第6話

 三年生の前期の開始して早々、皆で夜景でも見に行こうと言い出したのは宗太だ。

 

 夜景というと、大都会のビルから見下ろす街並み。または、田舎の山から見渡す街の景色。だと思うのだが、おれたちが下宿をするこの街には生憎、そのどちらも見当たらない。


 首都圏からは離れており、もちろんここも県庁所在地からは離れた高層な建物の無い、まぁ田舎だ。しかし田舎とはいえ、地理的に平坦で、何なら平均標高が日本で一番低い県。つまり山という山もほとんど見当たらないのである。

 

「それがあるんだな〜。偶然にも夜景スポットが〜」

 

 市内を見下ろす高台にある展望公園で、標高は六十メートル程度の場所。そこでは朝には日の出、昼には向こうに海、そして夜には市内の街明かりを眺めることができ、知る人ぞ知る、隠れた展望スポットでもあるらしい。


 なるほど。それは一見の価値有りと見て、さっそく天気の良い夜皆で、ドライブがてらにその夜景とやらを拝みに行くことになった。

 


 宗太の車で乗り合わせ、数分走るとすぐに到着。駅からもそう遠くないので、何なら明るい時間には歩いてでも来れる距離だ。


 丘の方へと登ると手狭な駐車場があり、その少し向こうには神社があるそう。神社への登り口を過ぎたあたりに車を停め、目の前の広場の方へと向かった。

 

 広場の周辺に灯りは無いが、空を遮る木々も無く開けた場所だから、夜の闇でもうっすらと周囲を見渡すことができ、すぐ向こうに簡易な展望台もぼんやり伺える。


 そしてその足元からは、すでに向こうの夜景がほんのり顔を覗かせている。展望台の階段を登りきる前に、各々が小さく感動の声を漏らした。

 

「おお!」

「この街にもこんなええとこがあったんじゃの」

「きれー!」

 

 標高が低いため、確かにそう景色を見下ろす様な感覚は無く、絶景、と言うにはやや物足りない気も。しかし、平坦な土地柄ということは、逆に言えば少し高いところに登ると、遠くまでよく見渡せるということだ。


 それに、標高の低さから、街の景色が近いというのもこのスポットの持ち味の一つだろう。足元の方にある街の灯りが、ずうっと遠くまで広がっているため、これはこれでなかなか見応えはある。

 

 

 何やら展望台の前方のフェンスに目が付いた。

 

「なんかいっぱいぶら下がってね?」

 

 興味本位でフェンスの方へと近づいてみると、無数の南京錠がかけられており、そこにはそれぞれ日付けや名前が記されている。所謂、カップルがかけていった、愛の南京錠というやつだ。

 

 それをする当の本人達はロマンチックなつもりなのだろうが、こうも数が多いと景観を損ねるのではなかろうかとも思ってしまう。愛だの何だのと、そんな鍵なんぞに誓わなくても良さそうなものだが。

 

 そう思っていた矢先、宗太が口を開く。

 

「実は〜、準備してありま〜す」

 

 バーベキューの時はまぁ良しとするにしても、今回のはちょっとばかり……。「全くてめぇら二人は……。そんなもんよそでやれよ」と言い掛けた所で、宗太が隠し持っていた南京錠を見てその言葉を飲み込み、思わず笑ってしまった。

 

「でけぇ! なんだよそのでけぇ鍵!」

 

 既にフェンスにかけてあるものと見比べてみると、その違いは一目瞭然。所謂ブルドックというやつか。手のひらいっぱいくらい。十センチはあろうかという、大型の南京錠であった。

 

「お前それ、でけぇ倉庫とかに使うやつじゃろうが」

 

「そんなでっかい愛見せつけられてもねー」

 

「いやいや、何言ってんの〜? 俺らの分はもうつけてあるから〜。今日は皆んなでこれつけるんだよ?」

 

 何から突っ込めば良いのやら。恋人同士でつけることすら小っ恥ずかしいというのに、それをすでにやってのけているということもそう。さらには、いい歳した青年男女六人でとは……。

 

「いいね!」

 

「大きめの準備してくれたから、全員分の名前書けるねー!」

 

 おれが口を挟む前に、由希子と紗良はすっかり乗り気になって目を輝かせている。本当に目って輝くのだな。暗闇のはずなのに、二人がウキウキしているのが見てとれる。


 こうなってしまったらもう、そんな大きな鍵みっともないだの、そもそもこの行為自体が小っ恥ずかしいだの、そう言って止めるのは野暮というものだろう。仕方がないのでおれは、余計な事は言うまいと少しフェンスから離れ、皆の背中越しに夜景を見ながらタバコを咥えた。

 

 それに気付いた優一も、タバコに火をつけながらこちらにやってきてた。

 

「何をそんなとこで、一人でカッコつけとるんじゃ」

 

 そう言いながらおれの横に並び、皆の方へと向いた。

 ふぅと二人の吐く煙が街の方へと流れていく。

 

