第2話 そして彼は彼女になった

 ふらふらと、夢遊病患者の様にベッドへ倒れこむ。


 どうやらいつの間にか家に帰って、ご飯を食べて、お風呂にも入ったらしい。


 数学の課題が出てたが手付かずだ。

 でもやる気がおきない。

 頭の中はぐるんぐるん。

 ちょっとでも考えようとしたら目を回しそうだ。


「ずっと好きだったっていったらどうする?」


 口に出して言ってみる。

 顔が火傷しそうなくらい真っ赤になるのがわかる。


 自分は?


 嫌いなわけじゃない。大好きに決まっている。

 ガサツで大雑把なあたしをいつもフォローしてくれる。

 当たり前のように隣で一緒に居て、むしろ居るのが当然で、風邪で休みの日なんて調子が狂ってしまう。

 世話を焼くのが大好きで、それにいつも甘えてばかりいて、お弁当まで作ってくれる。

 思春期になってからは部屋に来ることがあまりないので、今は部屋は散らかり気味だ。

 それでも部屋に来てくれた時には、呆れながらも片付けてくれた。


 あれ、もしかして晶って既に通い妻じゃ?


 ベッドから窓を見上げてみる。晶の部屋の屋根が見える。灯りはついていない。


「あきら、何してるんだろ……」


 窓の外の星を見ながら考える。

 あ、流れ星。

 明日どうすればいいだろうか?

  

 どうしよう? あたしはどう思っているんだろう?

 異性として見れるかと聞かれたらわからないとしか言えない。

 このままが関係が心地いいといえばいい。

 だから、とりあえずはこのままが良いって言うのが本音だ。


 これからも一緒に居るけれど、ガサツなところは大目に見てもらって、だらしないところもしょうがないなとフォローしてもらって、最終的には家に帰ったらごはんを作って待っていてほしいなと。

 ……嫁じゃん。

 完璧嫁じゃん。

 しかも昭和の時代のやつとかそんな感じの嫁じゃん!

 あーあーあーあーなんかもうこういう関係が長すぎて嫁にしか見えないじゃん!!


「なんだよーもー、大体軽口の延長上のような感じで言われても、なんかもーこう、その、うぅぅ~~~~っ!」


 そうなのだ。1人頭の中が忙しくて運動会状態になっているけれど、明確に何か言われたってわけじゃない。あの時はほんの冗談だったって言われたらそれまでである。

 だというのに、1人舞い上がったかのようにこの有様。


 ……アキラが、オトコの人が急に変わってしまう。


「おぇ、うぇぷ」


 昼間に感じたものと似た、黒いもやのようなものが胸を襲い吐き気を催す。

 何だろう、これ? もしかしてストレス?


「おのれあきらめ、ここまであたしを思い悩ませるのか…」


 なんだか一周回って腹が立ってきた。

 何故あたしがこんなにドキドキさせられなきゃならんのだ。


 とりあえず晶に会って、もう、なんか思いついたまま文句を言ってやろう。



  ◇  ◇  ◇  ◇



 その翌日。


 晶は学校に来なかった。


「うっふっふっふっふっふ」


 朝から気合と覚悟を決めてやってきたというのに空回りだった。決闘に挑む武士の心境だったと言ってもいい。

 死に化粧とばかりに普段はしないリップを塗って念入りに髪を梳かし、ガサツ女子が普段の普通女子並みに気合を入れたのだ。

 だから、ちょっと据わった目であやしげな声を出すのは勘弁してほしい。


 ちなみに母は夕飯の買い物に行ったら現代日本の路上で走ってる馬車を見かけました、くらいの物珍しいものを見る目で驚いていた。

 うん、あたしだってこんな自分に驚いてるよ。母の立場なら二度見もする。スマホでパシャパシャもするかもしれない。

 だけど『悪いもの食べたの? 今日はお休みする?』は、ないんじゃないかなっ!

 

 丁度昼休み、今日は晶がいないのでお弁当もない。


 電話もつながらず、メッセージも既読スルー。

 既読スルーはさすがにへこんだ。

 お腹の奥がぐつぐつする。


「お、おい、宮路!」


「なにっ?!」


 なので思いっきり喧嘩を売るかのような不機嫌な顔と声で返事してしまった。


 …… 


 沢村君である。

 ……うん、すっかり忘れてた。

 いや、忘れてたじゃ済まされない。

 昨日あたしは彼から逃げ出したのだ。


 あー……それなのにこの反応、あたしって最悪じゃない?


 うっ…………


「ご、ごめんなさい!!」


 よし、先手必勝。

 昨日の事も含め、まずは謝ってしまおう。 

 

「あ、いや、うん…………あぁ、そうか、うん、俺も悪かった」


 えっ……悪いのは逃げ出したあたしだよ。沢村君じゃない。

 そして今はそれどころじゃない。


「え……あ……あー……そうじゃないんだけど、色々あって……うー、ごめん!!」

「あ、そっか、うん、うん」

「これからも仲良くしてくれたらうれしいんだけど……」


 え、とか、あ、とか人の喋る言葉じゃない気もするけど、色々テンパってるのだ。察してくれると嬉しいな?

 そんなことを思いながら、仲直りの握手をイメージして右手を差し出してみる。


「…………」

「……これ、まだ俺にチャンスあると思っていいのかな」


 …………んっんー?! 握手が悪手になった?!


