第13話

 年も明けて早、二月も中旬に差し掛かろうかという今日この頃。各ゼミの教授から後期の成績表を受け取りに、おれもその順番を待っていた。

 

 期末試験の度、一人ずつ教授の研究室へ行き、軽い面談をしつつ成績表を渡されるのがお決まり。今回は四年の後期ということもあり、この成績発表でほぼ卒業が確定する。


 もしこの時点で卒業単位が足りていない場合、追試で事足りるならばすぐにその手続きを。今日の時点で留年が確定しているのであれば……。まぁ、おれに関して言えば、優一や由希子のおかげでその心配は無い。

 

 卒業が絡む面談とだけあって、今回は一人一人の時間が長い。それも致し方ない。三年進級時で移動も可能だが、ほとんどの学生がゼミの教授は四年間変わらないのだから、言わば小中高でのクラス担任の様な存在。


 さすがに大学生だから、普段から毎日顔を突き合わせて関わる様な事は無いが、一応数年に渡っておれたち学生のお守りをしてきた訳である。週に一回のゼミのコマも、学期毎の単位修得の進捗も、就活や卒論まで面倒を見てきた訳だから、思い出話の一つや二つはあってもおかしくはない。


 

 いよいよおれの順番が回ってきた。成績表を渡され、教授もそれのコピーを見ながら面談を行う。卒業条件も教職課程も、単位の修得は満たしている。正式な発表は二週間程先にはなるから、少し早いが卒業おめでとうと。一先ずは肩の荷が降りた。

 

 一、二年の頃は、学校には来ているくせに授業には出ず、いつも芝生で寝転がっていたからどうなるやらと思ったが、何とか卒業にありつけたからホッとした。そんな小言の様な事を言われたが、本題はここからであった。

 

「川嶋は、卒業したらどうするんだ? 採用試験は駄目だったんだろ?」

 

「まだ何も決まってねぇんすよ。県立学校の講師登録はしたんですけどね、連絡無いままです」

 

「そうだよな。講師の募集は年度末にならないと分からないもんな。結局就活はやってないのか?」

 

 いつぞやの飲み会でのやり取りが思い起こされる。就活なぞ一切してきていない。そう返事をすると、教授は椅子に深くもたれかかりながら、「んー」と難しそうに小さく唸った。

 

 由希子ともいつぞや話をしたが、別に今借りているアパートで、今のバイト先に居座りながら、また採用試験に臨めば良い、などと思っていた。それに、何も年度の変わり目だけではなく、年度途中でも講師の求人募集が出る可能性はある。別に人生を投げている訳ではないが、それくらいの軽い気持ちでいたのが本音である。


 しばらく、あーだの、んーだの繰り返していた教授が、何やらおもむろに、机に並べてあるファイルを手に取り、パラパラと中身を検め始めた。「川嶋が受験したのも講習登録したのも県内だよな?」と言うので、そうだと返事をした。その間も教授はずっと、綴じてある書類を一枚ずつ捲りながらそれを目で追っていた。

 

 しばらくして、その中から一枚を抜き取り、もう一度教授はまじまじと眺めてから、ほいとおれに手渡してきた。それは求人に関する書類だった。

 

「県外の私立だったらさ、本採用にしろ講師にしろ、いくつも募集が出てるよ。……まぁ、本採用はもう遅いかもしんないけど。それで、そこに書いてある学校はさ、うちとも指定校推薦なんかの付き合いがあって、俺も知り合いの先生がいるんだよ。ちょっと前にその人とお話する機会があった時に、急遽産休の代理を探してるんだと。どうだ?」

 

 降って湧いた話に、舞い上がった訳ではない。でもおれは教授の言葉に、

 

「行きます」

 

と、即座に返事をしていた。

 

 求人に目も通さず食い付いたおれに、教授も一瞬戸惑った様にして付け足した。

 

「威勢が良いのは構わないし、提案しといてなんだけどさ、ちょっと遠いぞ?」

 