「なぁんか、こういうのはちょっと……むず痒くってな」

 

 おれがそう言うと優一はフフンと鼻で笑う。

 

「お前が想像しちょったオレンジデイズみてぇなキャンパスライフは、こういうのを言うんとは違うんけ?」


 もう一つタバコを吸っておれは四人の方へ目をやった。携帯のライトで手元を照らしながら寄り集まり、代わる代わる錠前に書き込んでいる。

 

 次第にチラチラと四人の手を照らすライトも夜景の海に溶け込んで。遠くの夜景のぼんやりと真っ直ぐな光と違い、近くにあって時折瞬く様に揺れる歪なそれを眺めるおれの心は何だかとても穏やかで。

 

「確かに……。これはこれで、悪かねぇよな」

 

「じゃろうじゃ」

 

 思い返すと少し照れ臭くて、首の辺りが何だかこそばゆくなる様な。若さ故のそれも、青春の一つの形なのだろう。

 

 落書きを終えたらしく、四人がおれと優一を呼び戻す。

 

「また二人してタバコ吸ってるな」

 

「二人ともー! ほら! 書けたよー!」

 

 そこには六人全員の名前とその下には日付け。

 

「裏も見て見てー!」

 

 紗良が言うので裏に返して見てみると、でかでかと書かれたハートの中に「Forever」。

 

 先程の青春とやらの件は訂正。これは後々に思い返すまでもない。

 

「お……おお」と言葉に詰まった。お前が何とかしろと、目で合図を送りながら優一に手渡した。

 

「……! ……おう! ……良いやんけ!」

 

 南京錠を向いている携帯のライトから、溢れた光にぼんやり照らされた優一の笑顔はやや引きつっていた。


「でしょー?」と、ご満悦な声色で優一から南京錠を受け取った紗良はそのままフェンスの前へ。


「この辺りで良いよねー?」と言いながら、「カチャッ」と軽快な音を響かせた。よほど書いた本人は気に入っているのだろう。鍵を閉める、「カチャッ」の音が弾んでいた様にさえ感じられた。

 

 本人はさて置き、書いているのを横で見ていた三人は何を思って見ていたのだろう。まぁいかんせん、由希子は由希子で乗り気だった訳だし、宗太も真由も、何ならこいつらは二人でもこんな謎めいた儀式をしに来ていたくらいだから……。


 でもまぁ、皆が幸せそうなら、これは正解なのだきっと。


 

「ってかさー、鍵はどうするのー?」と、紗良が指でくるくると南京錠の鍵を回している。

 

 こういう物は捨てるのが慣わしだと他の皆が言うので、紗良から鍵を受け取ったおれは、そいつを天に向かって高く放り投げた。


 おれの手を離れた鍵は、皆が見守る中、スゥッと夜空に吸い込まれていく。高度を下げ始めるあたりまでは何とか目で追えたのだが、そこから先は音も無しに、夜の景色へと吸い込まれていった。


 

 鍵を見送ってからしばらく、誰も口を開かずにいた。

 

 闇夜に消えていったそれの行方に当たりを付けているのか、ただただ夜の街並みを見ているのか。おれの横に並ぶ五人が、何を見てどう想っているのかは分からない。

 

 おれの視線の先には、暗闇に薄っすらと浮かぶ「Forever」の文字。


 

 永遠なんてものがこの世のどこにあるのだろうか。

 

 大学生活も折り返し地点を過ぎた。あと二年。今、こうして当たり前に顔を突き合わす六人も、あと二年もすれば、この当たり前の日々は当たり前ではなくなる。


 それは皆、おれ達だけでなく周りの学生達は誰しも、普段は口にせずとも分かっていること。自分達の心地良い日常はいつか終わってしまうという現実と、この夜の闇の様に先の見えない未来を思うと、何となくやり切れない気持ちになるのはおれだけではないはずだ。

 

 だからこうして、しようもないただの鉄の塊に想いを記しておかないと、確かに自分達はここにいたという証を残しておかないと、きっと皆、不安でいっぱいなのだ。


 そんなものに縋らないと人間というやつは生きていけないのだな。何とも滑稽で、虚しい。


 

 おれの手に持つタバコの火が根元まで焼け、もうそろそろ灰が崩れ落ちようかという頃、由希子が口を開いた。

 

「……あーあー。竜也くんまた……ポイ捨てしちゃったね」

 

 由希子の声で、先程までの頭の中のモヤというのか、こんがらがった糸が少しだけ解けたような気がした。

 

 おれはおもむろにその場にしゃがみ込み、タバコを地面にギュウっと押し付け、よくよく火を消しながら、

 

「……おれ今手ぇ離せねぇからさ、由希子、拾ってきてくんね?」

 

そう言って、消し終わったタバコを指に挟み、しゃがんだまま再び夜景の方へと顔をやった。

 

「サイテーなんだけど、この人」

 

 この目で見てはいないけれど、確かにその時由希子は、おれと同じ景色を見ながら微笑んでいた。

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