第8話
三年生の後期ともなると、学内で同級生を目にする機会が減ってきた。
年が明けるといよいよ就活が始まる。だから、二年生が終わるまでに、遅くとも三年生のうちには、取れるだけの単位は取っておく様にと、入学時からゼミの教授をはじめとした人達に口酸っぱく言われてきた。
その言いつけをしっかりと守り、真面目にこなしてきた者は、もうこの時期になるとほとんど講義など履修せずとも、卒業圏内にまで駒を進めているというわけだ。
そうなるとほとんどの者にとっては学校に用事など無いに等しい。優一も紗良も、要領良くやったのだろう。あ奴らとも、学校で顔を合わすのは週に三日程。しかも、講義が一コマだけといった日もあるのだから、一体何をしに来ているのやら。
学校に来たとしても、遊んでいる時間の方が長いのではなかろうか。全く。
反面、おれと由希子は毎日欠かさず学校にいた。
何も卒業単位が危ういというわけでは無い。おれだって、それなりに単位は取れている。優一や由希子のノートを写し、たまには代返を頼み……なんとかやり過ごしてきた。
ただ、教職課程の講義は、三年次にも四年次にも履修必須のものがあるから仕方ないのだ。だから毎日学校に来て、きちんと勉学に励んでいる。
つまり今となっては優一や紗良よりも、おれの方がよっぽど学生の本分を全うしているに違いない。
勉学というとそれこそ本当に、この後期の開始から由希子と一緒に、教員採用試験に向けての勉強を始めた。
「一年後にはもう採用試験だよ? さすがに竜也くんも勉強始めないと」
厳密には試験まで一年を切っているから、もう遅いくらいだ。気の早い奴らはもう、とうの昔から準備に取り掛かっていることだろう。
せっかく由希子が尻を叩いてくれているのだから、そろそろ自分でも火をつけねばなるまい。そう思い、由希子にも付き合ってもうことにして、採用試験に向けての勉強を始めるに至った。
そんな訳で、平日は由希子と毎日一緒に過ごす様になった。
一限の講義が無い日でもおれは、一限開始の時間までには学食へ行き、入り口に近いテーブルを陣取る。わざわざ入り口の側で構えるのは、頭をリフレッシュさせたい時に、すぐに広場に出てタバコを吸える様にだ。
席を確保したらそのまま食堂のおばちゃんに挨拶をし、とりあえず一服入れ、ぼちぼち机に向かって、少しずつ心の暖気運転をしていると、十時くらいには由希子がひょっこり顔を出し、向かいで参考書を広げ始める。
ある時、「わたしより先に来てるけどさ、いつも何時に来てるの?」と由希子に聞かれ、九時三十分にはとりあえず来ていると伝えると、その翌日からは由希子も同じ時間に、むしろおれより早く食堂に来る様になった。
由希子が来るまでのんびり時間を潰し、気持ちを整えていたのに、先に来られてしまってはどうにも。由希子が机にかじりついている姿を見て、一人ぼうっとしているのもバツが悪いので、渋々とはいかないまでも、まだ気持ちの整わぬままだが、とりあえず参考書を広げることにするのだ。
そして、大方の講義が教職のものだから一緒に受けに行き、空き時間は再び食堂へ。五限の終わりの十八時。そのチャイムが鳴ればお互い引き上げる。
二人で勉強と言っても、特にこれといって何かを教えてもらったり、同じ問題を解いたりする訳ではない。おれが参考書や過去問題と睨み合っているその向かいで、由希子も黙々と自分の勉強に取り組んでいる。付き合ってもらっているというよりは、同じ場所で、それぞれがそれぞれのことをしているだけだ。
最初は無言で見張られている様な、何とも居心地の悪い感じがした。でもしばらくすると、そんな気も起きなくなり、いつしか、自分の参考書に向かうことが習慣となりつつあった。
たまにやってきた優一などはからかい半分、「なんやお前。勉強なんかしよるんけ。どうせ由希子の邪魔しよるだけじゃろ?」と、横槍を入れてくるので、邪魔をしているのはお前だとあしらう。そうすると、
「お前が勉強しよるとか世も末じゃわ」
と。優一が、何なら紗良までもカラカラと笑う。
何やらどこかで聞き覚えのある台詞だ。後でいくらでも相手をしてやるから、とりあえず今は黙って向こうへ行っていろ。
合間にレモンティーを買いに行くと食堂のおばちゃんは、「川嶋君、毎日頑張ってるね」と、一声掛けてくれる。
一年生からほぼ毎日おれの姿を見てきたおばちゃんからすれば、今のおれは頑張っている様に見えるのだろう。大学生が毎日勉強をしている。そんな当たり前の姿でさえ、以前のおれからは、想像すらできなかったに違いない。
気晴らしにと外に出て、レモンティーとタバコを手に芝生で座っていると由希子もやって来て、「んー……」と大きく一つ、伸びをしてから隣に座った。おれもつられて一つ欠伸が出る。
九月も終わろうかというこの頃。朝晩は多少冷え込み始めたが、日中は三十度近くにまで気温が上がる日も。昼夜でこう温度差があると、余計に体が堪える。
「あっちぃなぁ」とぼやくと、「本当、まだ暑いね」と隣で由希子が返事をする。その由希子の手にはミルクティー。
「そんな甘ったりぃもん、よく飲めるな」
そう言うと由希子はおれの持っているレモンティーを見て、フッと鼻で笑う。
タバコの火がそろそろ根元まできたので、おもむろに立ち上がり階段を降りると、ズボンについた芝をはたきながら由希子も、おれに続いて食堂へと再び戻る。
灰皿の側まできて、まだ火の消えてない吸殻を放り込むと、ジュッと音を立てて、みるみる水が染みていく。チラと肩越しに由希子の顔を見るとニッコリとしているので、「なんだよ?」と言うと、「ん? 別に」と言ってまた笑う。
日のあるうちは勉強を。その後はアルバイト。バイトを入れていない日はたまに、優一がおれのアパートへ来てだらっと過ごして。また朝になると学校へ行き由希子とひたすら机に向かう。
六人でいた時の様に、お出かけする事も、夜な夜な宴をすることも無くなった。これといった特別なことは何も無いのだけれど、何となく今は、毎日が充実している。そんな気がする。
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