 改めて求人を覗いてみると、つらつらと募集要項が書かれてある。雇用形態、給与、必須免許。目に留まったのは勤務地。

 

「愛媛って……四国⁉︎」

 

 顔を上げると、教授は苦笑いというか、少しだけ眉をひそめている。

 

「まぁまぁ、今すぐ返事をしろって訳ではないからさ。でも、年度も変わるし先方も急いではいるだろうから、しっかりだけど早めに考えてみたら良いんじゃないか? ここだったら、俺も少しは口を聞いてやれるからさ」


 もう一度おれは求人を見直した。確かに遠い。それに四国なぞ、地図帳で見たことがあるだけの、本島から離れた小さな島。しかも、求人にも書かれているが、産休代理の一年間の契約である。言わば臨時採用。

 

 色んな思考が巡った。ここに残ってフリーターをしながら講師のチャンスを待ち、採用試験に再び挑むのか。わざわざ田舎くんだりに出向いて教鞭を取りながら、引き続き採用試験を受け、もし駄目だったらまた来年のこの時期に、仕事の口を探して彷徨うのか……。

 

 わずか数分、いや数秒かもしれないが、脳内で自分の未来をシュミレートした結果、「とりあえず、行ってみます」と、再び返事をした。

 

 一瞬きょとんと目を丸くした教授だったが、すぐにプッと吹き出した。

 

「まぁ、その方が川嶋らしいと言えば川嶋らしいな。わかったよ。とりあえずまだ埋まっていないだろうけど、一応先に俺からそこの先生に連絡してみるから」

 

 そう言ってすぐ教授は携帯を開いた。てっきり後からやり取りしてくれるのかと思いきや、目の前で電話をし始めたので、何となくおれの中で緊張感が高まった。


 先方もすぐに電話に出てくれた様で、ひとしきり談笑して、臨時採用の件について話して、ものの五分程度で電話を終えた。

 

「まだ決まってないってさ。むしろ是非一度お会いしたいって。面談するにしても、さすがに今日の明日のって訳にはいかないから、こっちの移動の都合のことも考えて早めに連絡するってよ」

 

 とりあえず、すぐにでも履歴書を用意しておく様にとだけ言われ、おれは研究室を後にした。


 

 研究室を出たその足で学内の売店へと向かい履歴書を購入。そして食堂ですぐさま履歴書の記入に取り掛かった。履歴書なんてバイトの面接の際に書いたっきりだ。


 経歴なんかはすぐに埋まるが、問題は自己アピールに志望動機。こんなもの、どうやって書けば良いのか。この紙切れに向き合ってみてようやく、紗良の苦労の一端が分かる。


 一社毎にリサーチして、その会社に合わせて自身を売り込むための文句を書いて。それを何社にも何社にも送って、その度に断られて……。おれの場合、辛いを通り越してもう面倒になりそうだ。

 

 こんなものいちいち手で書いていたら、効率が悪いったらありゃしない。パソコンでカタカタっとやって、面接の度に印刷した方がよっぽど早い。何よりその方が相手も読みやすい。それならもうむしろ、メールかなんかで済ませた方が紙も無駄にならないしよっぽど良いのでは……。

 

「難しい顔して腹でも痛ぇんか?」

 

 履歴書のあり方について頭をひねっていると優一がやって来た。向かいに座り、おれが目の前に広げてある履歴書を覗き込む。

 

「なんやお前。あんだけ教師教師言いよったのに、結局就活するんけ?」

 

「就活つっても私立だよ。教授が探してくれたんだよ」

 

 一旦ペンを置き芝生に出て、二人で一服つけながら、研究室での事の顛末を優一に話した。

 

「ふーん。良い話やんけ。まぁ結局そこも、受かるかどうかは別の話じゃけどの」

 

「一言多いんだよ、お前は」

 

