第42話

「秋山さん、これどういう事?」

「これはね、変格活用だから・・・。」


古典の授業中、次週の時間に振り向いてそう問う雪緒くんに解説をしてあげれば、なるほど!と目を輝かせる。


「秋山さん教えるの本当にうまいね。」

「そんなことないよ。雪緒くんの理解力が凄いんだと思う。」

「ううん。尊敬しちゃうなあ。」


そう言ってニコリと笑う。・・・眩しい、眩しくて目が潰れそう。


雪緒くんの隣の田淵さんが私に向かって親指を立てる。田淵さんは彼の横顔が好きなだけ眺められるからという理由で、もっと話せと指令を出してきたりする。なんだそれ。


クルッと前に向き直る前に、雪緒くんの視線が一瞬春原くんに移る。その瞬間、あ、まただ、と思った。


癖毛は今日もゆらゆらと揺れていて、相変わらずだなあと小さく笑ってしまう。少し時間たって、また雪緒くんが私に問題を問う。私の解説を聞きて頷きながら、その視線がまた春原くんに移ってすぐに戻る。前に向き直る瞬間も、ああまただ。


「秋山さん、よかったら今日の放課後勉強教えてくれないけど?」

「え・・・。」

「ほら、来週古典の小テストがあるでしょ。どうしてもわからない所がいくつかあって。」

「別にいいけど・・・。」


やった、と彼は小さく声を上げて、その視線がまた動いた。

・・・やっぱり。私に頼みごとをしながら、その視線はチラチラと隣の席に移る。ありがとう、という声も心なしかボリュームが上がって気がして、まるで春原くんの気を惹こうとしてるかのよう。


「・・・雪緒くん、って。」

「ん?」

「・・・ごめん、何でもない。」


不思議そうな顔のままの雪緒くんに、何でもないともう一度繰り返す。彼の言動や行動になんとも言えない違和感を感じるようになったのは少し前からで、でもその違和感がまだ何なのか分からなかった。





