16、たかが手紙一枚
(こんな手紙……!)
ジュリアンが出て行くと、ヴェロニカはムカムカと腹が立ってきて、手紙を乱暴に手に取った。中を読む前に破り捨ててしまえばいい。簡単だ。王の言葉など、知ったことか。そう思うのに……。
「っ」
中を読みたい。何が書かれているか知りたい。本当にハロルドからの手紙なのか、愛の言葉なんて綴られているのか、カトリーナ宛てのものなのか――二人が愛し合っていたのか、この目で読んで確かめたい。
(でも、怖い)
ハロルドがカトリーナを愛していたことを認めなければならない。
そんなの嫌だ。夫の過去なんて知りたくない。でも気になる。怖い。でも……。
ヴェロニカはいつの間にか息を殺していた。苦しさが込み上げてきて、喘ぐように短い呼吸を繰り返した。
(やっぱり、読むのはやめましょう……)
そうだ。明日ジュリアンに返すのだ。それまで目が届かない所へ置いておけばいい。そう思ってヴェロニカは暖炉の上、置時計の下に手紙を滑り込ませた。
これで大丈夫。一日だけの辛抱だ。
(もう、忘れてしまおう)
しかしヴェロニカの心はすでに手紙に囚われていた。何をしても、置時計の下へと意識が向かってしまうのだ。
読んでしまいたい。いいや、読んではいけない。
そんなことをもう何度繰り返し思っただろう。
(ああ、早く明日になって……)
だがまるでヴェロニカの反応を楽しむかのように、ジュリアンの訪問は途絶えてしまった。単に忙しいのか、それとも――
(私を試しているの)
ヴェロニカが我慢しきれず中身を読んでしまうこと。ジュリアンはきっとそれを待ち望んでいるのだ。
(あんな人の思い通りになるものですか!)
歯を食いしばって、ヴェロニカは耐えた。しかしそれも一日、三日、一週間、と続いていくと、もういいのではないかという諦めの境地に変わっていく。
なにせ何もすることがないのだ。食事や湯浴みなど、最低限のことを済ませれば、あとは一日中部屋に閉じ込められている。
裁縫は針が危ないからと持たせてもらえない。本を読むことは可能だったが、じっと何かに集中しなければならない作業はいつの間にか手紙のことを考えてしまい、結局意味をなさない。
(もう、読んでしまおうかしら……)
きっとジュリアンはヴェロニカが手紙の内容を知るまで会いに来ない。彼が来なければ、ヴェロニカは誰とも会話することはない。置物のような侍女たちは何も教えてくれない。おかしくなりそうだった。
(ハロルド……)
彼は今どうしているだろう。子どもたちは大丈夫だろうか。
(どうして助けに来てくれないの……)
ジュリアンの言う通り、自分と離婚するつもりなのか。そしてあの美しく可憐な女性を――
「あ……」
気づけば手紙を手にしていた。くしゃくしゃに折り目のついた手紙。こんな紙切れ一枚に、自分を苦しめる言葉が綴られている。自分ではない女に宛てられた愛の言葉が。ヴェロニカが愛している男が書いたのだ。憎らしい。破り捨ててしまいたい。
けれど思いとは裏腹にヴェロニカの手はきれいに折り畳まれた手紙を広げようとしていた。
(ハロルド……)
もういい。諦めよう。楽になってしまおう。さらなる苦しみと引き換えにして、彼の過去を暴いてしまおう。
ヴェロニカの目に最初の文字が映ろうとした時――
『ヴェロニカ』
(っ……!)
夫の微笑んだ顔がとっさに思い浮かび、反射的に手を離していた。ひらりと手紙は舞い、薪が燃える暖炉のすぐそばで裏返しになって床へと落ちた。いっそ燃えてしまえばよかったのに、と彼女は思ったが、どこか安堵した。
(やっぱり、読むのはいけないことだわ……)
読んでしまえば、ハロルドを信じる気持ちすら裏切ることになる。彼に直接問いただすことはいい。けれどこんなふうに知らない所で夫の秘密を暴くことは、ヴェロニカの誇りが許さなかった。
(でも会ったら、とことん問い詰めてやるんだから!)
ヴェロニカは拾った手紙をもう一度きれいに四つ折りにすると、置時計の下に戻した。今度こそ、決して読まないために。
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