「で? 今ここにおらんけぇ当然と言や当然じゃけど、由希子や紗良とはまだその話してねぇんじゃろ?」

 

「受かってからで良いだろ。意気揚々と話しといて、やっぱり駄目でした、なんて格好つかねぇじゃん。また変に気ぃ遣われるのも面倒だしよ」

 

「ほうか」と言って優一はタバコを消し、「ま、なるようにならいや」と、決め台詞を吐いて芝生を降りて行った。何を格好つけているんだか。

 

 

 夕方には教授から電話が来た。先方から折り返しがあり、できれば今週末には面談に来れないかと。


 二つ返事で了承し、電話を切ってすぐに週末のバイトの断りを入れ、夜行バスの手配をした。飛行機や電車でも良かったのだが、変に乗り継ぎをしなくて済むし、金額も含め、寝ている間に運んでくれるならば夜行で十分と判断した。それに、夜行バスでの旅というものも初めてで、少しワクワクしていた。


 

 

 その日はあっという間だった。

 

 寝て起きたら本当に見知らぬ土地。気温の差は……そこまで無いように感じる。駅前ということもあってか、そこそこのビルも建ち並んでいて、車の往来もなかなか。


 田舎だと決めつけていたが別に、今住む大学の近辺とそう変わったものではないかもしれない。結局同じ日本だからどこの県に行っても、その中心のある程度の見た目は変わらないのだろうな。

 

 駅前のロータリー、バスの停留所のすぐ向こうにはタクシーがずらっと並んでいたので、そいつを拾って目的の学校へ。


 タクシーから見える知らない街の景色はやはり新鮮だ。行き交う車のナンバープレートが皆、愛媛ナンバー。道路標識の地名も知らない土地。信号待ちで路面電車が横に並んできたので驚き、向こうにはお城が見えた。少し行くと繁華街の様な、歩行者天国もあるらしい。タクシーの運ちゃんがあれこれ喋ってくれた。運ちゃんの訛りがまた、優一の方言と似ているので、ちょっと気持ち悪い様な、でも少し安心する様な気になった。


 

 そして肝心の面接はというと、それこそあっという間であった。校長、教頭、事務長の三人を前にして、さすがのおれも背筋が伸びた。この教頭というのが、うちの教授と知り合いらしい。一応紹介してくれた手前、教授の顔に泥を塗ってはいけないから、ある程度ハキハキとお話をする様には気を配った。

 

 教授の紹介ということもあってか、採用されることは大方事前に決まっていたらしい。顔も見ずに採用する訳にはいかないので、一応建前上、面接という形は取ったらしい。自身に縁のある土地ならまだしも、関東からわざわざ愛媛に来ようという輩の顔を一度拝んでみたいという気持ちは分からなくもない。

 

 その後は事務長の方から勤務形態だの福利厚生だの、雇用契約に関する話をされた。まぁ、産休代理の臨時採用など、こんなものなのかと思い、安心した様な、やや肩透かしを食らった様な。

 

 契約に関する書類を数日中に記入して送り返す様に言って渡され、その後また軽く雑談に付き合い、面接は終わった。


 こんなもの、テレビ電話で済むじゃないかと思ったけれど、顔合わせという理由以外にも、実際にわざわざ足を運んでまでうちで働きたいのかという、おれの意欲を試している様なものなのだろうきっと。その日の晩の夜行便に乗って帰路についた。


 

 

 三月に入ってすぐ、先方から内定通知書が送られてきた。書面を見てようやく、本当に教壇に立つのかという思いが、ひしひしと胸に感じられた。

 

 そして、卒業式まであと二週間程。

 

 新しい何かが始まるということは、今ある何かが終わるということ。

 

 

 この大学生活が終わるという、心に穴が空く様な何とも虚しい気持ち。


 

 教師という夢に近づくという期待と幸福感。


 

 その二つがごちゃ混ぜになって、ケツの座りが悪いとでも言うのか、どことなく落ち着かないまま、式までの日を過ごした。

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