「秋山、これ。」


春原くんが何やらごそごそと鞄を漁って、取り出した本を私に手渡してくれる。受け取ってタイトルを見れば、私が好きな作家さんの最新作で。


「え!もう読んだの!?」

「うん。面白かったから、貸してあげる。」


教科書をカバンにしまいながら、秋山もその人好きでしょ。なんてサラッと言ってくれる。買おうかどうか迷ってた本。非常に嬉しい。


放課後の教室はもう人がまばらで、私もカバンに荷物を詰めて帰宅準備をする。

先に帰宅準備を終えた春原くんが何となく私を待ってくれてるのが分かって、さっさと詰め込んで彼の後を追った。


「あ、秋山さん!」


と、教室を出る直前。入れ替わりで入ってきたのは雪緒くん。

一緒にいる私と春原くんを交互に見て、彼は私の名前だけを呼ぶ。


「今さ、ちょっとだけ時間いいかな?」

「あ、でも今から帰るところで・・・。」

「ごめん少しだけでいいから。すごく困ってるんだ。」


そう言って雪緒くんは両手を合わせる。返答に困りながらも春原くんの方を見れば、彼は秋山がいいならいいんじゃない、といつもと変わらない様子で言う。


「・・・分かった。どうしたの?」

「ありがとう!助かる!ちょっと一緒に生徒会室に行ってほしくて・・・」

「生徒会室?」

「そう。生徒手帳を取りに行かなきゃいけないんだけど、僕まだ場所があやふやで・・・。」


雪緒くんの話を聞いているうちに、春原くんは静かに教室を出て行ってしまっていた。気づいた時には彼の背中は既に小さくなりすぎていて、バイバイも言えなかった。


「秋山さん?聞いてる?」

「・・・ごめん、ちょっとぼーっとしてた。でも雪緒くん、もう教室の場所大体把握してるんじゃない?」

「そんなことないよ。まだ上の階があやふやで。」


そう言ったわりに、やっぱり雪緒くんはスムーズに廊下を進んでいく。彼の行動の意図が分からなくて、また何とも言えないもやもやが胸の中に広がる。なんなんだろう、これ。


生徒会室で無事に生徒手帳を受け取った後、

廊下の途中で急に雪緒くんが立ち止まる。


「・・・雪緒くん?」


どうしたんだろうと彼の名前を呼べば、彼はゆっくりと振り返った。その顔にはいつもの微笑みがあった。体温を感じない、王子様スマイル。


「秋山さんてさ、春原くんと仲いいよね。」

「・・・うん、友達だし。」

「・・・友達、ね。」


私の言葉を繰り返して、雪緒くんは目の前にあった廊下の壁に少しだけ寄りかかる。惚れ惚れしてしまうほど綺麗な横顔で窓の外を眺める彼を見ていると、なんだか胸の奥がむずむずする。


少しの沈黙の後、雪緒くんがゆっくりと口を開く。


「本当に、ただの友達?」


うんともいいえとも答える前に、雪緒くんはいつものようにニッコリと笑った。


「彼とはあんまりお似合いじゃないんじゃないかな?」

「えーっ・・・と」

「僕と居た方が絶対楽しいと思うし。秋山さんもそう思わない?」

「はあ、」


ペラペラと雪緒くんの口から言葉滑り落ちる。私の方を見ないまま一気にまくしたてる彼に、私の返事は追いつかなくて。


煮え切らない私の返事に雪緒くんが、ていうか、と少し声を荒げた。


「僕の方が、絶対に彼を幸せに出来ると思うよ。」


その言葉には熱がこもっていて、いつもは見えなかった彼の内側が見えた気がした。それと同時に今の言葉が反芻する。僕の方が、彼を、幸せにできる。

感じていた何とも言えない違和感が、じわじわと消化されていくのが分かった。


はっと我に返った雪緒くんは、いつもの王子様スマイルを浮かべ直す。その顔をまじまじと見てしまえば、彼は少し戸惑ったように目を泳がせて。


「あ、ごめん、変なこと言ったちゃったね。」

「・・・。」

「ごめんね本当に、気にしないで。教室戻ろっか。」


そう言って私から目を背けて歩き出す。

女の子に向ける、温度の感じない王子様スマイル。授業中に後ろを振り向くと必ず泳ぐ視線。私と話しているようで、彼の意識はいつだって私の隣へと向かっていた。


スタスタと歩く雪緒くんの手を後ろから引って振り向かせる。突然の事に彼は驚いた顔で私を見て、そのまま彼の両腕を掴んだ。彼がさらに両目をぱちくりさせる。


「・・・雪緒くん。」

「・・・えっ、と?」

「もしかして。」


「雪緒くんって、春原くんの事が、好き?」


私の言葉に彼がひゃあっと悲鳴を上げる。女の子のような悲鳴。そのまま彼は頬に両手を添える。えっ、と驚いてしまった私に、さらに衝撃が重なる。


「なっ・・・何言ってるのっ!そ、そんなわけ・・・」

「ゆ、雪緒くん?」

「アタシが春原くんの事をす、す、す、好きだなんて・・・」


アタシ、という一人称は間違いなく彼の口から出たもので、今度は私の目が点になる。アワアワする彼の声はいつもよりもワントーン以上高い。


「そ、そんなことあるわけないじゃないのよっ。」

「ゆゆゆ雪緒くんっ・・・ちょっと落ち着いて」

「だってアナタが変なこと言うから・・・!」

「雪緒くん!一人称!語尾!!」


アナタ。目が点を通り越して穴が開きそうだ。

私のツッコミに雪緒くんはしまった、というように自分の口をふさぐ。ただでさえ白い顔が真っ青で。

しばしの沈黙の後、彼はゆっくりと、私の方を向く。


「・・・秋山さん。今日の課題って何があったっけ。」

「いやこの流れで日常会話に戻れないから。」

「デスヨネ。」


再び表情を崩した雪緒くんは、うわあああん、とその場に崩れ落ちた。ちょっと待って、私の理解が追い付かない。だれか、助けて。

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