、それも加味すれば材料費の百倍、あるいは二百倍、物によっては数万倍の値段が付いても……という言説は認めます。私たちにも生活がありますし、豊かな生活を目指して錬金術の研鑽に励む動機にもなるわけですから」

「なるほど、人件費が乗ってるのか」

「ええ。でも、その傷薬程度でも、たとえば骨まで切断されていないくらいの傷ならものの数分で完治します。作るのにかかる時間は一本十五分程度。材料費はそこらへんに落ちている石がメインですから、ほぼゼロ。しかし一般市民にとっては高値の花。霊薬があれば確実に救える命も、高価であり、それゆえに一部の人に独占されてしまっている現実があるために、救えない」


 シャリーの熱弁に、セレナは「お、おう」と圧倒されている。


「今の錬金術師ギルドのやり方じゃ、本当に助かりたい人を助けられない。多くの人の苦しみを取り去る事ができるのに、利権のためにそれをさせない。一部の金持ちとの命の格差が大き過ぎる」


 シャリーはカバンの中から親指の半分程の大きさの石を一つ取り出した。


「霊薬の主な原料です」

「石?」

「です。落ちてる石です」

「本当にそれが原料?」


 訝しむセレナを見つつ、シャリーはコップの中に水を汲み、石を放り込んだ。


 そして手をかざして目を閉じる。


「おしまい。ちょっと飲んでみてください」

「ただの石入の水なんだが?」

「元気になりますよ」

「気のせいなんじゃ?」

「気のせいだったら私、今頃死んでますよぉ」


 シャリーに言われ、セレナはちびちびと口をつけ、「うへ」と舌を出した。


「なんかすごく苦い」

「それが霊薬特有の味なんですよ」

「不味いんだな……」


 セレナはそう言うと、残りの水を一気にあおった。


「苦味はすぐに抜けます。で、何か実感あります?」

「うーん? どこも悪くなかったからな」

「頭は?」

「そういえば、なんかスッキリしたような……?」


 未だにすんなりとは信じられないセレナである。


「夜に使うと眠れなくなるのでわかりやすいんですけどね」

「そうなんだ? そしたら毎晩使えば眠らなくても?」

「そうはいかないんですよ」


 シャリーは苦笑する。


「元気の前借り、なんて、私たちは言います。だから、その夜眠らなくて済んでも、次の日の昼間には体力が切れます」

「上手くはいかないものだな」

「しかし、こんな程度の霊薬でも、錬金術師ギルドは厳しく管理しています。今みたいに無料で振る舞ったことがわかったら、処罰されちゃいます。もっともそれも、五級、六級の錬金術師を守るためという大義名分はあります。ですが、この制度によって彼ら下級錬金術師たちは十分な生活を保障されてしまっているから、それ以上の進歩を目指そうという人はほとんど現れない。結果、霊薬の質は下がり、値段だけは上がっていく。そして私たち錬金術師は信用を失っていく」

「それをなんとかしたいと」

「はい」


 シャリーは頷く。


「そのためにはが必要なんです。二級、の称号が最低限。しかも待ったなし。私自身が話題になり得る今のうちしか、できることではないんです」


 だから焦って魔石を求めている、ということか。


 セレナは荷物をチェックしながら考え込む。


「エライザ様は昨夜あんなことを仰っていたが、いったいあんたに何をさせるつもりなんだろうな?」

「追って説明する、みたいなことを言われましたが」

「ま、エライザ様の深遠なお考えはわたしのような凡人には読み取れんか」


 セレナはカバンを軽く叩いて、立ち上がって伸びをした。


「あの方が間違えることなど無いさ」

「ですね」


 シャリーは「」と言いかけて、慌てて軌道修正した。今ここで火花を散らすのは不毛だとの判断からだった。

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