 握手して去っていく沢村君を見ていると肩をぽんぽんと叩かれる。

 

「都子……」


 物凄くいい笑顔でニヤニヤしているのは中学からの親友、江崎つかさちゃん。

 涼し気な切れ長の瞳に、生まれつき色素が薄いらしい赤茶けたつやっつやのショートボブ。思わず姉御! って言いたくなる感じの女の子だ。

 あたしがやるとガサツといわれる事も、つかさちゃんがやると女傑と賞賛される。

 この差は一体うごごごごご。


「沢村君と何かあったのかい? あったんだね?? さぁ話しなさい。聞いてあげるから!」


 いつもの様に芝居染みたような口調でずずい、と手を広げながら近寄ってくる。あれだ。肉食獣が大好物の獲物を前にした目だ。

 もしくは目の前でちらちら動く獲物を見かけた猫の目でもいい。今にも飛び掛からんとしてるやつだ。

 やばい、このままではあたしの精神力がもてあそばれてボロロンになってしまう。

 晶との闘いがあるのだ。

 消耗するのは避けたい。


「ん、ちょっとねーあはは。大したことないよ……?」

「んっんー?」


 誤魔化せるからなー誤魔化されてくれるよねー? 

 目線にそんな期待を込めてみる。


「うそ。今日はずっとなんか怪し気に『うっふっふ』とか言いながらのさっきのやりとり。何かあったとしか思えないね」

「………はっ! ほんとだ!」


 え、なに? あたし今日あからさまに変だった?!

 変な子とか周りに思われてないかな?!

 むーむーむー、それもこれも晶が悪い!


「もしかしてあのヘタレ、都子に思いを告白でもしたのかい?」

「ぶふぉっ!!」

「えっ…………? えっ?!?!?!?!」

「あはは……いやぁ、その……」


 ……なんか異常につかさちゃんが動揺してる。

 んんーっ??


「もしかして今日、くく、く楠園君が休んでるのと、かかか関係あったり?」

「それな! あきらがずっと無視してんだけど! どーすればいいっすかね?!」

「お、おぅ……!」


 今度はこちらがずずい、とつかさちゃんにがぶりよる。

 そうだ、晶だ。

 こう、ぐちゃぐちゃーってなってるあたしん中をどうにかしないとなのだ。


「い、家に行ったら会えるんじゃないかな? 家出したわけじゃなきゃ家には寝に帰るんだし」

「なるほど家か」


 こうしちゃ居られない。

 行こう。

 荷物を引っ掴んで立ち上がる。


「え、都子あんたどーすんのさ?!」

「お腹が痛くなったんで早退するっていっといて!」


 勢いよく教室の扉を開け、階段を3段飛ばしで駆け降りると、そのままマグロやイノシシもかくやというダッシュで校門を飛び出していった。

 うん、田舎のおばあちゃんちで食べた牡丹鍋はおいしかった。

 山の鯨とか言ってたけど、どういう意味だろう?


「ちょ、ちょっと都子ーっ!」


 腹痛持ちがそんな勢いで走るかーっ! というつかさちゃんの声が聞こえた。気がした。



  ◇  ◇  ◇  ◇




 楠園晶は現在一人暮らし状態である。

 別に両親に問題があるわけじゃない。

 むしろラブラブだ。

 ラブラブすぎて父親が単身赴任って話になったとき、会社辞める辞めないの大騒ぎになったこともあった。

 現在母親は単身赴任先の父親のところにお世話しにいっているのである。

 しかし、長期間一人息子を残すことも気がかりにはなるのだろう。


 つまりどういうことか?

 長年にわたって交流のある我が宮路家には諸々のフォローお願いねと合鍵を渡されているのである。

 おそらく逆の立場でもうちの両親もそうするであろう。

 お隣さんとは家族ぐるみで仲良しさんなのだ。


「あきら、まってろよー!」


 気合を入れて合鍵でガチャガチャ。

 そうは言ったものの家にも居なかったら待つのはあたしの方かもしれない。

 その時は…まぁいい。晶の部屋でエロゲーでも探しながら待たせてもらおう。PCの履歴も見てやる。

 ドタドタドタと、はしたない音を立てて階段をあがる。

 晶だって男の子だ。そういうものに興味がないはずがない。うん、多分。弱みを握ってやるのだ。

 そう思いながら、ふんす、と鼻息も荒く晶の部屋の扉を開けた。


「…………みやこ……ちゃん?」


 腰まで伸びた絹糸のようなサラサラの長い髪が、憂いを帯びた儚げな小さな顔にかかっている。

 あり得ないくらい線の細い華奢な体に、不釣り合いな大きい胸が見覚えのあるぶかぶかの服からちらちらと見える。

 ベッドの上で呆然とした表情であひる座りしているのは、紛れもない美少女である。

 その顔立ちは非常に晶によく似てる。多分妹とかいたらこんな感じ。

 あたしを見つめるくりっとした大きな瞳は徐々に涙を浮かべ、こらえてくる。


「…………ボク、どうしよう……こんなんなっちゃった」


 …………


 ………………………………


「………………………………………………………………え?」




 学校にも新しいクラスにも慣れた高校2年の5月の半ば。


 16年一緒に過ごしてきた幼馴染は女の子になってしまっていた。

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